タムの結婚(8)──ようやく突き止めた

文字数 3,661文字

「泊まっていってなんて、急なお願いをしてごめんなさいね、(かない)さん」
「とんでもないです」叶はエビのマリネをキッパータックと自分の皿に取り分けながら言った。「一度よその大庭にお泊まりしてみたかったので、うれしいです」
「私もなんだか修学旅行の夜って気分よ」まきえもうきうきして答えた。「お二人さえよければ、いくらでも夜更かしに付き合うわよ」
 悪夢祓いための夜だったから、福田江(ふくだえ)(まもる)を案ずる気持ちは消えなくとも直接の話題は避け、タムの名前も口に出さないようにし、笑いがこぼれ続ける時間を過ごした。もちろん、キッパータックがプロポーズの相談に来ていたことも内緒であった。実際、何時間語り明かしたのか──。誰かが水飲み鳥となってこっくりしてきても、誰かは目をぱっちり開いて囀っている、という具合だったので、「もうそろそろ、ベッドに入った方がいいわね」というまきえの言葉が出たときにはもう朝が迫っているような時刻だった。
 叶は「二階から夜のアトラクション庭園を眺めてみたい」と言い、二階にあるゲストルームに移動した。キッパータックは一人リビングのソファーでうとうとしていたのだったが、うまく眠れず、起きだし、トイレを借りにいった。そのまま廊下を歩いていると、同じく眠れなかったらしい叶と出くわした。
「もしかしてリビングで寝たの? ゲストルームはいくつもあるのに」
「結局、あんまり眠れなかったよ」とキッパータックは笑った。
 まきえに朝食を用意してもらうのは申し訳ないから、コンビニエンスストアでなにか買ってこよう、ということになった。
 外はまだネイビーブルーのシーツを被ったままだった。宵っ張りの街灯以外は誰も目を覚ましていない。二人は肩を寄せ合い、寒さに震えながら出かけ、買い物袋を振り振り帰ってきた。草の上には霜が降り、遊戯施設はところどころ氷を貼りつけていた。
 邸宅まで辿っていく園路の先に円い池があり、カラフルな橋が架かっていた。その向こうに山のような大きな陰を作っているのが有名な〝品物の森〟だった。叶はそれに気づくと駆けて入口へと近づいていった。
「これがあの品物の森かー」叶は物めずらしげにじろじろ観察した。「廃棄物製の化け物って感じ。すごい迫力ね」
 追いついたキッパータックも一緒に森を見上げた。落下防止のシールドでがっちり守られてはいるものの、今にもガラガラと音を立てて崩れそうな物たちが大勢で鎮座していた。
「うー、寒い」キッパータックは身を縮こまらせた。「屋内に戻ろう。風邪を引いちゃうよ」
「そうね。また帰るときに見せてもらおうっと」叶はキッパータックのそばへ戻り、袋を持っていない方の手をキッパータックの腕に滑り込ませた。

  ガッシャン!

 振り仰いだ二人の視線の先を横切った黒い物体。森の屋根から転げ落ちる品物。よろよろとした羽ばたきが空を泳ぐのを見て、「コウモリかな?」とつぶやいたキッパータック。
 
 キッ タック!

 コウモリはキッパータックの名前を発して、地面に降下した。二人は顔を見合わせ、先にフリーズが解けたキッパータックが駆け寄る。
「もしかして──」
「キッパータック!」黒い物体はひょこりと起きあがり、左右の翼を激しく振った。
「レイノルド!」
 外灯の明かりの下、カラスのレイノルドはよたよたとキッパータックに歩み寄る。そこへすばやい足取りで割り込んできた一匹の黒猫。
「キプカ、肩を貸してくれ……」
 タイミングよく到着したバスに乗り込もうとした瞬間、待っていたのは裏切りの急発進──レイノルドは猫に身を躱され、バランスを崩し、地面に思いきりヘッドバットした。「くぁっ!」
 黒猫はキッパータックへちらと目を投げ二秒ほど品定めしてから、叶を選んですり寄っていった。
「キプカー! なにゆえの謀反かー」
「レイノルド、大丈夫?」キッパータックは膝を曲げ両手を差しだして、小さな友人の体を支えて起こしてやる。
「どうしてこんなところに?」
「どうしたじゃねえんだよ……」レイノルドは気弱な音色を吐きだした。
 叶もしゃがんでいて、甘えてくる黒猫の体に触れながら、弱ったカラスに必死で話しかけているキッパータックを怪訝そうに見ている。
「み、水をくれ……」
「わかった」キッパータックは叶に待ってて、と告げると、仁科邸へと走って小さな椀に水を入れて持ってきた。
 レイノルドがぴしゃぴしゃ飲んでいる間、叶に説明するキッパータック。
「こいつがレイノルドだよ。ピッポ君の大庭の洞窟に棲んでいる人語を操れる賢いカラス。ずっと姿を見ないってピッポ君が心配してたんだ」
「品物の森に入って出られなくなったとか?」
「ばかにするなァ!」レイノルドは叶の安直な推理にプライドを傷つけられ、激昂した。「山野(さんや)都邑(とゆう)にと生き抜いてきた百戦錬磨のこのおれが、あんなニセモノの森で迷うような……」
 またしてもよろけそうになったので、無理をしないようにと言ったが、レイノルドは興奮醒めやらず、がなり続ける。
「いいか、よく聞け。驚くなよ? いや、驚くだろうが驚いている場合じゃないぞ! おれは、あの憎き泥棒、タム・ゼブラスソーンのアジトに潜入してたんだ。そしてやつらを巻いて逃げてきた。このド間抜けな黒猫キプカと一緒にな」
「にゅなぁぁ」と返事して地面に体をこすりつける黒猫。
「キプカって聞いたことある名前だと思ったら、もしかして衣妻(いづま)流亜(るあ)の飼い猫の?」と叶。
「そうだ、おれたちは……。ぐずぐず説明している時間はないっ! キッパータック、今から一緒に来てくれ!」
「えっと、タム・ゼブラスソーンのアジトって」キッパータックも収拾がつかない顔をしていた。「どういうこと? この森の中にタムがいるの?」
「そうじゃないって!」
「うん?」
 レイノルドの嘴から白い息とゼィゼィという音が洩れ散る。「事の発端は……そうだ、おまえの頭じゃ、最初から丁寧に説明してやらないと理解できないだろうな。まったく、そんな暇はないんだけどな、仕方ない。あのな、おれは、ピッポから頼まれて、穹沙(きゅうさ)市の大庭の中でまだタムが襲っていない庭を張ってたんだよ。怪しいやつが来たら、タムの仲間かもしれないからって。後をつけて、やつらのアジトを探ろうとしたんだ。あるとき、牛頭鬼(ミノタウロス)地区の地下庭園にサングラスをかけた若い女と絵描き風の若い男がやってきて、閉ざされた門から中を覗いていた。見るからに怪しい感じだったよ」
「それってサラさんと福岡さんじゃないの?」と叶。
「この庭園はほとんど門外不出状態で、めったにお目にかかれないんだと、ひそひそ話していた」
「そのとおりだし、二人は全然怪しい人物じゃないよ」とキッパータック。
 レイノルドは話を続けた。「それから、身長百七十センチメートルくらいで細身の六十過ぎの男が毎回毎回微妙な変装をして現れ、近くをうろうろしていた。シルバーの軽自動車を住宅建材工場の脇に停めて、車内でホットドッグを齧っていた様は、なんとはなしに怪しかったよ」
「それは馴鹿布(なれかっぷ)先生じゃ……」
「とにかくおれは、次々に怪しいやつらが現れる地下庭園に目星をつけて、見張っていたんだ。そこで、こいつ」レイノルドはキプカを指した。「キプカと出会った。おれはキプカがそこの飼い猫だと知り、庭園の様子を訊いてみたんだ。すると、庭園の奥に草ぼうぼうの上にロープで仕切られている場所があって、そこに人間が入っていって、岩壁の中に吸い込まれていくのがおもしろいって言うんだよ」
「岩壁の中に!」と叶は喫驚した。
「な? キプカ。おまえは見つけたけど、怖くて近寄れなかったんだよな?」
 レイノルドの問いかけに、「にーむぅ」と言って、輾転反側(てんてんはんそく)をくり返すキプカ。
「こらー!」レイノルドは再び怒りを迸らせる。「今は衣妻がくれる餌のことなど考えてる場合じゃないだろ! 真面目に答えろ!」
「この子はしゃべれないのか」叶は微苦笑する。「私もその空き地、調べたのよ。福田江さんがフィカス・グレープレインを植えようと計画していた場所だったって聞いてる」
「キプカを誘って、おれたちも壁を試してみることにしたんだ。するとどうだ……『開け、ゴマ!』などの呪文もなしに、通り抜けられるじゃないか。そこだけ目に視えない穴が空いてるみたいだったよ。中はというと長いトンネルになってた。ずっと辿っていくと、やがて洞窟みたいな空間が現れて、そこにタム・ゼブラスソーンと仲間たちが巣食っていた!」
「………………」
 レイノルドは二人の強張った表情を見て翼をバタバタさせ、ぴょんぴょん飛び跳ねた。「信じられないのはわかる! でも本当にそうだったんだ。外からはそんなトンネルや洞窟があるなんてまったくもってわからないからな。あれじゃあ捕まらないはずだと合点がいったよ」
「あそこにタムが潜んでいたなんて」色を失ってつぶやく叶。「もしかして、神酒(みき)さんもそれを知ってて……」
「それで、品物の森から君が出てきたのは?」とキッパータックが訊く。
「この森の奥が今、アジトに繋がってんだよ!」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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