神酒の失踪(5)──ポアロでもホームズでもないけれど

文字数 5,178文字

 森林庭園の駐車スペースに、ぴかぴかと陽光を照り返す見知らぬ小型車が停まっていた。いわゆる〝パイクカー〟と呼ばれるレトロなデザインが特徴的な車だ。(かない)は自分の車を隣に停めて、首を傾げる。二本松(にほんまつ)巡査長はありきたりなセダンに乗っていたし、買い替えたのだとしてもこういう車を好むタイプとは思えない。職場は一応「観光名所」なので、見物客と思いたいところだが、大庭(だいてい)人気ランキングで十八位と低迷している場所に(二十位中)、そうそう期待どおりに来てくれるものでもないことは承知している。
 その予想どおり、遊歩道を中心とした庭園には、普段からよく見かける近所の老人が散歩する姿があるくらいで、馴鹿布(なれかっぷ)邸の扉を開けるとこちらに訪問客が来ていた。二十代と(おぼ)しき若い男がダイニングテーブルに着いている。ナイトブルーの襟付きシングルベストに「花札」柄のド派手なネクタイ、右耳にはピアスと、ハンサムで今めかしげな雰囲気である。
 どことなく「普通の人物じゃなさそう……」と叶は警戒する。

「おはようございます」と叶が、まずはキッチンに立っている老先生に朝の挨拶を……と発したのだったが、男が椅子からサッと立ちあがり先手を取ってきた。「あなたが馴鹿布先生の助手の(さかい)さん?」
 名刺を渡される。

  中央都魚人地区四街十七番・青馬ビル2F
  孫探偵事務所 (ソン) 友馬(ユウマ)
  
「探偵!」と叶は歓迎の一声をあげた。
「そんなに驚く?」孫はアイドルばりに愛嬌のある顔に皺を寄せる。「あなたたちだって探偵じゃないの?」
「いや……」叶は馴鹿布の顔をちらと盗み見てから、答える。「それは過ぎ去った昔のことでして、今は大庭管理に勤しむ毎日ですよ?」
 馴鹿布は客用にコーヒーを淹れているところだった。コーヒーメーカーの「こぽこぽ」という音が響く。
 孫はえへん、と咳払いした。「隠そうとなさらなくて結構ですよ。もう知ってるんですから。ただ馴鹿布先生が、自分には堺さんという優秀な助手がいて、その方が来てから話を進めてほしいと──」
「へー、先生が私のことを『優秀』と?」
 馴鹿布は無言で〈ロイヤルアルバート〉のカップを孫に運んでくる。退院後も服薬のおかげで血圧は安定している馴鹿布だったが、あまり血をのぼらせないようにしないと、と叶はふざけた言動はさすがに控えるようにしている。馴鹿布は自分たち用のコーヒーも用意した。
「あー……コーヒー」と孫がカップを覗き込む。
「お嫌いでしたか? では別のものを」
 キッチンへ戻ろうとする馴鹿布を孫は制す。「いいえ! せっかくですのでいただきます」
 孫はカップに顔を近づけ、「熱々だから、少し冷ましてから……」そう言って微笑むと、向かいに座った馴鹿布と叶へきちんと面を合わせるために姿勢を正す。
「十時四十分……随分と遅い出勤時間」孫は自分の腕時計を確認する。「私も毎朝、ジョギングなどの肉体トレーニングを欠かさず行っているんですよ。探偵業は結構ハードですからねえ。……堺さんもトレーニング後にこちらへ?」
「だから、今は探偵でもないんですって」叶はいらいらしはじめていた。「私はいつもこれくらいに出勤してるんです。先生との取り決めで──探偵業をやっていたときからですが──事務作業などはPCがあればどこにいてもできますよね? 東アジアの人たちは日本人みたいに遅い時間まで働かないし、夜まで職場(ここ)に残って働かない頭で作業し続けるのも効率が悪いので、そういった雑務は朝のうちに自宅でワークスペースにログインしてササッと済ませてから出勤──ということにしているんです」
「ほほぅ、それはナイスなアイディアだ」孫は両てのひらを打ち合わせる。「まあ、私は昼に出勤して、夜まで働いていますけどね」
 だったらなぜ言及する、と叶は呆れ返る。
 
 孫がようやく本題に入る。「私は──名刺をごらんいただいたと思いますが、中央都で活動する私立探偵です。実は、今中央都で話題の『ドルゴンズ庭園』の庭主、ルカラシー・ドルゴンズさんからのご依頼で、とある人物の所在を追っていました」
「ルカラシーさんから!」驚く叶。
「ええ。先に言っちゃいますと、こうして依頼主の名前や内容などの極秘情報を御法度的に打ち明けているのは、こういう理由からです。ターゲットが穹沙(きゅうさ)市にいて、とある大庭に出入りしていることが掴めました。住所も判明しましたのでルカラシーさんにお伝えしました。しかし、その人物は直後忽然と姿を消したのです。私は焦りました。もしかすると、私がマークしていたことがバレてしまったのではないかと。で、ルカラシーさんは一度は『もういい、仕方ない』とおっしゃったのですが──思いだされたのでしょう。もしかしたら協力を願えるかもしれないと、ここ森林庭園で働く探偵さんのことを教えてくださったわけですよ」
「はあー」叶は指先を眉間に当てると、ため息をつく。
「ルカラシーさんがおっしゃったという『探偵』というのは、私ではなく君のことだ」と馴鹿布。
「はあー……」再び盛大なため息を送る。
「そんなに依頼が立て込んでいらっしゃる?」孫が心配する。
「探偵じゃないんだから、依頼なんて来るわけないでしょう」と叶。「探偵でもないのに探偵にさせられては、ため息も出ます。たしかに私と馴鹿布先生はタム・ゼブラスソーン捜査に首を突っ込んじゃってます。お聞きになられたかもしれませんが、裏切り者の調査をしていました。でも、私たちも調べども調べどもこれといった人物に辿り着けず、警察でさえ、あのようにタムに翻弄されっぱなし。見回り強化しているのに、ここもついに餌食となりました。鉢植えを一個盗まれただけですけどね……。もう、ポアロとかホームズレベルの名探偵にでもご登場いただかなきゃ、タムは捕まえられないんじゃないかって、想像以上の強敵だったんじゃないかって、最近は思ってるんですよ」
「警察が手を(こまね)いていることは察しがついていました。名探偵と言うならば、タムはまさしく〈名怪盗〉。それに『義賊』という側面もあるのではないかと」
「義賊!」またまた驚く叶。「ていうか、タムを褒めてない?」
「世に名を馳せた大泥棒は皆そうじゃないですか。アルセーヌ・ルパンだって、元貴族である愛する母親のために……」
「やっぱり大泥棒とか言って褒めてる! それは小説とか、フィクションの世界の話でしょう?」やや呆れる叶。
「創作世界は、世の人々の心の奥底に眠るものを映しだす鏡ですよ!」孫は興奮して身を乗りだす。「かく言う私も名探偵ルーフォック・オルメスに憧れてこの世界に入ったのです」
「ルーフォック・オルメス?」叶は小首を傾げてコーヒーを啜る。「知らない名前。……でも、実際の探偵業を知ったら憧れとのギャップがすごかったでしょ?」
 孫は静かになり、目を伏せた。「逃げだした

のヴィクターを探してほしい、という依頼をいただいたときは驚きました」
「コオロギ!」飽きもせず驚く叶。
「結局、庭の厄介な雑草をむしってほしかった……そのためだけに探偵をこき使うような成金おばさんでした。中央都・翼人(よくじん)地区にお住まいの──」
 携帯端末を取りだしてメモしようとする叶。「名前も教えてくれます? その方、穹沙市に引っ越す予定とかはないですよね? 迷惑客の情報共有をありがとうございます」
「話を戻しましょう」孫は咳払いした。「とにかく私が追っていた人物が頻繁に出入りしていたのは牛頭鬼(ミノタウロス)地区の地下庭園です。大庭主に話を聞こうと門を叩いてみたものの、まるで応じてもらえなかった。しかも庭園はずっと開店休業状態! なんでも、二十歳くらいの偏屈そうな若者が管理しているとか? お二人も同じ大庭関係者。そこの大庭主とお知り合い……とかだったら助かるんですが」
「地下庭園……」叶は小声になる。「あそこは私たちも調べたことがあって。あんまり親しくなりたいタイプではないというか……。その、ルカラシーさんから依頼されて探していた人物って、まさか──」
「この人です」孫は携帯端末を取りだし、画像を表示させると、二人へ向けてテーブルの上に置いた。
 写っていたのは、車椅子に乗った高齢男性──。
福田江(ふくだえ)(まもる)」と馴鹿布がその名を口にした。
「あ、いいえ。私が追っていたのはこちらの人物です」孫の人差し指は、福田江の後ろで車椅子のハンドルを握っている細身の女性の上におりた。
「彼女の名前はレイサ・フルーク。福田江護の家に住み込みで働いていた介護士の女性です」
 画像は地下庭園の鉄の門から出てくるところで、後頭部にまとめた黒褐色の髪、福田江の方を気遣うようにやや下向きかげんな顔貌は、化粧っ気がなく強く人目を引くような個性もない。服装もダスティーカラーのニットにチノパンツという地味さだった。
「ルカラシーさんとこの人は、どういった……」おずおずと尋ねる叶。
 孫が答える。「ドルゴンズ庭園と関わりがあったのは彼女ではなく父親の方です。名前はライス・フルーク。ライスさんは画家で、ルカラシーさんから絵の才能を認められたとかで、二〇**年の夏ごろからドルゴンズ庭園で庭園隠者として働いていました。そして起きた例のドレス泥かけ事件。そのとき犯人と疑われ、それが原因で屋敷を去った。現在は行方知れずになっています」 
「なるほど」と叶。「ルカラシーさんはこの女性を探していた。お父さんのことで、タムに繋がっている可能性があると?」
「タムと? いや、それはどうでしょうね」孫は椅子の背に体を預け、急に投げやりな態度になった。「ルカラシーさんはただ、『レイサ・フルークという女性の所在を調べてほしい』その一点張りでした。私が、その女性は今取り沙汰されている騒動の鍵を握っている人物ですか? と水を向けても、『依頼されたこと以外には首を突っ込まないでほしい』と、こう来ましてね」
「で、君はレイサさんを見つけたが、彼女はそれに気づいてか、姿を消した」今度は馴鹿布が会話に割り込む。
「やっぱり怪しい!」叶は弾けるように言った。「その人がタムに大庭の情報を流していたのかも……元大庭主の福田江さんを利用して」
「うーん……」孫は険しげな顔をして、コーヒーのカップを持ちあげる。「私もそう思ったのですが、レイサさんは調べてみるとですね、ほとんど福田江護につきっきりで、私と同じくらい、二十五、六の女性にしては実に地味〜な生活を送っていたようなのですよ。今どきめずらしい勤勉実直という感じでね。父親がずっと売れない画家で、母親の実家も商売に失敗しているらしく、幼児期に児童養護施設に預けられたという苦労人ではありますからね。中央都で助成金を受けて看護学校に入学したものの、退学して八脚馬(スレイプニル)地区の介護士事務所に就職しています。そうかと思ったら、今度はそこもやめて福田江護の世話を。とにかく私が見るかぎり、福田江邸と地下庭園を行ったり来たりしているだけで、怪しい人物と接触している様子はなかったですね」
 叶も考えてみる。地下庭園では衣妻流亜と、それからサムソン神酒とも会っていただろう。「ライスさんがタムであるという可能性は?」と口にしてみる。
「いやいや、それは」と(かぶり)を振る孫。「ドルゴンズ庭園にいた庭園隠者のことを憶えている観光客は多数いるはずです。タムは大柄で粗野な感じだと言われているでしょう? ライスさんの外見とはまるで違う。年齢もライスさんは今、六十代。タムは若いって話だし。まあ外見は、七年経っていますから、すっかり変わったという可能性はありますが。それに、もしレイサさん、ライスさんがタムと関わっていそうなら、ルカラシーさんは私に依頼せず警察に打ち明けているはずでは? 今回のことはおそらく、ドルゴンズ庭園の『恥』をこっそり回収しておきたい──ということではないでしょうか。ルカラシーさんは、ライスさんはドレス事件の犯人と疑われて、それを苦にして自らやめていったと話しているようですが、レイサさんは周りの人たちに『父親はルカラシーさんから追いだされた』と言っていたそうです。こういう噂はたちまち広がるもの。タム・ゼブラスソーンもどこかで耳にして、大庭主の嫌がらせ材料として採用してもおかしくはない。最近、ドレス事件の犯人が見つかったという会見もあったじゃないですか。ルカラシーさんたち庭園側は、世間にライスさんの『不当解雇』がバレる前にとりあえず娘を見つけてこっそり示談交渉しようということだろうと、私は踏んでいますよ」
 しゃべり終わると、孫はコーヒーを傾ける。
「しかし、あなた」叶は眉をひそめる。「ルカラシーさんは依頼者ですよね? いくら私たちが同業だからって、そういうことをペラペラと──」
「アハハハハ!」突然嬉笑(きしょう)しはじめる孫。
「なっ、なにがおかしいわけ?」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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