愛の行動(3)──わからないことだらけだ

文字数 3,390文字

「ということは、神酒(みき)さんのお連れさんって、彼女ですか?」
 神酒には一回り以上年下の彼女がいて、東京で働いているという話をツアーのときに聞いていた。
「そう」と正解に頷く神酒。「もちろん、僕の暗証番号つき魔法のカードでなんでもどうぞどうぞ、とは言ってないよ、さすがに。荷物持ちだってほんとは嫌だから自宅配送をお願いしたいくらいだし」
「東京から来られてるんですよね?」
「うん。……彼女が来たんじゃなく、僕が無理言って呼びだしたって感じかな。だから、彼女が行きたいところへはとことんつき合う懲役四十八時間……なんちゃって」
 キッパータックは、そこになにか特別な背景があるのだろうか、と考えてみた。しかしその思考を遮るように神酒が質問する。
「君は? あの森林庭園の、茶目っ気溢れる女性……(かない)さんだっけ? 一緒に来ればよかったのに。彼女は仕事だったのかな?」
「ああ、いえ、その……」とキッパータックは頭の後ろに片手を回す。「叶さんとはおつき合いしているわけでは……」
「おいおい、そんなのんびり構えてて大丈夫なのか?」神酒は大げさに呆れてみせた。「同業だってことが不利に働くこともあるんだぜ? ぼぉっとしている場合じゃないと思うけどな」
「不利……とは?」と訊いてみる。
 神酒は親切に教えてやる。「叶さんは、仮に経理まで担当していないにしても、大庭の懐事情のことはよく知っているだろう。森林庭園と砂の滝がある日本風庭園は、規模も大差はないし、年間の見物客の数、人気ランキングの順位まで仲良く肩を並べているだろ? つまり、どれくらいの観光手当が入ってくるか、想像がつく。そういうのをさ、相手に掴まれているってことは、君の首には値札が下がっているみたいなもんじゃないか」
「値札……」
「そう。まあ君は、だから清掃業という副業を持っているわけだけれど、それは切り札にはならないよな。結婚したら亭主はそっちにかかりっきり、庭園管理業務は自分に押しつけられる、という不安に結びつくだろう。日本人の美意識が繊細なせいで、日本の庭園は手間もほかよりずっとかかるしな。叶さんが自分の周りのめぼしい男性陣を天秤にかけはじめたら、君は丸裸みたいなもんだ。丸裸に、寂しい金額が書かれた値札が下がっている。こりゃ相当厳しい戦いになるだろうな」
 キッパータックは自宅の冷蔵庫の中身を挙げ連ねられたような気持ちで弱った顔をした。叶は本当に、知り合いの男性を片っ端から結婚相手の候補にピックアップしていて、そんな想像をしているのだろうか。
 神酒は指南を続けた。「女性は、そういう現実的思考を、計算を、実に抜け目なくやってるもんさ。僕たちみたいにロマンに溺れることなく、ね。……ただ、同時に別方向の感情もあるといえば、ある」
「別方向の感情?」とキッパータックは復唱した。
「そう。現実的思考はあくまで一方向で、あまねく世界を支配しているわけじゃない。たとえば、配偶者が失業したり体を壊したりしたとする。それだけの理由で『別れます』と言う人はほとんどいないよな? それは家族という絆や愛情があるからさ。憐れみとか優しさでもいい──誰の人生にも困難はつき物だしね。しかしそれって、生涯を誓い合った相手にだけ発生する感情じゃないんだ。いろいろ、現実をくじく悪条件を抱えた相手にさえ、『この人でなければダメなんだ』と言う人もいる。恋みたいに、一時的に燃えあがっているだけの想いであっても、それが人生を選択させているならすごいことだし、現実的思考が唯一(かな)わない相手と言えるかもしれない。だからもし、君が経済的には負けるような敵が現れたとしても、叶さんにとって君が特別な存在になってしまえばまったく関係なしだ。どれほどの預金額や美貌の持ち主がいたとしても、きっと勝てるだろう」
「はあ……」という声をキッパータックはもらした。自分がそんな存在になり得るなど想像もできないし、女性の現実的思考からすると、かなりマイナス面を持っていることは理解できた。
「とにかく、そうなりたければ、叶さんがいろいろ考えだす前に存在を強くアピールしておくことだ。君はちょっと、押しが弱そうだからねぇ。あっさり逃げられそうで見てらんないよ」
 神酒がそう言って笑うと、キッパータックはまるで同意するかのように告白した。
「僕は恋愛があまり得意じゃなくて。親戚から紹介してもらった女性としかおつき合いしたことがないんです」
「じゃあ君、もしかして、自分発進で恋をしたことがないとか?」驚く神酒。
「そうですね。ないと思います」
「それはちょっと寂しい人生な気もするが、まあ、そういう人もいるのかもな」神酒は考え考えつぶやいた。「人生の中でなにに価値を置くかは人それぞれだものな。僕の商売道具である宝石だって、興味がない人にとっては石ころ同然だ」
「でもこの後、叶さんと会う約束をしているので、デートに誘ってみます」とキッパータックは言った。
「うん、それがいいよ。君たちは(はた)から見てもお似合いだし。健闘を祈ってる」神酒は会話を打ち切ると、腕時計型電子端末に目をやった。「……成海(なるみ)から連絡が来ない。たかだか財布一つ選ぶのに何十分かかってるんだ? まあ、指輪ができあがるまでもうしばらくはかかるだろうから、いいけど」
「指輪!」とキッパータックは驚いた。「それってもしかして──」
 そうか、神酒は彼女と結婚するつもりなんだとキッパータックは得心(とくしん)した。それなら、わざわざ東京から東アジア(こっち)へ来させる理由がわかる。
 しかし神酒、「ああ、いや」と表情が澱む。「そういうんじゃないんだよ」
神酒(みき)さんが宝石商だからって、お客さんとして売るわけじゃないんでしょう?」とキッパータックは食い下がった。
「例の、アピアンだよ」と神酒は笑顔を復帰させ言った。「知り合いの宝飾デザイナーに頼んで、アピアンを指輪に加工してもらってるんだ。それが今日、できあがる予定で、それで遠いところ無理して来てもらった。もしかすると、僕はもう成海と会えなくなるかもしれないから、お守りとして渡したくて」
「え?」
 アピアンとは、アジア各地で発見されているという、ファフロッキーズ(怪雨)的・出所不明の不思議な石のことで、神酒はたった一つ持っていたそれをケースに入れ、ネックレスにして、肌身離さず持ち歩いていた。
「僕は宝石商だ。婚約指輪だったら、アピアンなんて使わずにもっと高級な石にするさ」

 それから二人はひたすら押し黙った状態になった。ここ数分の間の会話はどれもキッパータックには手に負えない(たぐい)のものだったし、今も頭をぐるぐると回り、彼を苦しめていた。神酒は彼女とデート中──でももう会えなくなるかもしれない。宝物のアピアンで指輪を注文している──しかし婚約指輪ではない。
 思えば、大庭の知名度をあげ、見物客を増やす方法もわからない。男女の機微(きび)もわからない。外側に穴があるだけのドーナツがなぜこんなにも人気があるのかもわからない。
 自分は本当にわからないことだらけなんだ──。悲しみが込みあげてくるキッパータックだった。汚れをきれいにする方法や飼っている蜘蛛・アダンソンハエトリのことなら少しはわかるけれど……。
 ふと、「豆湯の会」のことを思いだした。あのクイズ。人食い蜘蛛の話。あれも、愛がわかっていなければ答えに辿り着けないということだ。自分の力では一生解明できないだろう。
「そういえば最近、クイズを出されて、その答えが全然わからなかったんですが……」
 重くなった空気を変えようと思い、振った話題だった。
「ふーん……」神酒は背中を丸め、手に顎を乗せ、広場の施設の入口に視線を留めたまま、キッパータックが話したことについて考えてくれているようだった。「大勢の化け物蜘蛛の中から好きな女性の蜘蛛を見分ける方法ねえ……。しかし、人間に蜘蛛を見分けるなんてできっこないんじゃ──」

 神酒はいつの間にか立ちあがっていた。「それって……」
「え?」
「あ、いや、ごめん。キッパータック君、もう僕は行くよ」
 神酒はそう言うと、どこか疲れた表情をさげて、階段をおりていった。
(神酒さん、元気なふりをしているようにも見えるけど、大丈夫かな……)
 デートや指輪にも、楽しくなれない事情が含まれることがあるのか──。キッパータックにわかるはずもなかった。

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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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