盗まれた像(3)──像はどうなったの?

文字数 2,974文字

 しかし皆が行動を起こすより早く、タムはマントを躍らせて外へ飛び出していった。大勢で追ったものの、煙と火花が飛び散る仕掛けの機械をばらまかれ、足止めされているうちに珍客の背中は指呼(しこ)できない彼方へ移動していた。
「見ろ、やつら『タオルを巻いた少女』を運んでいってるぞ」
 タムと同様に緑のマントをつけた数人が、五十嵐家自慢の芸術を肩に抱えて走っていた。先ほどまでは庭に直立していたであろう石像だった。それがワンボックス・カーの荷台に積まれるとタイヤが軋り、庭から脱出していった。
 あっという間の出来事で、人々はなにもできなかった。まだそこに残像があるかのように破壊された台座を見た。
「あの石像、たしか銀婚式のお祝いに息子さんが制作してプレゼントしてくれたって言ってたやつだ」
「防犯カメラも、向きが動かされていたりレンズにシールが貼られたりされてるって」誰かが教えた。
 麦緒は気を失ったままだったので、寝室に運ばれた。招待客たちは悩んだ。
「像が盗まれたことを知ったら、麦緒さん、このまま寝込んでしまうんじゃないか?」
「ご主人と息子さんにも知らせないと……」
「連絡先、知ってる?」
「だ、誰が連絡するっていうんだよ」
「じゃあ警察が来るまで我々はなにもしなくていいのか?」
「あの、」とキッパータックが言った。「像なら、元通りにできるかもしれません」
「おいおい」と男性大庭主が言った。「まさか、君のポケットから出てくるとでも?」
「とりあえず贋物を置いておいて、その間に警察に本物を取り返してもらえばいいんじゃないでしょうか。僕の蜘蛛ならそれができます」
「蜘蛛?」
 腕組みして聞いていたピッポが言う。「でもね、今までタム・ゼブラスソーンに盗まれた物が返ってきたって話は聞いたことがない。警察だって遊んでるわけじゃないんだろうけど、そう簡単にいくだろうか」
「五十嵐さんは盗まれたことをまだ知らない状態です」キッパータックは言った。
「ごまかすってのか。君は大胆なやつだな」樹伸が言った。
「皆さんお困りのようですし、泥棒の姿を見ただけで気絶してしまった五十嵐さんです。その上ショックを与えるのもどうかと思って」
「警察もそういうことなら協力してくれるかもしれないが……」
 誰も決断できなかった。すると、同じく招待客として来ていた南譲羽(ゆずりは)が言った。「それじゃあ、麦緒さんのカードに決めてもらってはどうでしょう? タロットは正位置が“イエス”、逆位置なら“ノー”ということになるんです。今からカードを引いて正位置で出たらごまかす。逆位置なら正直に話すってことにすれば――」
「こうやってただ悩んでいても仕方ないな。あなたの意見に僕は乗っかりますよ」ピッポの意見が場に流れ、皆の沈黙は同意だと感じた譲羽はテーブルのカードに手を伸ばした。「さっきの泥棒がまき散らしちゃったからもう五枚しか残ってないけど」
 譲羽が開いたカードには、カラフルですっとんきょうな衣装をまとい、手足をくねらせ踊りでも踊っているかのような人物の絵が描かれていて、『常ならぬ男』と銘打ってあった。人物の頭は上にあった。正位置だ。

 運命を共にした者たちは庭に立っていた。たくさんの彫刻が等身大のチェス駒のように点在し、その他の装飾品もバザールのように出迎える賑やかな眺めの庭園。昼はすでに大きく回っているのに、初夏の陽気は一向に翳る前途を感じさせない。悪者の手にかかった台座だけが、強敵に噛みついて玉砕した歯のような凹凸を表していて、注がれる憐みの光に複雑な陰影で応えていた。キッパータックは大庭主の一人から渡された携帯電子端末の画面を見ていた。消えた少女の姿が記念として残っている画像だ。そして彼の手に次に握られたのは茶色の壺で、台座に口を向けると、そこから次々飛びだす黒い飛沫。蜘蛛たちの仕事は見事と言えた。命令どおりに形が組みあげられ、みるみる淡い色に変化し、ほんの数分で石像をよみがえらせたのだった。(なめ)らかな(ひだ)が小さな妖精たちの(すべ)り台のように見えるワンピース。我が胸に永遠に縫いつけておきたくなる清らかなほほえみ。ナンセンスとはすなわち童心なりと無邪気に頭に巻いたタオル。どこもかしこも家庭の幸福を象徴したその像が蜘蛛たちによって再現されていた。
「こ、これなら、ごまかせるかもしれないな」
「ああ」人々は像の周りをぐるりと回って感嘆の声をあげた。「信じられないよ。蜘蛛が……変身? こんなことできるものなのか?」
 キッパータックは言った。「蜘蛛はしばらくの間なら辛抱できると思います。早く本物が返ってくるといいんですが。僕、ときどき様子を見にくることにします」

 それから一週間が過ぎた。清掃の仕事のため、朝、車を走らせていたときには「明日、蜘蛛たちの様子を見に行ってみよう」と考えたキッパータックだったが、車の目的地が自宅へと変わった夕方、まずい事態が持ち上がってしまった。彼は風を切り裂くようにして五十嵐邸の門前へ車を乗り入れた。
「すみません、庭の、像を、見せて下さい!」
 キッパータックの叫びを聞いて麦緒が出てきた。
「なんだって言うの? キッパータックさん」
 電動で開く門の隙間から早くも轟音が抜けてきて、キッパータックの顔を、胸を、殴打する。
「こんな風の強い日にわざわざ見学に来られなくても」
「風が強いから危険なんですよ!」キッパータックは麦緒を押しのけて駆けだした。
 車の中で聞いたニュース音声では、この風は夜間、暴風雨に変わる恐れがあるということだった。昼までは風の存在など気にならなかった。今日の清掃が室内作業だったこともいけなかった。
「ああっ!」キッパータックは像を見て叫んだ。が、彼の背後から聞こえた新たな叫びの方がもっと悲痛だった。
「キャー! 像が、像が、半分なくなってるわ!」
 そう、今や下半身だけの姿になって、それでも必死で台座に食らいついている蜘蛛たちに早く防水カバーを被せて救ってやりたかった。しかしキッパータックは迷うことなくカバーを捨てた。激しく揺れる草の上に仰向けに倒れた五十嵐夫人の救護が先だった。

 麦緒はソファーに移動させるとすぐに目を覚ました。「……キッパータックさん」
「大丈夫ですか? お水を持ってきましょうか?」
 てのひらを額に当て、麦緒は首を振った。「……それよりお伺いしたいのは、あの後、あの下品な侵入者が置いていったらしい手紙を見つけたんです。手紙には、『おれが盗んだのは少女の像だけじゃない。あんたの大事なカードも頂いていく』と。手紙どおり、タロットカードが一枚無くなっていました。『(やす)し庭』という、平和を表すカードですよ。あの男、どこまでも憎いわ。私たちの平和を奪ったつもりでいるのよ。でも、わからないのは像の方。盗んだと書いてあったのに、盗まれていなかった。私が正気を取り戻したとき、皆さん、泥棒は防犯カメラを動かしていたけれども、捕まえようとしたので慌てて逃げていったと、そうおっしゃってたわよね?」
「あ、あの、それは、それはですね……」
「像はどうなったの?」麦緒は体を起こした。「強風で粉々になったというの? 過去の台風でもどうにもならなかったのに。あなたはどうして像がああなることがわかったんです? あれは石像なんですよ?」


第2話「盗まれた像」終わり

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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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