神酒の失踪(4)──父親の行方

文字数 4,301文字

 タムはスカートを掴んだまま大股で段差をのぼり、ある洞口へと進んだ。この〈第二コンコース〉の岩壁に開いた四つの穴のうちの一つだ。コナリアンが手を離すと神酒(みき)は顔をしかめたまま起きあがり、タムの背中を追った。
 タムはずんずんと、トンネルを進んでいく。神酒は痛む箇所を手でさすりながら、ついていく。後ろを振り返ってみたが、神酒以外、誰もついてくる様子はない。タムと二人きり、がらんどうな通路にいることに、見知らぬ場所へ誘導されていくことに、段々不安を覚えていく。
 出口からの光が射し込んできて、景色が見える距離まで来ると、タムはぴたりと足を止めた。神酒はタムの大きな体を避けて、自分が見るべき景色を視界に入れようとする。
 どうやら、数十メートルの高さの断崖にいるようだった。鎖が張られた柵や石積みがあるので、整備された登山道なのかもしれない。崖の下には針葉樹の黒々とした樹冠の帯が広がっている。
「一体どこなんだ?」と神酒は訊いた。マジック・ケーヴがいくら〈ワープ願望〉を叶えてくれるといっても、目的地は今のところ東アジア国内に限られていた。どこまで行けるかの実験はすでにコナリアンが行っているはずだ。穹沙市の通路をすべて潰すということは、タムたちは警察のマークが厳しくなっている穹沙市から撤退するという意味だろう。ということは、穹沙市以外の場所?
 タムが口を開く。「ここは中央都・星人(せいじん)地区の山だ」
「星人地区か」
 
 神酒は洞窟から体がはみ出さないように気をつけながら、出口のぎりぎりまで進んで、首を伸ばして風景を(あらた)めた。マジック・ケーヴの出入口は宙に現れることはできないので、必ずどこかの岩壁に通じるようになっている。出入口を示す金色の光はなぜかコナリアン・ヂュオと福田江(ふくだえ)(まもる)にしか視えない。つまり、ほかの者の目には岩壁である部分の内側に秘密のトンネルができあがっているわけで、神酒がもし今ここから飛びだすとしたら、外から見ている者がいた場合、硬い壁を突き抜けて人が現れた、という衝撃の出来事となる。
 なので「人に見られる」というリスクはないわけではなかった。金色の光が視える人間が怪しんで近づくことなく、出入りする姿を目撃されることなく、ずっとケーヴ内に引き籠もってさえいるならば、まるでこの世に存在しない人間のように永遠に隠れていられるということだ。しかも希望の場所までのトンネルを好きに作ることもできるというのだから。これが神出鬼没の大泥棒、タム・ゼブラスソーンを支える秘鑰(ひやく)だった。
 
 神酒はため息をつく。「今度は星人地区にある庭園を襲おうってのか」
「庭園ではない」
「?」
 タムは鬘を掴むと、頭から引きずり下ろした。汗で(ひし)げた褐色の短髪が覗いた。「ここに、レイサの親父さんがいるらしい」
「レイサさんのお父さんが?」
 タムは頷くと、重々しい息を交えて語りだした。「おれがコナリアンに誘われこのケーヴにやってきて、一番はじめにできた通路は、穹沙市・八脚馬(スレイプニル)地区にある介護士事務所へと繋がっていた。そこはレイサの勤め先だった。つまりおれは、同じ養護施設で育った幼なじみに『会いたい』と思っていたわけだ。マジック・ケーヴがおれの心の奥底に眠る感情を拾いあげて、そんな道を作るなんて思いもしなかったから、レイサと出会ったのは偶然だと思い、何年かぶりの再会を喜び合った。それから、おまえも知ってのとおり、彼女の父親が行方不明になった。ドルゴンズ庭園に雇われていて、ドレスを汚した罪を着せられ追いだされていたと知り、怒ったおれは、たまたま仲間が大庭主相手にやってしまった盗みの罪も含めて、タム・ゼブラスソーンという架空の泥棒がやったことにしてしまおうと、そういう浅はかな知恵を絞りだした。なにかアイディアが浮かぶたびにマジック・ケーヴが手助けをしてくれるもんで、どんな突拍子もない悪ふざけもうまくやり通せたよ。おれたちはタム・ゼブラスソーンという〝お遊び〟に夢中になった」
 その過程で、地下庭園の元庭主・福田江護と自分も巻き込まれてしまったのだと神酒は回顧し、虚しさに押し潰されそうになる。福田江はマジック・ケーヴの出入口を示す金色の光が視える人間だった。それがなければ地下庭園もただの盗難被害だけで済んだだろうに。
 不思議な洞窟がある、と当時から庭園に出入りしていた神酒に福田江は打ち明けてくれた。福田江は若いころに妻を亡くしていて、一人息子が日本にいた。その息子に大庭主の仕事を継がせるつもりだったようだが、「日本で家庭を築いている。もう連絡してこないでほしい」という冷たい返事をもらったらしい。その上、交際していたアトラクション庭園の主・仁科(にしな)まきえにもプロポーズを断られたとかで、失意の最中(さなか)にいた。神酒もどうにかして福田江の孤独に凍てつく胸を慰められないものかと考えていたが、まさか、得体の知れない洞窟がその役を買ってでるなんて、想像もしなかった。
 福田江はあっという間にマジック・ケーヴに夢中になり、大庭主の役を他人に譲って、残りの人生をこの鍾乳洞の研究に費やしたい、と意気込んでいた。
 その鍾乳洞を福田江とともに探索しているときに、タム・ゼブラスソーンことガス・ラフローとその仲間たちと出くわした。マジック・ケーヴはすでに彼らが私物化していたし、そこが気に入らなければ留置場へ引っ越すしかないような連中だったので、のこのこ現れた福田江と神酒を拘束しようとした。揉めている最中に福田江は足を滑らせ、第二コンコースの段差を転がり落ちてしまい、大ケガを負った。
 それから福田江は車椅子生活となった。タムは身寄りがない福田江の治療に手を尽くし、介護士として働いていたレイサに世話を任せた。しかし福田江はケガの影響なのかなんなのか、精神的にもダメージを負ってしまい、前後の記憶をなくしてしまう。
 また、タムを名乗りはじめてから「女装」していたガス・ラフローは、それを利用して、事もあろうか「おれは息子の(とおる)だ」と福田江に信じ込ませてしまった。福田江には、息子が大庭主を継いだときのためにと重要なことを書き留めていた「庭管理ノート」があり、それを狙ってのことだったかもしれない。「庭荒らし」のシナリオを描くならば、大庭主として年季が入っていた福田江は利用価値が高い。神酒は以前、福田江から息子の融の写真を見せてもらったことがあるのだが、タムの風貌とは似ても似つかぬ、という感じだった。それでも記憶に(かさ)がかかっている福田江に「あなたはだまされているんだ」と教えることはできなかった。そばで献身的に面倒を見てくれるタムとレイサに福田江はすっかり心を許してしまっていたし、神酒も彼らに脅される身の上にあった。もしじゃまをするなら身柄を拘束してケーヴ内に閉じ込める、と言われた。コナリアンの拳法の前に逃れる道はなかった。
 彼らの犯罪を見て見ぬふりを続けてきたのは、その恐怖心からだったのだろうか。福田江を人質に取られる恐れがあったから? それとも、レイサに同情したからか……。どんな言い訳をしても、自分はもう泥棒の立派な協力者なんだ。


 タムは話を続けた。「おまえが言ったとおり、レイサは庭荒らしを続けるおれたちを心配していた。レイサの悲しみは、親父さんが無実となっても消えなかった。そのことに気づくのが遅すぎた。マジック・ケーヴがおれたちの行きたい場所までの道を作ってくれるなら、『レイサの親父さんがいる場所』も探せるはずだと……」
「で、レイサさんのお父さんは、この近くに住んでいたのか? 会えたのか?」と神酒は息せき切って尋ねた。
 タムは静かに答えた。「レイサに、父親の居場所がわかったかもしれないと、ここへ案内したところ、ショックを受けて倒れた」
「それで体調を……」神酒はもう一度外へ目を向けて、崖の下に広がる林を眺めた。
「まだ死んじまったと決まったわけでもないのに」とタムはつぶやく。
「まあ、」と神酒も脱力し、言葉を絞りだす。「父親の居場所だと言われて、こんな断崖を見せられたら……」
「ドレスに泥をかけた犯人はまだドルゴンズ庭園にいるぞ」タムは今度は目を爛々(らんらん)と見開くと、言った。「それもマジック・ケーヴが教えてくれたのさ。『ドレスに泥をかけてレイサの父親に罪を着せた犯人の居場所へ連れてってくれ』とマジック・ケーヴに頼んだところ、ドルゴンズ庭園内に道が繋がったからな」
「なるほど」真相がすべてわかって、神酒は息を吐く。「それで、ルカラシーに犯人を引き渡せと交渉するつもりか?」
「犯人などどうでもいい」タムの歯がギッと噛み合わされる。「ルカラシーのヘンタイ野郎がすべて悪いんだからな。犯人でもない人間を追いだし、犯人を(かくま)ってやがる。あいつにレイサの父親を探させる。父親に会って、目の前で、謝罪させるんだ」
「どうやって!」
「もし、あの林の土の下に眠っていると言うなら」とタムは腹の底から声を、怒りを、発した。「一本一本木を引き抜いてでも、ルカラシーに掘り起こさせる。親父さんの骨、二百本、すべて残らず拾いあげるまで、あそこに這いつくばらせてやる。それができないならドルゴンズ庭園ごと握り潰して山の肥料にしてやるさ。当然だろ? あいつが親父さんをこんな山に追い詰めたんだからな。方法はこれから考えるさ」

 二人は〈第二コンコース〉へ引き返した。洞口に「レイサの父親の居場所」と書かれた短冊が悲しげにぶら下がっているのを、神酒は認めた。
「サムソン」タムは神酒へと向き直ると、近づいて胸元を掴んだ。「おまえはアウトローでもクズでもない。おれたちを警察に突きだしたいなら、とっくに出頭しているだろうからな。それができなかったおまえはこれからも、おれたちに大庭の情報を流したという罪悪感に(さいな)まれ続ける。サムソン神酒よ、その胸倉にふらふらと迷いが生じたときは、よーく考えてみるんだ。たかだか食いもんや庭の飾りを盗むだけの泥棒を警察に突きだした方がいいのか、無垢(むく)な男の人生を狂わせた卑劣なヘンタイ野郎を審判した方がいいのか」
 神酒もタムの目を見返しながら言う。「おまえたちがルカラシーを罰したいなら、好きにしろ。でも、レイサさんの気持ちを考えてやってくれ。お父さんを見つけることが最優先じゃないのか? なんなら僕も手伝ってもいい」
「おまえが?」タムは手を離すと同時に神酒を突き飛ばす。
「ぐっ」神酒は尻もちをついて、呻いた。「アピアンじゃなく、レイサさんのお父さんを探すよ」
「きさま……」
 タムは神酒を睨みつけたまま、しばらくの間、立ち尽くしていた。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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