ティー・レモン氏の空中庭園(2)──その庭園は翼のように

文字数 1,694文字

 (つづ)めて言えば、若取(わかとり)樹伸(きのぶ)はレモン氏の空中庭園にさっそく予約を入れることになったわけである。彼は平和を愛する百三十歳の大庭主(だいていしゅ)。人間としても大庭主としても年季が違っていたから、その平和を(きわ)めるための努力、庭園管理に向ける姿勢には並ならぬものがあった。彼は太陽のような、と言っていいだろう。地上の物体で彼の熱を避けて通れるものはない――といったところで、キッパータックのような「低温動物」を見れば熱線を送らずにはいられなかった。なのでキッパータックが自ら「空中庭園に行ってみたい」と発したことは、冬眠中の熊が覚醒したようなうれしい春の訪れだった。
 第十八番大庭、火龍(ドラゴン)地区にあるティー・レモン氏の『空中庭園』。レモン氏は予約の電話に大変に喜んで、「当日、貸し切りということにしましょう」と言ってくれた。「もしかしたら、ほかの大庭主も来るかもですが、とにかく、大庭主同士ゆったりと語らう一日――ということにしましょう。シェフにごちそうをいっぱい作らせます。楽しみにしていてください」

 予約当日、樹伸は上機嫌で、キッパータックの運転する車の中で鼻歌を奏でた。
「レモンさんは多忙だから、穹沙(きゅうさ)市にいつもいるわけじゃない。その貴重な時間を我々のために割いてくれるっていうんだからな」
「レモンさんちの庭園、本当に空に浮かんでいるんですか?」キッパータックが見ているのは車の窓から見える天馬(ペガサス)地区の上の澄んだ青空だった。
「あれほどテレビコマーシャルやなんやらで紹介されてるのに見たことないのか? 君は忙しいっていうよりもぐりなんだな」樹伸は呆れた。「ま、実際を見てわかった方がいいだろうがね。レモンさんの住まいや事務所やらが入っている十五階建ての塔があってね。その十五階に庭園があるんだ。あのようなだだっ広い庭が塔を挟んで左右に翼のように広がっていることを考えたら、まさに奇蹟の庭園って感じがするよ。あの庭なら人気一位を譲っても惜しくはない、そういう庭さ」

 火龍地区は穹沙市の西の端にあるので、車で一時間以上かかった。西側の地区というのはほかに、地獄番(ケルベロス)地区、獅子女(スフィンクス)地区、白虎(びゃっこ)地区、牛頭鬼(ミノタウロス)地区と、名前の響きからして不穏である上に、広大な森や山のあわいに街が作られているところが多く、居住環境としては今一つと言われていた。その中で唯一、火龍地区は毎年地価が上昇し続けている人気の場所だ。車も、火龍の懐に入った途端、(にら)みをきかせていた樹木郎党がさっと道を空け、折り目正しく整列したフレンドリーな街路樹たちに取って代わった。有名な音楽広場があり、西洋文化を基礎とした学校が並び、調味料メーカーの工場とその経営者家族たちのネープルスイエローの屋敷が続き、その奥がティー・レモン氏の豪邸だった。
 樹伸が言ったとおり、中央に十五階建ての真っ白な塔。その頂の左右に、めいっぱい広がる庭園の土台となるコンクリートがくっついている。まさに翼のように高く風に掲げている格好だった。ただ塔の十五階に繋がっているだけの、あとは空気のみに支えられているという、青空に浮かんだ庭園。何度か訪れたことがある樹伸によれば、正面から見て右側はレモン家のプライベート・ガーデンとなっていて、ゴルフのちょっとしたコースとプールがある。左側が客を招く、いわゆる毎年人気投票で一位を獲得している大庭ということだった。すべてデザインはシンプルであり、色も塔と同じく白が基調。花壇は風害や運搬等を考慮に入れ土は使わず粒子の粗い砂や合成培地を利用したもので、風力オルゴールが〝世話係〟だった。このオルゴール、実はコンピューター管理されているロボットで、仕掛けが動き控えめな音量の旋律を流しながら植物に水を与える様は、たとえ風がそれほどない日にも自然発生的に起こっている非人工的な営みを見ているようだと人々に絶賛されていた。園夫の鼻歌も管理室のスイッチ一つで流したり流さなかったりできるなどは言わぬが花であった。どこに「風力」が関係しているのか、謎だ。
 ほかにも青空レストランに美容砂を敷き詰めた散歩道、またウィンドセラピーの体験も楽しめるようになっているという。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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