アピアンを探せ(6)──救急箱の中の手紙

文字数 3,183文字

「救急箱を穴の中に?」と(かない)は訊いてみる。
「こっちでロープをおろして助けるにしても救助隊を呼ぶにしても、状況がわからなきゃ手が出せないでしょ? だから──」説明しながら白水(しろうず)はロープの端を救急箱の持ち手に結びつける。「この中に薬とか、中が暗かったらいけないから懐中電灯も入れて、届けます──この長さで彼らがいる底まで届けばいいんだけど。それから、手紙も添えて、キッパータックさんたちの状況も書いてもらうんです」
 白水は手紙を書きはじめた。


 道場の白水です。助けを呼びますから、穴の中がどういう状況か教えてください。
 皆さん、無事ですか? けが人はいますか? もしいるなら、どれくらいのけがかもくわしく教えてください。中の薬は取って自由に使ってくださって構いません。
 底は十分に動き回れるほどの広さがありますか? 息苦しくありませんか?
 その他、気づいたこと、してほしいことがあればなんでもこの手紙に書いてください。

 書き終わったら救急箱に手紙を入れて蓋をしっかり閉め、ロープを三回引いて、合図をください。箱を引きあげます。


 叶は着々と救助のための準備を進める白水に尊敬の眼差しを注いだ。自分より大分年下、きっと二十代なんだろうが、頼りになる──。
 白水は手紙とペンを救急箱に収めると、蓋の金具をしっかりかけて、穴に向かって声を送ってから、ゆっくりとおろしはじめた。側面が斜めになっているせいで、救急箱は度々壁に衝突し、こすれて、激しく回転しながら落ちていく。蓋が開いてしまわないかとヒヤヒヤしながら、であった。やがて、白水が握っている部分を除いてロープはすべて穴に飲み込まれてしまった。
「思った以上に深いみたいですね。どうだろう? 彼らに届いてるかな」
「なにか反応あります?」叶も固唾を呑んで見守る。
「あっ!」白水がぴくりとした。「誰かが箱を触っているみたい」
「ああっ!」と今度は叶が大声を発した。
「なんですか?」
「これって……」叶が足下に手を伸ばし、なにかをつまみあげて陽にかざした。「見て、この石。透明で、いろんな色の光が見える。アピアンかも!」
「はぁ!?」白水は険しい顔になった。
「そっくりだわ! キッパータックさんが持ってる、神酒(みき)さんの指輪についてる石に。間違いない。これ、アピアンよ!」
 叶は白水に近づいて、彼の顔の前にわざわざ石を持っていき、見せてやった。小さな透明な石がキラキラと光を放っている。
 白水は数秒、ぼんやり口を開けたまま固まっていたが、やがて言った。「石を探しに来てる人たちだって知ってるけどさ、このタイミングで見つけるって、どうなの? 仲間が穴に落ちてるのに」
「その原因を作ったのがこれなのよ」叶は必死に訴えた。「もっと早く見つけてたらベラスケスさんも穴におりずに済んだのに。こんなところにあるなんて……あ、でも、これオプアートさんの石か、結局」
「あのご夫婦なら帰りましたけど?」
「えっ? 帰った?」叶は石をぐっと握りしめる。「私、そのご夫婦一度も姿を見てないんだけど、ほんとに来てたの?」
「おれだって一度しか見てませんよ。まったく、その石を探したいって人はみんな変わり者みたいだ。宿泊をキャンセルして帰りたいって、急に連絡があって。……あ、ロープが三回引かれた。よしっ」
 白水はロープを手繰り寄せはじめた。救急箱が地上へ戻ってくると、蓋を開けて確認する。折りたたまれた紙を開くと、そこにびっしりと文字が並んでいた。


 シロウズさん、ありがとうございます。あなたの行為に心から感謝します。こちらは全員無事です。
 妻が言うには、穴に落ちた私をオプアートさんが助けると言い、キッパータックさんの腰にロープを結んでおろしたらしいのですが、なぜか、一緒にロープを支えていた妻をいきなり突き飛ばしたらしいのです。それで、キッパータックさんも妻も孫のペピタも穴に落っこちてしまいました。なぜ、あの二人はそんな恐ろしいことができたのでしょうか? 私の娘が過去に蜘蛛を使って悪いことをしてしまったことは事実です。その事件の後、世間の人々にいろいろなひどいことを言われました。人間というものについて深く考えさせられてしまうほどに、ひどい嫌がらせも受けました。しかし娘は改心しまして、以来、二度と悪事は働いておりません。私たち夫婦も、太陽の光を浴びれば太陽が作ってくれる自分の影に恥じ入るということもありませんし、神の瞳に見つめられたならば、まっすぐに見つめ返せることは間違いなく、真面目な暮らしを行ってきました。
 もしそちらにオプアートさんご夫妻がいらっしゃるなら、どうしてこのような仕打ちができたのか訊いてくださらないでしょうか? お二人の心に起こった不愉快に、私たちがどう関与しているというのか! 私たちは奥様がなくされたアピアンも奥様の元に返ればいいと、そういう気持ちでおりましたのに……


「長いなぁ……」白水は頭をボリボリ掻いた。「蜘蛛を使った悪いことってなんだよ。穴の中のことを知りたいだけなんだけど」


 妻が落ちたとき、キッパータックさんを下敷きにしてしまいましたが、少し背中を打っただけで大丈夫だと言っております。ペピタもキッパータックさんの顔を踏んづけてしまいましたが、けがはしておらず、元気です。私は手を擦りむきましたが、軽症と言えるでしょう。
 懐中電灯と傷薬はありがたく使わせていただきます。ただ、この穴ですが、実は貫通しております。底は平らで数メートルの長さのトンネルになっており、立って歩くことができるほどの広さもあります。それで、反対側の出口になりますが、そこは目の前を竹藪が覆っておりまして、光も新鮮な空気も入ってくるのでみんなでそこに固まっております。それならば出てくればいいじゃないかと思われるでしょう。しかし視界はすべて竹、何重にも竹なのです。あまりにも鬱蒼としていて先がよく見えません。これでは竹を切るかなぎ倒すかしないかぎり数歩も進めないでしょう。

 そちら側へも戻りたくても高さがあり、よじのぼることは不可能です。私たちの目の前の竹藪を切り開いて、なんとか助けていただけないでしょうか? 携帯端末は持っていますが、電波が微弱でこれも使えません。どうかお返事をお待ちしております。
                              ダニエル・ベラスケスより
 

「オプアート夫妻に突き落とされたって書いてありますね」白水は全部を読み終わると、手紙を叶に渡した。
「はあ? なんで?」叶も急いで手紙に目を通す。「随分長い……って、キッパータックさんのけがのことも少しは言及しましょうよ、弟子も家族じゃないの?」
「見かけによらずタフなんじゃないっス?」白水は叶のことをじっと見た。「お二人は指輪をしていないから夫婦じゃないですよね? キッパータックさんって、あなたの恋人?」
「え?」叶は手紙を持ったまま固まった。
「あ、いいや。今の反応でなんとなくわかりました」
「ええ? ちょっと待って、なにがわかったって言うの?」
「いいからいいから。答えなくていいス」白水は歩きだすと、丘の砂地を抜けて木が倒れているところまで進んだ。「ここからじゃ見えないですけど、この向こうに運動公園があります。その東口付近にたしか竹藪があったはずです。おそらく、手紙にあった〈出口〉はそこに接しているってことかと」
 叶と白水は同時に振り返って、穴の入口から自分たちの足下にできているらしい目に視えないトンネルを視線で辿り想像図を描いてみる。
「山にそんなトンネルができあがっているなんて……オーナーに知らせなきゃな。公園の竹藪は勝手に切ることはできないので、管理者に問い合わせる必要があるでしょうね」
 白水が電話をしてみるというので、叶は道場で待つことになった。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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