東アジア大庭研究ツアー(12)──頭に落ちてきた石

文字数 3,793文字

 (かない)も椅子に座ってルカラシーと面を合わせた。ルカラシーの美貌を遠慮なく目で(あらた)められることは僥倖(ぎょうこう)と言っていいかもしれない。まったく、生きた美術品と言ってよかった。
(さかい)叶さんとおっしゃる」美術品が動いて、よく通る声が聞こえてきた。「穹沙(きゅうさ)市の森林庭園にお勤めで?」
「ええ」叶はちらと庭主の横に立っている刑事のことも目に入れた。一体なにがはじまるのだろう。こちらも後で質問の時間をもらえるだろうか?
 ルカラシーが続けた。「先ほど、薬湯を飲まれたときに、あなた、うわ言をおっしゃいましてね。『タム・ゼブラスソーンを絶対捕まえてやる』と言っておられました」
「は……」叶は瞬間、固まった。
「あのハーブには誘眠に加え、そういう効果があると言われているんですよ。言い伝えではありますが、心底(しんてい)にある声を表出させてしまうと言われていて」
「え……ええ? そうなんだ……」叶は目を泳がせた。
「タム・ゼブラスソーンを捕まえたいんですか?」ルカラシーは笑うでもなく言った。
 叶は話すためというより黙するために、息を飲み込んだ。刑事が同席している。嘘を言った場合、捜査を妨害したとして罪に問われるんじゃなかったか……。叶の職場が過去、探偵事務所だったことは調べればわかるだろう。
「あの、私……」
「はい」
 話してしまうことにした。ルカラシーにしても、タムを捕まえたい一心なのだ。つまり、彼は敵でも他人でもなく、同志。


「探偵さんでしたか……。で、タムの情報屋について調べていると?」ルカラシーは聴いた後、そう言った。
「まだ全然なにも掴めていませんが、」叶はおずおずと話し、それでも提供できる情報は打ち明けておこうと思った。「今日、同じく参加者として来ているキッパータックさんとガルフォネオージさんはタムの仲間ではないと思います、調べましたから。私と馴鹿布(なれかっぷ)さんは主に大庭主に狙いを定めて調査していました。でも、なにも出てこないわけです。お二人も、実はタム被害に遭われていましてね、タムとタムの仲間の姿を見ています。そのお話も聞きました」
「タムはどんなやつだったと?」
「体が大きくて、赤黒い顔で、粗暴な感じだったようです。それと、右利きだったと。仲間も何人もいて、かなり大胆な行動を取るようです」
「なるほど……」ルカラシーは足を組み替えた。「私も、タムは大庭についてかなりくわしい人物だと思っています。あるいは、くわしい人物が身近にいて、情報を流しているか、です。今回のことも、ツアー客がどういう動きをするか、わかっていなければできなかったでしょう」
「今日、塔の近くにいて、一人の方が手紙を開けて読んでしまったんです。私も好奇心に負けて中身を見てしまいました。あなたに個人的恨みがあるように書かれてありましたけど」
「そうですね」ルカラシーは睫毛を伏せた。「タムが何者なのかわからないかぎりは、なんと言うことも私にはできません。私が個人的にやりとりをした人物は大勢いますから」
「まあ、そうですよね……」
 ルカラシーはそこで重苦しいムードを解いて笑った。「しかし、あなたのようなチャーミングな女性が、まさかタムを捕まえようなんて思っていらっしゃるとはね。今日は本当に頭に大きな石でも落ちてきたように感じていましたが、おかげで少し愉快な気分になれましたよ」
「大それたことをすみません」叶もつられて笑った。「自分の心の声って、恥ずかしいものがありますね。実際、捕まえる云々は警察の方がやることです。私も探偵業がそろそろつらくて、大庭管理の仕事に専念したいので、後は馴鹿布先生にお任せしようかと思っています」
「お引き止めしてすみませんでした、もう結構ですよ」ルカラシーは頭を下げた。
「あの、ところで、神酒(みき)さんはどういう理由で呼ばれたのですか?」叶は念のため訊いておこうと質問した。
「彼もタムの名前を口走ったからです」ルカラシーは目をまっすぐに()えて答える。「あなたのように捕まえたいわけじゃないようですが、でも、彼にも口にした理由がわからないと。タムには迷惑をかけられているだけだとおっしゃいましたね」
「そうですか」叶は聴いた内容を頭に刻むように時間を置いてから、言葉を継いだ。「もう一つ、お訊きしてもいいですか?」
「なんですか?」椅子の背にもたれるルカラシー。
「あなたは本当に塔に棲んでいる幽霊とおつきあいなさってるんですか?」
 その質問が放たれると、檜山(ひやま)が動転したのか体をびくりと上下させた。大庭主はというと、ハハハ、と(おとがい)を開いて笑い声を立てた。
 ルカラシーは肘当てに腕を置き、指を組む。「本当ですよ。今まで何人の女性が血迷っている私を改心させようとその質問をしたでしょうか……母親も含めてね。でも、ラウラは悪霊ではないし、孤独な少年のイマジナリーフレンドのような妄想でもありません。私の親友は今でも『ラウラは元気か?』と訊いてきます。姿が見えない、歳を取らない、不思議な友人ではありますが、かつてこの東アジアの国民として暮らしていたありふれた女性で、大切な人です。私も人生のうちに、自分の家庭を持つという選択があることを考えた方がいいのかもしれません。しかし、結婚生活を切に求めるという感情がわからないのです。幽霊と交流を持ってはいけないという法もないと思う。生身の女性を嫌っているわけでもない。なにかと忙しく、縛られるものからなるべく離れていたい、ということかもしれない」
「なるほど」と叶は首肯(しゅこう)した。「そういう恋人って持ったことがありませんから、想像がつきませんけど、どうやってやりとりを? 会話はできるんですか?」
「ええ、できますよ」微笑むルカラシー。「心で話すような感じですので、私が独り言をこぼしているように思われることもありません。あなたにもご紹介できたらいいのですが、残念ながら、今ラウラはここにはいませんので」
「いいえ、ご紹介までは及びません。プライベートなことを打ち明けてくださりありがとうございました。ではこれで失礼しますね」席を立つ叶。
「こちらこそ、貴重なお話が伺えました。またいつでも遊びに来てください」ルカラシーも腰をあげる。「お勤め先の森林庭園の平安を祈っていますよ」

 大広間へ戻る廊下を歩きながら、叶はルカラシーとの会話を反芻(はんすう)していた。頭に大きな石が落ちてきた──か。ああやって完璧に見える人でも、苦難はやはり避けられないものなのか。タムという、どこか半端な泥棒、小悪党が、ルカラシーに大きな打撃を与えているのだ。
 叶ははたと立ち止まった。大きな石……。
 今日、たしかに騒動とはなったが、犬の爆弾は偽物だったし、庭に盗品が置かれただけだった。そういうところはいかにもタムっぽい。しかしツアーが引っかき回され、警察まで来たことをルカラシーは言っているのだろうか。
 お客様に嫌な思いをさせたから、大庭主の責任として? 天下のドルゴンズ庭園に泥を塗られたから? 
 きっと、早ければ明日にもタムのニュースは東アジアを駆け巡るだろう。たしかに不名誉なことだけれど……。

 ルカラシーにとって本当に不愉快だったのは、あの手紙だったのではないか──叶はなんとなく、そう思った。そこに書かれていた内容こそがルカラシーにとっての大きな石だった。タムはルカラシーのなんなのだろう。今まで嫌がらせしてきた大庭主とルカラシーは一緒ではない? 犯人扱いされた……謝れ? ドレスのことなら自分がやったと言ったんじゃなかったっけ? 


 タクシーが待っていると聞かされ、叶は屋敷の外へ出た。背中に聳える豪奢(ごうしゃ)な城を改めて振り返り、闇を目前にして燃えあがる夕日の色をいくつもの窓に見ると、そこに佇んでいられるもの、いられる人たちを少しだけ羨ましく思った。
 濃い緑の間を黒いタクシーは走っていった。美しい庭園がただカラフルな疾風となって飛び去っていく。あとは脳裏に残った風景がどれだけ憩泊(けいはく)してくれるかだ。
 ホテルにチェックインして、夜はレストランで虎人(こじん)地区の夜景を臨みながら待ちに待ったディナーとなった。参加者たちはもう、昼の騒動のことは忘れたように寛いだ表情で、レポートについての会話がどのテーブルからも洩れてきていた。

 叶は、やや沈んだ様子で料理を口に運んでいる神酒を一瞥(いちべつ)した。ピッポは相変わらずご機嫌で、神酒も同類の陽気な(たち)だったはずだが、キッパータックがその役を代わって楽しげに応じ、笑っていた。
 結局、空から落ちる砂は観ずじまい──。
「なんてレポート書けばいいんでしょう」叶は皿に残った鮮やかなソースを眺めてこぼした。「後半は(にせ)爆弾犬のおかげでなにも観られなかったし……どさくさ紛れに勢いでボークヴァの塔にはのぼれましたけど」
「僕のをコピーするんじゃなかったっけ?」グラスのワインを傾けながらピッポが言った。
「じゃ、それで」と叶は一気に解決したことに相好(そうごう)を崩して言った。「私の心の重たい石を取り払ってくださり、感謝いたします。ピッポ様〜」
「あんなこと言ってるよ……。キッパータック君、なにか言ってやれよ」
「今夜は叶さんと一緒に食事ができてよかったよ」とキッパータックは言った。
「やだ、急に改まって、照れるじゃないですか」
「はて、しかし、どこかで聞いたことがあるセリフだ」ピッポが首を捻った。



 第12 話「東アジア大庭研究ツアー」終わり


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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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