ティー・レモン氏の空中庭園(6)──お茶の時間はハーブクッキーで

文字数 1,663文字

「おいしいよ、ちょっと齧ってみたら?」スィーがキッパータックの背中に回り込んできた。「キッパーさんに食べてほしいから飛んできたんだよ」と言って、皿のリムを枕にだらしなく寝そべるピッツァをすくいとる。そして拾ったピッツァは自分の口に引き寄せながらもう片方の手にあったピッツァをキッパータックの顔に近づけるという技を披露した。これはレモン家の座右の銘「自分と他人の喜びは同時に訪れると思いなさい」に因んでいる愛に溢れる行為だったが、キッパータックが「あちっ!」と叫んだので、他人の方は叶わなくなってしまった。なのでレモンが激怒する。
「お客様に火傷をさせる気か! キッパーさんは鼻でピッツァを食べたりはせんぞ!」
「ああ、ごめん。ごめんなさい」スィーは慌ててナプキンでキッパータックの顔を拭いた。
「だ、大丈夫です」
「こっちのピッツァ食べて」マイニが別のピースをキッパータックの下に運んできた。
「こら、マイニまで、やめなさい」
「こっちは大丈夫だもん」マイニは泣きそうになっていた。「こっちは熱くないもん。だから火傷しないよ」
「わかったよ、食べるよ」キッパータックはせっかくなので頂くことにした。「ううん? 随分冷めてるな」
「それ十一時にシェフが焼いてくれたやつなの」とマイニ。
「そんなにピッツァが好きなのか」樹伸は感心した。「でも残ってるってことは食べきれてないんじゃないか?」
「違うよ」スクヤが答えた。「パパが毎回『びよよよーん』ってやるからチーズが持ってかれてなくなっちゃうピースがあるんだ。それって〝はずれくじ〟だから食べたくても食べる気がなくなっちゃうんだよ」
「はずれくじも結構おいしいですよ」とキッパータックは言った。「トマトソースとオリーブだけっていうのもいいです」
「それなら私でも食べられそう」すでにナプキンをテーブルに置いていながら言うプリンだった。


 食事が終わると、キッパータックたちは塔内を見て回ることにした。来客用フロアは十二階から十五階。八階から十一階はオフィスとプライベート空間。七階は広々としたバーと図書・骨董品スペース。四・五・六階は客用の宿泊部屋と使用人部屋。一・二・三階は貸し出しオフィスと出入り業者・使用人のためのユーティリティー・スペースとなっていた。キィーは八階で「メールをチェックしてきます」と去っていった。スィーと子どもたちは途中までは同行、そしていつの間にか姿をくらましてしまった。しばらくの間はしゃぐ声だけがBGMのように響いていたのが七階だったから、おそらくまだ七階のどこかにいるのだろう。キッパータックたちはレモンについて一階まで全部目を通してしまうと、またエレベーターで十五階へ戻ることにした。
 十五階では革のソファーに座って、ゆったり歓談した。レモンのビジネスに因んだ世界経済の話もあれば、プリンが語るファッションを絡めた芸能界の話。途方もない方向に飛んでいきそうになったときには樹伸が自分の大庭のハーブを話題に持ちだして皆を親しい日常へ繋ぎ止めた。キッパータックの蜘蛛の話などは完全に色物だったが、三千世界を余すことなく知るには格好の奇話として、その役割を果たしているように思えた。
「ハーブと言えば、」とレモンが両手を合わせた。「若取さんに頂いたハーブでクッキーを焼いてもらうように言っておいたんですよ。そろそろ三時のお茶にしましょう」
「それもあの(ひいらぎ)さんが作るの?」とプリンが訊いた。
「デザート担当の者がおります」レモンはソファーから立ち上がると室内電話を取って厨房にかけた。「お茶の準備はどうかな? ……ああ、いいよ、よろしく。持ってきてくれ」
 レモンが電話機のところに置いてあったアクセサリーのような小物をいじりながら戻ってきた。「なんか、使用人のカネモトが持ってくるとか。めずらしいな、あの男は洗濯担当なんだけど」
 キィーも八階のオフィスから戻ってきて加わった。それと同時に頬のこけた男がワゴンを押してやってくる。顔色は悪いがハンサムと言えなくもないハーフの中年男だった。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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