第15話 アピアンを探せ(1)

文字数 4,340文字

 コナリアン・ヂュオ。拳法の達人であり、それ以外の何者でもない人生を送ってきた男が、品のあるグレーのスーツを着ている。乗馬などではない、別の理由であちこちに傷を蓄えたスキンヘッドにもやわらかなフェルトハットが被さっている。それでも隠しきれない顔つきや雰囲気でマフィアのボスに見えなくもなかったが、さすがに洞窟住まいの獣とは誰も想像しないだろう。
 彼は中央都の繁華街を訪れていた。ビルの二階へ続く階段をのぼっていく。教えられたとおり、外国語のプレートがかかったドアの前で連絡用のアプリに空メールを送る。数秒後、ドアのセキュリティが解除される。中は二間続きの事務所であった。正面のデスクはからっぽで、隣の部屋の開いた戸口から若い女が半身を覗かせ、目顔で合図をくれた。
 コナリアンは悠然と入っていった。緊張や警戒を殺すことには()けている。信頼できる仲人役がいるとはいえ、場合によっては野蛮な人物たちに取り囲まれる可能性のことも考えていた。相手も異臭漂う世界の住人──芸能人なのだ。
「どうぞ」
 依頼人キララ・ユクは、長い髪に細かなウェーブをかけ、世間で知られているとおりの長身だった。見栄えのする肢体は地味なカジュアルスーツで抑えられている。
 コナリアンが帽子を取り、勧められたソファーに腰をおろすと、相手も迷うような仕草の後で向かいに座ってくる。
「こういう商売なんで名刺などは持ち合わせておりませんが、ま、レスターさんから聞かれていますよね? はじめまして、ジャック・ウーライと申します。お会いできて光栄です」コナリアンは、タムのおかげで身についた社交性がすっかり板についているように偽名もセリフも舌上(ぜつじょう)よく滑らせた。
「あの……」キララが恐怖心と好奇心との間で揺れる瞳をそっと持ちあげる。
 はっきりした目鼻立ちに派手なメイク。彼女はその印象に似合いの役柄一辺倒でやってきた女優だった。銃を手に反社会的勢力と戦うとか、主人公に罵声を浴びせいじめ抜くとか……。しかし、その虚構の世界を裏っ返したように妙におどおどした女だ、とコナリアンは思う。そう、手が大きな人間は反対に小心者である、とよく言われるような感じに。
「いいところに事務所をお持ちですね」一旦話題を変えることにする。「昼間は人も少なく静かで、夜はいつでもふらりと酒を飲みに行ける。あなたの個人事務所とか?」
「いえ、まさか」キララはアンティーク調のつややかなテーブルに視線を落とした。「事務所の社長の甥っ子さんの……。一階のバーを経営なさっています」
「ほぅ。では今度は夜に来るとしよう」コナリアンは肩口を少し(かし)がせてビジネスに移りたい意向を示した。「詳細ももちろん聞いてはおられるでしょうが、私がやるのは『人探し(・・・)』です。生死が不明であっても探すだけ探します。地球の裏側であるとか、アジア以外の場所となると時間はかかるかもしれませんが──」
「依頼内容は洩れませんよね?」キララは上目遣いをした。
「……あなたはいつブレイクしてもおかしくはないから、醜聞はうれしくないでしょうね」コナリアンは彼なりの和顔(わがん)を浮かべてみせた。
「私は不運に気に入られているようですから、ブレイクなんて……」
 ドラマも映画もろくすっぽ知らないコナリアンだった。なので、紹介者から聞いた情報に加え、携帯端末を使って少し調べてみた。キララ・ユクは、数年前に深夜放送のドラマ『デジタル時計の針とダンスを』で少しだけブレイクした。そのドラマのヒロイン役と相手役の男女がドラマの撮影中に熱烈な交際に発展し、それが世間に洩れたことで、かなりふざけた脚本と低予算のドラマであったに関わらず話題となり、脇役の彼女まで〝おこぼれ〟にありついたのだ。しかしその後は鳴かず飛ばず。私生活では結構なごたつきがあったのに終始脇役の彼女では強い引きを得ることは叶わず、そうならばと目立つ容姿を活かして最近は舞台へと活躍の場を移していた。演技力と歌唱力は元々秀でていたので、少しずつではあるが評価の声が集まっている、と芸能ジャーナル(電子版)に綴られていた。
「私は裏社会の人間で活動実績というものが残念ながらまだない。不安が湧くでしょう。わかりますよ」そう言うと、コナリアンは上着の内ポケットから携帯端末を取りだした。さっと操作すると、画面をキララへ向ける。
 ガタイがよく狡猾そうな男とコナリアンが並ぶ写真。

 前かがみになり確認するキララ。「……この方はどなたですか?」
「タム・ゼブラスソーンです。あなたとは違った界隈で有名ですよ。名前ぐらいご存じでは?」
「タム……。タムって、ドルゴンズ庭園に脅迫状を送ったという?」
「ええ、私と同じ薄汚れた悪党ですよ」コナリアンは携帯端末をしまう。「どういう関係かは訊かないでください。私はいつでもきゃつを警察に突きだすことができる、ということです。しかしきゃつはいまだにお花畑を飛び回っている」
 写真の男はタムとは別人だった──キララにわかるはずもない──かつてタム一味に名を連ねていたシュライクという男で、タムに心酔して手足となって働くガットやアミアンスらとは違い本物のならず者で、外へ遣いに出てからマジック・ケーヴの出入口がわからなくなってしまったらしく、以来、戻ってこない。
「これで私が秘密を守れる人間であると信じてもらえるかどうか……ですが、どうです? 私とタムを警察に売ってみますか?」
 キララの長い髪が大きく左右に振れた。「あなたを信用します。ある男の人を探してほしいんです」
 キララは急にスイッチが入ったように声量をあげ、早口で語りはじめた。「三年ほど前になりますが、女友だちと街を歩いていたときに強盗に襲われたことがあって。それがショックで私、一時、声が出せなくなってしまいまして。そのときに知り合った男性です。業界関係者だと思いますが、くわしいところはわかりません。いつも差し入れのお菓子と笑顔で、手紙まで必ず添えてくれて、励ましてくれました。そのころの私の心の支えでした。快復したら真っ先にお礼を言うつもりだったのに、突然いなくなってしまったんです。周りの人にそれとなく訊いてみたんですけど、みんなどこへ行ったかわからないって言うんです。彼、おそらく妻帯者です。でも私、できれば、想いを伝えたいというか──」
 
 ブラインドで閉じられた窓の向こうで、車のクラクションが鳴り響いた。彼女が意を決してから急に世界が静止のフリをやめて動きだしたように感じた。それでも、コナリアンはそういう現金な生命の躍動に無関心だった。恋情など、お粗末なアーティファクトだと思っていた。そう、サムソン神酒(みき)が探していたアピアンとかいう飛来物や遺跡の出土品と同様に、どれほど価値があると言われようと見方を変えればガラクタになり得る人生の不要物。頭の中で、タムとレイサのことを浮かべた。彼にわかることはそれくらいだった。
「声を失ったあんたがその人のおかげで復帰してすばらしい歌声を披露するミュージカル・スターになったというストーリーね。なかなか上出来だ。まあ、その恋が報われるかどうかはわからんが、力は貸しますよ」
 丁寧語を崩したコナリアンにキララは再び怯えだした。「彼とどうこうなりたいとかじゃないんです。結婚している人と会うなんて何て言われるかわからないし。失声症の原因になった強盗事件があってから、社長がもうトラブルは起こすなって厳しくなっているんです。ウーライさんがおっしゃるように、もし世間が少しでも私に注目してくれるようになるなら、仕事が忙しくなる前に会いたい。それで、一言でもいいから感謝の気持ちを──」
 想定以下の依頼内容と相手の小娘ぶりにコナリアンは無遠慮な笑みを浮かべはじめた。生き別れの両親を探せとか強盗への復讐でもないか──。しかしまあ、仔牛のフリカッセがトンカツに変わっただけのような気もした。お手軽な方がいいに決まっている。
 コナリアンは言った。「料金はお知らせしたとおりです。居場所がわかったら全額、現金でいただきますが、よろしいですね?」
「ええ、もちろんです」


 ターゲットの名前や情報を書きつけた紙をポケットにねじ込んだジャック・ウーライは街での買い物を手早く済ませると、人に気づかれないように細心の注意を払いながらマジック・ケーヴへと帰った。洞窟特有の湿った空気、ほのかな明かりに迎え入れられると、体内を流れる血はやはりコナリアン・ヂュオへの帰還を歓迎していた。ジャケットを背から引き剥がし、革靴を脱ぎ捨てる。
 巨大な石柱が天井と床面を繋いでいる〈第一コンコース〉で、タムの手下、ガット・ピペリとアミアンスがしゃがみ込んでいるのが見えた。
「あー、腹減った。ハンバーガーが食いてえ」立てた両膝の上に首を寝かせるガット。
「泥棒なのに泥棒できないなんて、つらいわよね」とアミアンスも一緒にこぼす。「家賃も光熱費もタダとはいえ、石から垂れる水ばかり飲んではいられないよ。洞窟でミイラになるのはごめんだ」
「コフィンのやつ、引っ越し屋のアルバイトはじめたって?」
「前科のない人間は心根が違うわよね。この前、レイサさんの誕生日に花をプレゼントしたって言うじゃない」
「あれ、どっかの庭から盗ってきたわけじゃなかったのか!」
「ちゃんと花屋で買ってんだよ。アタシらだったら野っ原から引きちぎってくるしかないけどさ」
 ジャケットを肩にかけたまま、二人の繰り言を聞いていたコナリアン。「よぅ、ご両人。花屋には行けなかったが、これならやるよ」
 後ろに回していた手が紙袋を放る。受け取ったガットは歓喜の声を発した。
「ぅわぁお! ハンバーガー! 心願成就!」
「すまないねぇ、コナリアン」アミアンスも感謝の声を絞る。「あんた、そんな立派なスーツでかっこよく決めちゃってさ。もしかして、新しくはじめた商売がうまくいったとか?」
「むう? ひょーばい?」ガットはさっそく食らいついて口をソースまみれにした。
「金はまだ入っていないがね、うまくいきそうだ」と教えてやるコナリアン。
 キララ・ユクとのやりとりをかいつまんで聞かせると、二人は感心する。
「コナリアン」ガットは口内のごちそうを飲み込むと眉を悲しげに下げた。「あんたは腕も立つ上、頭もいい。ほんとに尊敬するよ。たしかにマジック・ケーヴがあれば

なんて簡単にできるもんな。あの……よかったら、おれたちにもその仕事、手伝わせてくれないかな?」
 コナリアンも二人の脇に腰をおろす。「ああ、助けが必要になったら声をかけるよ。……ただ、『行方不明人探し』というのは少し違う。慈善活動は警察に捕まってからにしようぜ」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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