ティー・レモン氏の空中庭園(3)──もう一人の客

文字数 1,855文字

 駐車場に車を停めると、樹伸(きのぶ)とキッパータックは塔に入って、エレベーターで十五階へ向かった。大きな木目調の引き戸があり、使用人がそこを開けると、ティー・レモン氏が立っていた。カードの中で見た笑顔より数倍輝いているような相貌(そうぼう)の氏。上品でやわらかな生地の、塔と同化しそうな白の上下の服を(まと)い、頭には先の尖った宝珠型の、これまた真っ白な帽子が載っていた。
「お二人とも、ようこそ」レモン氏はすたすたと速足で近づいてきて、二人の手をさっと握った。
若取(わかとり)さん、キッパータックさん」
「お久しぶりです、レモンさん。お元気そうで」と樹伸。
「はじめまして、キッパータックです」とキッパータックも挨拶をした。
 レモンは改めてニッと唇をカーブさせた。「こうして穹沙(きゅうさ)市を代表する大庭主(だいていしゅ)さんたちにお会いできることはこの上ない喜びです。ビジネス抜きの、心の通った親交。平和な語らい、安らぎというもの……。私が日々の生活の中でしょっちゅうなくしてしまう時間ですよ。これを味わいたくて大庭主になった。庭は、私の理想そのものです。仕事を引退するまで手に入らないと思っていた」
「私にとっても大庭はなくてはならない場所です」樹伸も同調した。「大庭が私の平和です。そして穹沙市の中でもっとも輝く偉大な平和を作りあげたのがあなた、レモンさんですよ」
「いやいや」レモンは恐縮した。「私もあなたのように百年以上世の中を見続けられたら、本物の平和な世界がわかるのかもしれませんが、今はまだ戦いの最中でして。人気一位はたしかにありがたいです。しかし、それを(ふところ)に刻む間もなく仕事に埋没しなければならない、こんな大庭主が本当にふさわしいのかと思う毎日です。悲しいことです」

 来客用スペースには天板が御影石(みかげいし)の大きなテーブルがあり、そこに若い女の先客があった。レモンは二人にもテーブルの席を勧めた。声を受けて女がくるりと振り返った。
「若取さん、おひさー」根岸(ねぎし)プリンはてのひらをパタパタ振った。「そっちのお兄さんは、五十嵐さんちのパーティーでマジックやってた人だね?」
「プリンさん、相変わらずど派手な格好だねぇ」と樹伸。「キッパータック君、こちら、モデルで女優の根岸プリンさんだよ。知ってるかな? 彼女、鳳凰(ほうおう)地区の第十番大庭の庭主だ」
「はじめまして」キッパータックは軽く頭をさげた。
 プリンは両耳のイヤリングを揺らし、まるで予期せず好ましくないものを見せられたというように眉をひそめた。「わざわざ改まって予約までして来る大庭主だって言うからどんなグッドマンかって期待すりゃ、随分地味~なのが来ちゃったわね」
「見てくれより中身だろ」樹伸は親指を自分に当てて言った。「おれたちゃ勉強しにきてるんだからさ」
「ベンキョーオ? じゃ、あなたたちもあれ? タム・ゼブラスソーン対策ってわけ?」
「え?」
「知ってるっしょ? 四月にうちの庭がタムの餌食になったじゃん。警察がさ、人気ランキング上位の人が狙われてるんじゃ……なんて言うんだよ。でもここ、レモンさんちはやられてないじゃん? 一位なのにさ。ということで、なんかドロボーに入られないすっごい対策でもやってんのかな? って思って気になって来てみたわけよ。でも、レモンさん(いわ)く、たいした対策はやってないってさ。ま、来るなら来いって感じかしら」
「タムに狙われたんですね」とキッパータックは言った。「僕たちは庭観賞です。でも、僕の家にもタムの仲間が来ました。うちは人気のない庭なのに」
「マジックの道具でも盗まれた?」プリンはグラスの水を傾けて訊いた。
「飼っている蜘蛛(くも)が盗まれそうになりました。危なかったんですが、ちょうど森へ放していたので、助かりました」
「飼っている蜘蛛って――」プリンはグラスを置くと、怪訝(けげん)な顔になった。「ゴキブリを飼ってるって女性の話はインターネットで見たことあるけど、今度は蜘蛛ですか。うちなんて普通のコーギーよ。なんでもかんでも飼いはじめるのね、昨今は」
「でも、彼の蜘蛛はすごいんだ」樹伸がフォローするように言った。「彼のマジック見たんだろ? あれ、蜘蛛がやってたんだから、実は」
 プリンの切れ長の瞳が見開く。「はあ? お兄さんだと思ってた人、蜘蛛だったの? どんなファンタジーよ、それ」
「いや、そうじゃなくて……」
 レモン家の使用人がテーブルに着いた二人にも飲み物を運んできた。プリンは「私はもういいわ」と断りながら、隣に座ったキッパータックの体を指でつんつんと突きだす。蜘蛛の変身かどうかの確認、ということらしい。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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