盗まれた像(2)──五十嵐夫人のタロットカード

文字数 4,444文字

「ここに、円紙幣があります。千円です」キッパータックは見守る眼差したちに一枚の紙幣を確認させた。
「これを折りたたんで――」両手に挟み込み、もぞもぞとこすりあわせる。
「消えました」マジシャンは空のてのひらを広げた。観衆から「おおー」という低い唸りが起こる。キッパータックは上着のポケットに手を突っ込んで「ここに移動しました」と再び千円札を取りだして見せた。
「実はこのポケットは、」キッパータックはポケットの裏地を引っ張りだして、中になにもないことを証明してから言った。「宇宙に……いや、時空……四次元? そう、四次元に繫がっているので、今はからっぽですが、ここからいろんな物を取りだすことができます」
「ほほう」すでにいろいろな単語が出てきたので、客はどれで納得したものか迷ったが、とりあえず四次元が本命らしいと思った。
「どんな物でも出てくるの?」と女性が質問した。
「すべてというわけでは……。ポケットから取りだせる大きさの物だけです。それと、僕と蜘蛛が――いや違った、皆さんがよく知っている物、よく知られている物なら大体、取りだしてお見せできると思います。なにがいいですか?」
 男性の一人が色めきだった。「大抵思いつくようなものは用意してあるってことだな? こりゃ知恵比べになるぞ」
「私が決めていい?」先の女性が手を挙げた。「指輪はどう? ただの指輪じゃつまらないわ。ダイヤモンドなんかどうかしら?」
「ダイヤモンド……」キッパータックはつぶやいてポケットをまさぐると、てのひらを開いてみせた。
「ダイヤモンドだ!」客は沸いた。しかし、宝石のみの姿だったので、出題者は「でも指輪じゃないわ」と指摘した。
「そうだった、指輪だった」キッパータックは慌ててポケットに手を戻し、指輪の姿に変えてから見せた。
「ちょっと触らせて?」
 迫ってきた手をキッパータックは制止した。「だめです。触られるとなんか違うって思われるかもしれないから」
「なんだよ」一人が笑った。「贋物か? でも贋物でも用意できたってことがすごいな」
「じゃあ、次はおれ」別の男が名乗りでた。「栗――なんてどうだ? まだ季節じゃないから出せるかな?」
「栗ですか……」もぞもぞしてからてのひらを開く。
 客はきょとんとして覗き込んだ。「それ、甘栗だな。おれは殻付きを想像してたんだけども」
「栗って、天津甘栗のことかと思いました」キッパータックも自分で取りだしたものをまじまじと見つめた。蜘蛛は命令どおりにやっただけだ。
「それは本物? 食ってみろよ」
「食べるんですか?」キッパータックの声は裏返った。しかし大勢に見つめられ気が動転してしまい、思わず口の中に放り込んだ。
「ああっ! ほんとに食いやがった!」樹伸(きのぶ)が大声を発したので、「若取さん、どうしたの?」と客の一人が不思議がった。
「ああ、いや、なんでもない」樹伸が笑ってごまかしている最中に、キッパータックは口の中の物をブッ、と床に吐きだした。
「おいおい、どうしたんだよ」
「すみません」マジシャンは頭を掻いた。「口に入れたのははじめてなので」
「甘栗食ったことないのか。めずらしいな」
「なあ、ありきたりなものなんてやめようや」樹伸がさらに盛り上げるつもりで声を張りあげた。「キッパータック君、蜘蛛を出してみてくれよ。しかも普通の蜘蛛じゃない。脚が十本ある蜘蛛──なんてどうだ?」
「脚が十本の蜘蛛ですって?」女性が驚愕した。「そんなもの取りだせるの?」
 キッパータックはちょっと考えたが、心を決めてポケットをまさぐった。恐る恐る掴んで取りだす。蜘蛛たちは自ら蜘蛛であるというプライドを捨て、力を結集し、三十匹ほどで一匹の大蜘蛛に変身していた。
「一、二、三、四、五……ほんとだ、脚がちゃんと十本あるぞ!」
「しかも見たことない蜘蛛だ。おい、今動いたよな?」
 蜘蛛たちはごそごそと十本ある脚を上下させ、主人のてのひらの上で体の向きを変えた。
「生きてるのか! どこから持ってきたんだ、それ」
「新種の蜘蛛じゃないか?」
「いや、精巧に作られたおもちゃかもしれない。ちょっと貸してくれないか?」
「だ、だめです!」キッパータックは握りしめるとポケットに返した。「やっぱりこういうことはやっちゃいけないんだ。人をだまして楽しむなんて――」
 うつむいて苦悶に震えるキッパータックを見て、観衆は今日一番の衝撃を受けた。
「おいおい、ただの手品だろ? そんなに深刻になるなよ。だまされてこそ本望を遂げられるんじゃないか」
「そうだよ、キッパータック君。君の手品はなかなかおもしろかったぞ」
「ああ、どうやって取りだしたのかは知らないけど、たいしたもんだ」
 一同から拍手が起こった。キッパータックは恥ずかしさやら申し訳なさやらいろいろな感情で集まってくれた人たちを眺めたが、最終的には照れ笑いとなった。

 緊張のステージから解放された若者の背を樹伸はポンポンと叩いた。「よくやった。こっちは心配で長寿が途切れそうになったけれどもね。まあ、成功したんじゃないか? 君はもう有名人だよ」
「そんな、有名人だなんて……」
 その後、ピッポ・ガルフォネオージも加わり、彼の作ったスープに舌鼓を打っていたが、近くのテーブルで起こった高波に興味をさらわれることになった。
 ピッポが言った。「五十嵐夫人お得意のタロット占いではないですか? 行ってみましょうよ。キッパー君も占ってもらうといい」
 麦緒(むぎお)はキッパータックの手品の三倍くらいの人を引きつけ、占い用らしい小型の台の上でカードを切っていた。
「奥さん、それ新しいカードじゃない?」くわしそうな者が訊いた。
「そうなの」と麦緒。「今日お披露目しようと特別に取り寄せたものなのよ。ほら、このカード、普通のものより一回り大きいでしょ? シャッフルするのが本当に大変で、私の小さな手じゃなくても用心しないとこぼれ落ちてしまうのよ。でも、それがこのカードの特徴なの。落ちてしまったカードは占いには使用しない。それは、私たちが次々と選択を迫られる人生の、選ばれなかった『捨てられた道』を表しているの。私たちの一つの体が進んでいけるのは結局一つの道じゃない? 頭の中では欲望と同じ数だけ可能性が存在しているような気がするのにね。その幻想の霧を晴らしてくれるのが占いなのよ」
 麦緒は手に残ったカードを見た。「あら、『人めかし』と『殺生(せっしょう)』二枚だけしか残ってないわね(床に落ちたカードを見る)。これじゃ三枚目の未来のカードが引けないけど……まあ、そういうこともあるわね。未来は結局、まだ来ていない時間のことなのだから」
 数人占った後、キッパータックも夫人の前に押しだされてしまった。
「あなた、配偶者か恋人はいらっしゃって?」麦緒が訊いた。
「いえ、独身です」
「では、あなたの結婚相手について占ってみましょう」
 はじまって数秒もしないうちに、麦緒はどっさり半分以上のカードを床にまいてしまった。それでも意に介さず、無表情で大振りなカードをかきまぜ続ける。
「恋人を表すカードが足りないから……いいでしょう、未来のカードにあなたの結婚について訊いてみましょうか。カードは『山葵(わさび)』。美しい清流に洗われる充実した日々を送っているにも関わらず、その身の内には人を涙ぐませる猛烈な辛みを閉じ込めている。どうしようもない矛盾撞着があなたよ。世間にはあなたにぴったりのかわいらしいお嬢様がいらっしゃるというのに、あなたの気持ちは背を向けているの。それではだめだとカードは言っているわ。苦しみの元を解き放ちなさい。そしてあなた自身が美になるのよ。『山葵』は結局は、人を楽しませる存在なのだから」
「はあ……」とキッパータックは返事した。
「なかなかおもしろいじゃないか、ご婦人」と、立ち見客を掻き分けて一人の男が出てきた。
 麦緒は男の奇妙な格好――パナマハットに真っ白い仮面で顔を隠し、緑色のマントを羽織っている――をしげしげと見て言った。「私、すべてのお客様にご挨拶させて頂いたと思っていたのに、あなたははじめてお会いする方じゃないかしら」
「そうとも」男は返事した。「おれ様はここにいる連中みたいにどこにでも転がってるわけじゃないんでね。それじゃあ挨拶代わりに占ってもらおうかな。さっきからあんたが安っぽいカードを盛大にまき散らしているのを結構な茶番だと思いながら黙って見学していたが、もう我慢の限界だ」
「随分不遜な物言いをなさる方ね」麦緒は面と向かっての大胆な批判にとまどいながら言った。「お名前は?」
「怪盗紳士、と呼ばせてやろう」男はマントをつまんで払う、というポーズを取った。
「怪盗紳士? ……ルパンさんね? で、あなたのなにを占いましょうか」
 男は仮面の(あご)を指でこすった。「おれの未来を想うと、一体どれほどの偉業を成しているのか自分でも恐ろしくなるくらいだ。そんな当たり前のことを占ったっておもしろくない。やっぱり、目の前の成功が、今日の一歩が、未来を実現させていくんだと思うよ。今日、この屋敷から、おれは無事逃げおおせているか。目当ての獲物を無事運びだせるか――」
「あの……、あなたは一体――」
 男は麦緒の大事なカードの上に大きな手を振り下ろしてテーブルを叩いた。「この東アジア一の庭荒らし、タム・ゼブラスソーンに恐れをなして動けなくなったか? 人の能力を嗅ぎ分けるだけの知恵はあるらしいな」
「タム・ゼブラスソーンだって?」隣に立っていた客が珍客から距離をとって驚き見た。
「でも、やつは仁科さんちの庭に入ってから行方知れずだって聞いたんだが」
「おまえたちに行方なんぞわかってたまるかい!」名乗った男はテーブルを打ち鳴らす乱暴な演奏を続けながら、周りの者に仮面の穴から覗く邪悪な目を披露して言った。「おれという英雄を見かけねーなと残念がるな。おまえたちの庭もいずれ近いうちにおれの餌食にしてやるから。おれのためにアホ面をいっぱい並べてくれてありがとうよ。おまえたちがおれの未来のカードだ。汚い地面に伏してお寝んねするだけの用無しのカード。うん、まさにそのようだ、傑作だな。さあさあ、そうやってぼんやり突っ立っていられるうちに帰った方がお利口と思わねえか? おまえたちがなにを所有しようと、もう空っぽも同然なんだぜ? なにが国が認めた大庭だ。おれのものを国が勝手に管理するなんてよ」
「やめて!」麦緒は眉間に両手を当てて叫んだ。「これ以上下品な物言いを聞いていたら頭が割れてしまうわ。汚い手もカードからどけてちょうだい」
「ほとんどばらまいてやがるのになに言ってんだ!」
「ああ、」声を残して、麦緒の体はくずおれた。「五十嵐さん!」と何人かの大庭主仲間が駆け寄る。
 タムは帽子と仮面を投げ捨てた。赤黒い、(わら)いにぎらついた顔がさらされた。
「あいつを捕まえるんだ!」ピッポがタムを指差して言った。「大勢で飛びかかるんだ! 女性は警察に通報してください」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み