ティー・レモン氏の空中庭園(5)──グリッシーニもピッツァも

文字数 1,614文字

 三人はあっという間に御影石のテーブルに戻り、胸にナプキンをかけた。チケットさえ手に入れればあとは大船に乗った気分でひたすら理想的な感動へ誘われるこの上なくよくできたコンサートといった感じか。居並ぶ料理は地上のすべての色を詰め込んだよう。洋食が八割だったが、どこの民族料理かわからない個性的なメニューもメンバーに加わっていて、寛ぎに驚きのスパイスを加えていた。そして樹伸とプリンのために和風の料理ももちろん用意されていた。
 キッパータックはサケのマリネを舌で溶かし、バゲッドのグラタンで口内を温めた。これだけの未知のごちそうに囲まれても、やはり彼は普段のお腹の友である魚とバゲッドに惹かれてしまう男だった。心の故郷ならば樹伸も同じで、彼はひじきのゼリー和えなるものを特に気に入って食べていた。
「あ、そうだ」モデルのプリンと同じく少食らしい次男のキィーが、すでに満足したようにナプキンで口を拭いながら言った。「私の家に出入りしている業者が持ってきたグリッシーニがあったんだった」
 自分の荷物から箱を取りだすと、キィーはテーブルのキッパータックにほど近いところに置いた。
「よかったら食べてください。私は最近ライスにはまっているので家ではパンはまったく食べないんですよ」
「おや、グリッシーニとは」自ら料理の皿を運ぶことで客人の反応を見、会話も交わしていたレモン家自慢の料理長・(ひいらぎ)が言った。「ちょうど生ハムがありますよ。巻いて食べるといいですよね?」
 そそくさと厨房に戻ると、生ハムを盛った皿を手に戻ってきて、その皿がまたキッパータックのそばに置かれた。
「私はもう、お腹いっぱいよ」プリンがふー、と吐息をついた。「キッパーさん食べなよ。パン好きでしょ?」
「巻いて?」キッパータックは半信半疑、生ハムに手を伸ばした。
 グリッシーニをつまむと、キッパータックはその細長い先端にぐるぐるとハムを巻きつけた。
「ええ?」プリンが眉を波打たせた。「そんな巻き方するの? それじゃ太鼓のバチか、けがして包帯巻いた指みたいじゃないのよ」
「きっと、

巻くのが正解なんだよ」樹伸がこそっと教えた。
「まんべん!?」とキッパータックはすっとんきょうな声を発した。
 どうやらキッパータックは「まんべんなく」という言葉を生まれてはじめて聞いたらしかった。樹伸は「はぁー」とため息をついた。

 十一時時点ですでに食事の大半を終えていたのか、早くから席を離脱していたスィー・レモンと二人の子どもたちが奇声をあげながら戻ってきた。
「見て見てー」一番甲高い声を奏でているのは大人のスィーだった。「お待たせしましたー。焼きたてほっかほかのピッツァだよ!」
 ぐつぐつと煮えたぎる地中海色をしたキャンバスが両手に抱えられている。プリンが「ここでピッツァとか出てくるわけ?」と言った。
 全員「待っていませんでした」という顔を浮かべていた。気づいたスィーは「もーう、みんな困ったちゃんだな」と首をくりくり回した。「柊シェフの料理の中でいっちばんおいしいのはピッツァなんだよ。それを食べないで食事を終わらせる気?」
「そうでしたか?」執事のフリーマンと並んで場に留まっていた柊本人が疑問を呈した。「ピッツァが私の一番?」
「そうだよ」とスクヤが小さな手でテーブルをぱしぱし叩いた。「僕もピッツァが一番おいしいって思う。僕の学校の友達もそう言ってるんだ。友達の言うことって信用できるよ」
「だよねー」スィーはテーブルに重量あるピッツァをどしんと置くと、一ピース取りあげて高々と掲げた。「びよよよーん、ほらほぅら! チーズがこんなに、びよよよーんって」
「僕もやる!」
 スクヤも父親に倣おうとして、掴みきれていないのに持ちあげるという暴挙に出た。なので当然ピッツァは滑って手裏剣となったものがキッパータックの目の前に飛んできた。
「うわあ!」
「こ、これ、スィー、スクヤ!」レモンが注意した。
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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