神酒の失踪(3)──〈第二コンコース〉にて

文字数 4,640文字

 その出会いが()しくも、マジック・ケーヴの「魔力」を発動させるきっかけとなる。コナリアンは人生になんの願望も抱いていなかった。少年が自分だけの秘密基地を見つけて満足しているだけのようなものであったから、それ以外になにが必要だっただろう。ガスとその仲間を引き入れてから、半年ほど過ぎたくらいだったろうか。鍾乳洞の奥に、それまではなかった新しい通路ができているとチンピラたちが騒ぎはじめた。それが今から八年前、まだ神酒が、衣妻(いづま)流亜(るあ)ではなく福田江(ふくだえ)(まもる)を第二十番大庭(だいてい)庭主(ていしゅ)として訪ねていたころの、まだ東アジア国のどこにもタム・ゼブラスソーンなる庭荒らしが存在していなかったころの話である。


 * * *

 
 神酒とコナリアンは通路を引き返して広い空間へと戻った。マジック・ケーヴが新しく作った通路はどこへ繋がっているか、出口まで辿ってみないことにはわからない(そういった不思議のトンネルはこの巨大石柱を囲む広場に四つ、また別の広場にも四つと、全部で八つあるとコナリアンは教えた)。
 だから通路に場所を示す「名前」を付けておいた方がいいだろう──ホテルのドアのルームナンバーのように──コナリアンはそう言って、先ほど神酒に見せた短冊を入口の石の突起部分に結びつけた。
 見回してみると、ほかの洞口にも短冊がぶら下がっている。
「通路は八つ以上はどうやっても増えないみたいなんだ」コナリアンは少し思案顔をして、説明を継いだ。「だから新しい通路がほしいと願うと、今まで使っていた通路がなくなって、それと入れ替わってしまうらしい。はじめ、できあがった順番で、古いものと入れ替わるんだろうと思っていたが、そうじゃなかった。その法則がわからなくて、悩ましかったんだが、やがておれもタムも要領を得たよ。人の出入りが激しい通路はなくならない。まあ、そうだよな。おれたちの希望をケーヴが汲み取ってくれているなら、必要な通路は消せないはずだからな。歩いている最中に道がなくなっちまったら困るし……。試しにおれたちは、新しい通路を望む前に、『もう必要ない』と思う通路を封鎖して、一切往来しないようにしてみた。するとどうだ、やはりその通路が新しい通路に作り変えられたんだ。フフフ……実際に成功してみるとそう難しい話じゃなかったよ。おまえのために作ったこのアピアンへの道は、こないだ襲った海鳥女(セイレーン)地区の森林庭園への通路を潰したものだ。……そういやおまえ、そこの従業員の若い女とツアーのときに一緒だったんだってな。神酒の知り合いらしいから鉢植えを盗むくらいにしといてやれって、ガットが気を遣ったらしいぜ、ヘヘッ」

「タムはいるのか?」と神酒は、その戯言(ざれごと)に耳を塞ぎたい苛立ちをなんとか抑えて、尋ねた。
「ああ、いるよ。マジック・ケーヴの

はわかったとしても、別の厄介ごとに頭を抱えている最中ではあるがな。〈第二コンコース〉で、仲間らとランチをやってる。タムに直接会って礼を言いたいってわけだな?」
「礼なんて!」神酒は思わず声を張りあげ、すぐに()らえようしたが堪えきれず、怒りをあらわにした。「あんたらがどこでランチをやろうが密談しようがこっちは知ったこっちゃないが……レイサさんが体調を崩したって本当なのか? ルカラシーを標的にしすぎだろ! 警察がレイサさんに辿り着いたらどうするつもりだ?」
「そういやレイサの周りをチョロチョロ走り回っていたネズミがいたらしい。衣妻流亜もおまえが封鎖した出入口前の空き地の草を刈っちまうし」
「え?」
「なんて顔をしてるんだ。わかりやすく蒼ざめやがってよ。とにかくま、タムのとこへ行こうや」コナリアンは薄笑いを貼りつけたまま、彼らがいるという〈第二コンコース〉へと続く通路へ体を送っていった。

 巨大な石柱が聳えていた広場を〈第一コンコース〉、その西側の通路の奥に広がるもっと広い空間のことを〈第二コンコース〉と名づけているらしい。
 そこは中心へ向かって階段のような段差が続く窪地だった。タム・ゼブラスソーンとその仲間三名がそこに円座を組んで、各々〈ランチ〉とやらを広げていた。
 タムはあぐらをかいて、紙製のカップから白いヌードルをすすっていた。その右後ろでは、若頭ガット・ピペリが黒い薄手のジャケットにダメージジーンズという格好で、干し芋をぺちゃぺちゃと噛んでいる。その隣の目方二百キロはありそうな巨漢を持つ男は、眠そうな目でクルミをぽろぽろと齧り、紅一点、いつもミニタリールックで決めているアミアンスという名の細身の女はハンバーガーと缶コーヒーを口にしていた。二人が入ってくるとすぐにアミアンスが視線をあげ、「あ、サムソン神酒だ」と発した。皆食事の手を止め、一斉に来訪者を見る。

「よう」とタムは二人に声を送った。「さてはアピアン目当てで来たんだな?」
 神酒は震えながらもタムを直視した。ウェーブした長髪の(かつら)、大きな顔に施された派手でへたくそな化粧。ガーゼ素材のゆったりとした藤色のワンピースは、よく彼の図体に引き裂かれずに済むサイズのものが見つかったものだな、と思う(もしかするとマタニティーウェアかもしれない)。ガス・ラフローという古物商が世間で活動する際に行っているいつもどおりの

姿

で、神酒ももう何度か目にしている姿であるものの、まったく反吐(へど)が出そうな代物であった。ガスの顧客は、いつのころからか突然「化け物」のようなナリに変わった彼のことを、そっと見て見ぬ振りをしてくれているのだ。おかげで、こいつはあの世間を騒がせているタム・ゼブラスソーンかもしれない──という推測が起こらずにいた。
 福田江に至っては、この化け物を自分の「息子」だと信じているのだ。いくら大ケガをして、体調を崩しているからといって、そんなことを信じるだなんて……いくらなんでも。

「サムソンはあんたに意見があるらしい」とコナリアンが口を切った。
「なんだと?」
「いや、意見なんて」神酒はすぐさま打ち消した。「レイサさんは大丈夫なのか? 福田江さんの世話は誰が?」
 ガットが芋を飲み下して言った。「新しい介護士をタムさんが手配した。その人はおれたちのことをなにも知らない。……レイサさんのことを嗅ぎ回っているやつがいてね」
「やっぱり」神酒は息を飲んだ。「警察が来たんだ」
「あれは警察じゃないだろ」ガットはのんきな口調だった。「あんな隙だらけのやつ、なかなか見ないぞ」
「しょぼい田舎探偵じゃないの?」とアミアンスも半笑いしながら言う。「報奨金目当てかもね。まったく、他人の不幸を飯の種にするなんて」
 神酒は拳を握って、奥歯を噛みしめていた。
「レイサは大丈夫だ」タムは神酒の方を一瞥(いちべつ)すると、長い髪を揺らし、まっすぐ前に向き直って答えた。「中央都の病院に入院したことにしてある。もう穹沙(きゅうさ)市にいない方がいいだろ」
「どうするつもりなんだ、これから」と神酒は目を伏せたまま、震える声で言った。「穹沙市の残りの大庭をまだ狙うつもりか? それとも別の市に? そうやって次々と……」
 タムの手下たちはもそもそと動かしていた手や口をぴたりと止め、互いの顔を見合う。
「レイサさんはあんたを心配してた。いくらここが安全だと言っても、泥棒を続ければいつか警察に捕まるんじゃないかって」神酒の声は徐々に大きくなり、彼らの背後の岩壁に反響した。「ドレスはあのままタムが汚したことにしときゃあよかったのに! ルカラシーが警察に話したのかもしれないぞ? レイサさんのお父さんが──」
「外野は黙ってろ!」ガットが怒気を放った。
 アミアンスがさっと動いて、神酒の手前まで来ると胸ぐらを掴んだ。「こっちはあんたにもう用はないんだよ。悠長に石っころ探してるだけのおっさんが、偉そうにタム様に意見するんじゃないわよ」
 アミアンスはジャケットのポケットから携帯端末を取りだすと、神酒に向けた。「あんたがもし私たちのことを警察に垂れ込んだら、あんたも仲間だったんだって話してやるから。ほら、証拠の写真」
 神酒は自分の姿が映っている画像を目に入れると、(くずお)れた。「くそっ。なんで僕が、おまえたちなんかと」
「福田江護と知り合いだったのが運の尽きだな」いつの間にかガットもアミアンスの隣へ来ていて、顎の無精髭をこすりながら神酒を見下ろす。「コナリアンからアピアンの場所を教えてもらったんだろ? もうおれたちのことは忘れて、石っころ拾いに専念しろよ。地下庭園ももう出入りしない方がよさそうだから、あの通路は早く潰さなきゃな。福田江のおっさんにももうここへは来ないように言い聞かせてある。ルカラシーがなにを言おうと、このマジック・ケーヴに辿り着ける人間はいないさ。警察に捕まらなけりゃ、おまえの写真もさらされることはない。だからおまえが心配したり悲しんだりすることはないんだよ。マジック・ケーヴはまさに自由自在。魔法の洞窟だからな。まったくファンタジーだよ」
「さっき説明したからわかってるよな? サムソン」コナリアンは、地面に蹲っている神酒の背にそっと手を置いた。「福田江護もおまえも、このケーヴが結んでくれた縁だ。だからアピアンの場所を教えてやったし、マジック・ケーヴの秘密も話したのさ。しかし物事には潮時というものがある。今穹沙(きゅうさ)市の大庭と繋がっている通路も、そろそろ全部封鎖して、別の道へと入れ替える予定だ。やがておまえが知ってる出入口はすべてなくなってしまい、おれたちもおまえの前から姿を消す。それを伝えるために今日、呼びだしたんだ」
「……本当に?」
「本当だとも」
 しかしそれを聞いても神酒は体の震えを止められなかった。「おまえたちのせいで、僕は、大庭調査会もやめなければならなくなった。恋人とも……結婚だって考えてたのに、おまえたちのせいで──」
「はあ?」アミアンスは目を剥いて、神酒の顔を確認するためにしゃがみ込んだ。「こいつ、泣いてるわよ。なっさけないおっさんだわねー」
「話聞いてたのか?」ガットも顔をしかめた。「警察には捕まらない、おれたちと別れて好きなだけアピアンを探せ……感動の涙か?」
「ぐわあああっ!」神酒は(とつ)として立ちあがり、アミアンスとガットに拳を振るった。「本当に警察に捕まらないと思っているのか! あれだけ泥棒しといて! 金色の光が視える人間がほかにもいたらどうする? 警察にいたら! この世には都合のいいおとぎ話なんて存在しないんだ!」
「いってぇな、こいつぅ」
「金色の光が視えるやつがほかにいたか?」とアミアンス。「あんたが警察にチクるってんなら、話は別だよ!」
 ガットとアミアンスより先にコナリアンが動いた。彼は神酒の手首を掴むと腕一本だけで簡単にねじ伏せてしまった。
「ぐわっ」
 身長百八十センチ以上ある神酒と百五十センチ程度のコナリアンではまるで親子ほどの違いがあったが、それは紙人形が風圧で翻ったみたいな感じであった。今でも変わらず拳法の達人であるコナリアンから鋭い突きまで喰らって、神酒の目に新たな涙が滲む。
「縛りあげておくか?」コナリアンは獲物を()めつけたまま、タムの指示を仰ぐ。「こいつはもう、アピアンなんてどうでもよくなっているかもしれんぞ。すべての通路を完全に入れ替えてしまうまで監禁しておいた方がいいかもしれない」
「まあ、待て」タムはワンピースの裾を掴んでゆっくりと立ちあがった。「サムソン神酒、おまえに見せたいものがある。ついてこい」
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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