人生の巣(5) ──糸車の音がする
文字数 2,176文字
「扉がある」とキッパータックは言った。彼の頭の触角 が覗いてみたい意欲にかられ、食指 のように小刻みに動いた。最後の部屋には少しは気分が晴れやかになるなにかが待っているのではないか――彼は望みを繋いでいたのだ。
「ここはなんの部屋ですか?」扉へ進もうと動いたキッパータックを二匹の蟻は慌てて制した。
蟻A「ならん! この部屋だけは、見せるわけには……」(カタン、コトン)
キッパータック蟻「え? なんで?」(カチャ、カラカラカン)
蟻B「この、部屋は、おまえ、の」(カタッ、コトコト)
蟻A「この部屋は『寿命の間』だ。この中にはばあさん蟻がいて、糸車を回している」(カラカラカラ……)
蟻B「その、糸の、長さ、は、おまえの」(シュルシュルシュル)
蟻A「糸の長さがおまえの寿命というわけだ。だから見せてしまうわけにはいかないのだ!」(シュルシュル……。コトコトコトコト)
キッパータック蟻「ぼ、僕の寿命?」(カタッン――)
蟻A「ああ、だから――」(…………)
「ああっ、なんか、音がやんでませんか?」キッパータックは扉に突進した。
「こらっ! 見せられないって言ってるだろ!」案内蟻たちはキッパータックの体を掴むと引き離そうとした。
「でも、音が――」
「大丈夫だ、おまえまだ生きてるだろ。音がやんだなんて気のせいだ」
「聞こえない、聞こえない。さっきまで聞こえてたのに――」
「お、落ち着け、キッ、パー、タッ、」
三匹は争って地面にひっくり返った。土にまみれて、それを細い手足で払っていると、扉の向こうから「カタン、コトン」とまたリズミカルな音が聞こえだした。
「はあー、よかった」キッパータックは長大息 した。「音が戻ってる」
「だから言ったろ」蟻は呆 れた。「生命の秘密には触れることはできない、断じてな。この部屋を覗くのはあきらめろ」
「わかりました」キッパータックの黒い頭が縦に動いた。「僕も覗くのはちょっと怖い気がするのでやめておきます」
「そろそろ、夢も、覚める、ころだろ」
「え?」
目が覚めたとき、視界に飛び込んできたのはピッポとサラの顔だった。
「キッパーさん、大丈夫ですか?」サラの手が伸びてキッパータックの体が起こされた。
「もう蟻じゃない」キッパータックは砂まみれの自分の手を見た。砂の上でずっと寝ていたようだ。
「けがはないかい?」とピッポ。「絨毯から落ちてしまったようだね。僕たち話に夢中になっていて、君が落ちたことに気づかなかったんだ。あれっ、いないなって思ったらここに倒れていた。……やわらかい砂の上でよかったよ」
「蜘蛛は?」キッパータックはきょろきょろした。
ピッポがプラスチック皿を見せた。中におとなしく収まっている蜘蛛を見て、キッパータックはほっと胸をなでおろした。
キッパータックはゆっくり立ち上がると、体の砂を払った。「ごめん、サラさん。滝の上を見てきたんだけど、どこから砂が落ちてきているのか結局わからなかったんだ。想像以上にずっと高いところに源があるみたいだ」
「私の方こそ無理を言ってごめんなさい」サラはものすごく恐縮しているという表情だった。「この滝のことは謎のままの方がいいのかもしれませんね。どこか、私たちの知らない天の世界から落ちてきている砂――そういうことなんだわ」
二人はそろそろ帰ると言って、揃って門を出ていった。キッパータックは蜘蛛の乗った皿を手に家に戻った。
長い長い一日を過ごした気がした。琥珀 に色づきはじめた空が物語っていた。大庭主 仲間のおかげで片づいた部屋だったが、キッパータックはついでだったので普段掃除をさぼっているキッチンなどをきれいにしはじめた。途中、小型モニターの電源を入れてニュース音声を流した。今日という日は、その他の穹沙 市民にとっても大変に忙しい一日だったようだ。様々なイベントや事件、事故があった。キッパータックという地味な大庭主がタム・ゼブラスソーンの手下に襲われ大事なペットを奪われそうになったという出来事を聞かされることはなかったけれど、含めて考えてもいいはずだ。
そして自分は蟻になった――とキッパータックは思った。夢の中で。
携帯電話が鳴った。相手は清掃業のときのお得意様だった。
「おーい、キッパータック君。今から来られない? この前話した例の魚、手に入ったんだよ。刺身でもいける新鮮なやつ。よかったら取りにおいでよ」
「いいんですか? ……ではお言葉に甘えて。今から伺いますね」
キッパータックは車庫から車を出した。掃除などをしている間に、外はすっかり暗色に塗り替えられていた。夕餉 の匂いや家々の明かりが恋しくなる色だ。門を出ると、マルーン色の車と白い乗用車が並んでいるのが見えた。
「あれ? あの車はたしか……」
心温まるなにかの記念に植樹 された親子の木――。そんな二本の影が浮かびあがった。ピッポとサラは、キッパータックの車に気がつくと手を挙げて横に振った。
「あの二人、まだ帰ってなかったの? なにやってるんだろ」
キッパータックは去っていく風景を惜 しむように見続けた。ルームミラーの中でも、二本の木は今日という記念日を噛みしめるように不動のまま立ち尽くしていた。
キッパータックはつぶやいた。「ああ、そういや、二人が飲んだジュースの壜 、庭に置いたままだったな」
第6話「人生の巣」終わり
「ここはなんの部屋ですか?」扉へ進もうと動いたキッパータックを二匹の蟻は慌てて制した。
蟻A「ならん! この部屋だけは、見せるわけには……」(カタン、コトン)
キッパータック蟻「え? なんで?」(カチャ、カラカラカン)
蟻B「この、部屋は、おまえ、の」(カタッ、コトコト)
蟻A「この部屋は『寿命の間』だ。この中にはばあさん蟻がいて、糸車を回している」(カラカラカラ……)
蟻B「その、糸の、長さ、は、おまえの」(シュルシュルシュル)
蟻A「糸の長さがおまえの寿命というわけだ。だから見せてしまうわけにはいかないのだ!」(シュルシュル……。コトコトコトコト)
キッパータック蟻「ぼ、僕の寿命?」(カタッン――)
蟻A「ああ、だから――」(…………)
「ああっ、なんか、音がやんでませんか?」キッパータックは扉に突進した。
「こらっ! 見せられないって言ってるだろ!」案内蟻たちはキッパータックの体を掴むと引き離そうとした。
「でも、音が――」
「大丈夫だ、おまえまだ生きてるだろ。音がやんだなんて気のせいだ」
「聞こえない、聞こえない。さっきまで聞こえてたのに――」
「お、落ち着け、キッ、パー、タッ、」
三匹は争って地面にひっくり返った。土にまみれて、それを細い手足で払っていると、扉の向こうから「カタン、コトン」とまたリズミカルな音が聞こえだした。
「はあー、よかった」キッパータックは
「だから言ったろ」蟻は
「わかりました」キッパータックの黒い頭が縦に動いた。「僕も覗くのはちょっと怖い気がするのでやめておきます」
「そろそろ、夢も、覚める、ころだろ」
「え?」
目が覚めたとき、視界に飛び込んできたのはピッポとサラの顔だった。
「キッパーさん、大丈夫ですか?」サラの手が伸びてキッパータックの体が起こされた。
「もう蟻じゃない」キッパータックは砂まみれの自分の手を見た。砂の上でずっと寝ていたようだ。
「けがはないかい?」とピッポ。「絨毯から落ちてしまったようだね。僕たち話に夢中になっていて、君が落ちたことに気づかなかったんだ。あれっ、いないなって思ったらここに倒れていた。……やわらかい砂の上でよかったよ」
「蜘蛛は?」キッパータックはきょろきょろした。
ピッポがプラスチック皿を見せた。中におとなしく収まっている蜘蛛を見て、キッパータックはほっと胸をなでおろした。
キッパータックはゆっくり立ち上がると、体の砂を払った。「ごめん、サラさん。滝の上を見てきたんだけど、どこから砂が落ちてきているのか結局わからなかったんだ。想像以上にずっと高いところに源があるみたいだ」
「私の方こそ無理を言ってごめんなさい」サラはものすごく恐縮しているという表情だった。「この滝のことは謎のままの方がいいのかもしれませんね。どこか、私たちの知らない天の世界から落ちてきている砂――そういうことなんだわ」
二人はそろそろ帰ると言って、揃って門を出ていった。キッパータックは蜘蛛の乗った皿を手に家に戻った。
長い長い一日を過ごした気がした。
そして自分は蟻になった――とキッパータックは思った。夢の中で。
携帯電話が鳴った。相手は清掃業のときのお得意様だった。
「おーい、キッパータック君。今から来られない? この前話した例の魚、手に入ったんだよ。刺身でもいける新鮮なやつ。よかったら取りにおいでよ」
「いいんですか? ……ではお言葉に甘えて。今から伺いますね」
キッパータックは車庫から車を出した。掃除などをしている間に、外はすっかり暗色に塗り替えられていた。
「あれ? あの車はたしか……」
心温まるなにかの記念に
「あの二人、まだ帰ってなかったの? なにやってるんだろ」
キッパータックは去っていく風景を
キッパータックはつぶやいた。「ああ、そういや、二人が飲んだジュースの
第6話「人生の巣」終わり