第13話 愛の行動(1)

文字数 4,448文字

 ここは、毎年開催されている「夏の夜の豆湯(まめゆ)会」という暑気払いイベント会場。朱雀(すざく)地区にある第十一番大庭(だいてい)池泉回遊(ちせんかいゆう)式庭園内の施設・「花籠(はなこ)堂」で、女講談師の熱演が響き渡っていた。
 披露されていたのは、中国を舞台にした豆腐職人たちの愛憎劇。畳が敷かれた客席は隙間なく埋まっていて、和紙照明のぼんやりした灯りと、非常に抑揚(よくよう)の効いた、いろいろな含みや(おもむき)というものを持たせた語りが、もう二時間以上彼らの頭上に降り注いでいた。
 キッパータックはこのイベントに、先輩大庭主(だいていしゅ)若取(わかとり)樹伸(きのぶ)に誘われ参加していた。東アジアはもとより日本からも集められた話芸のプロたちによる、古今東西の物語。客は睡魔と必死に戦いながら鑑賞の完遂(かんすい)を目指し、最後に皆で「豆湯」をいただくことで、また一年を健康に過ごしましょうとのどやかに誓い合うのだ。

 怪談話あり冒険活劇ありと、最初は興味津々身を乗りだして聴いていた客たちも、今ではステージに頭頂を向け、耳では自分や他人の寝息を拾っている形である。キッパータックの隣の百三十歳の御大(おんたい)も数十分前から夢の世界に没入していた。
 キッパータックは樹伸のことを百三十歳と聞いていて、そのとおりだと思っているが、本当は百三十一歳なのかもしれないし、百三十二歳になっているのかもしれない。
 そんなことを考えながら、引く手あまたな眠り人たちからの誘惑をかいくぐっていると、謎の豆腐の(あん)かけを巡る恋人たちのドラマが幕を閉じたらしかった。
 次にステージに現れたのは、東アジアで活躍する落語家の黒松屋(くろまつや)舌鋒(ぜっぽう)であった。

 舌鋒はまだまだ若手、三十二歳。しかし芸はうまいとそこかしこで高い評価を得ていて、東アジアではテレビに顔を出すことも多い。高座にのぼると、淡い茶色に染めたモヒカン頭をこくっと下げ、数秒間、そのままにした。
「あぁ、また新しい子守唄がはじまるのか……」
 客席からじんわり笑い声がわく。顔をあげた舌鋒は満足の印としてニヤリとする。「あんまり気持ちよさそうないびきは立て過ぎないでくださいよ、こっちは勤務中なんですから。しゃべって、笑わせて、家に帰って、酒を飲む……本当に大変なお仕事ですよねえ、っていつも言われていますよ(笑い声)。では、ちゃちゃっと終わらせましょうか。私のせいで頚椎(けいつい)捻挫(ねんざ)になったと言われちゃたまらんのでね。しかしです、怖い話が苦手だって方は、そのまま寝ておいた方がいいかもしれませんよ。

 人食い蜘蛛が出てくる話。ね? 怖いでしょう? 日本の話かどうか定かではないのですが、主人公の名前はタキチとしておきます。いや、違った、ジンベエ……なんか違うな、マゴサク?……(客席をきょろきょろと見回す舌鋒)寝てなくて大丈夫ですか?(笑う客)……やっぱりタキチにしておきますね。そのタキチ、真面目で働き者の青年。森の中の小屋に住み、樹木の管理をしていました。

 生まれ育った村ではタチの悪い流行(はや)り病や自然災害が立て続けに起こって人口が減ってしまい、タキチは仲間を失って独りぼっち。寂しい生活を送っていました。
 ある日のこと、めずらしく、小屋に見知らぬ若い娘が訪ねてきます。

 大変美しい娘で、『村の人たちがどこへ行ったか教えてほしい』と訊いてきました。この村に親類でも居たのか──しかし、嘘をつくわけにもいかない。
『村のもんはもう簡単に戻ってこられねぇとこへ行っちまった。ほかの村へ行ったもんも、おそらく戻ってくることはねえよ』
 娘の顔が一気に悲しみに沈む。茶碗に湯を入れて勧めましたが、うつむくばかりで言葉も出ないという様子でした。久しぶりの話し相手なので、タキチは世間話をはじめます。娘もそれで少しは明るさを取り戻し、『また来ます』と言って帰っていきました。

 それから言葉どおり、娘はたまに姿を見せてくれるようになりました。タキチも友人ができたと内心喜びます。娘はユツと名乗りました。ユツはいつもタキチに話をさせて、それをにこにこ聴いているだけです。湯も、飲んでいるふうでもないのに、帰るときには茶碗はからっぽ。変わった女だな、と思いながらもタキチは自然惹かれていくのです。
 
 あるとき、思いきって、ユツの素性を尋ねます。どこから来たのか教えてほしい。親や夫、子もあるのかと。もし独りなら、自分も同じ。一緒に暮らさないか、と持ちかけます。

 するとユツ。
『私は実は人間ではないのです。このずーっと奥の山に巣食う、人食い蜘蛛の仲間のうちの一匹なのです』
 蜘蛛たちはこれから卵を産んで子孫を増やしていかなければならない。そろそろ人間を食って栄養をつけたいのだと言います。しかし村の人間たちはごらんのとおり、居るのはタキチただ一人。

 (あお)()めるタキチに、ユツは続けます。
『明日の夕方、蜘蛛たちがここへやってきます。それまでに逃げてください。もし身代わりが用意できるなら、その人をこの小屋に置いて、あなたは逃げるといい──』
『おまえは食わないのか』と訊くタキチ。震えております。
『あなたは優しい人です』と睫毛を伏せるユツ。『私も人食い蜘蛛には変わりありません。どうかどうか、明日の夕方までに、なるべく遠くへ逃げて、私たちの姿を見ずに済むようにしてください』
 
 身代わりなど用意できるわけもなく、タキチは動物の肉を調達して、それに自分の着物を着せておきます。不自由だらけであったとはいえ、長年住み着いた村に家、未練があります。なんやかや、逃げる準備が遅れてしまい、小屋を出ると黒く(うごめ)く大きな影に取り囲まれているのでした。

 しまった、間に合わなかったか!
 薄暗い中でもはっきりとわかる、恐ろしい姿。鎌のように鋭い下顎(したあご)、岩のように大きな腹、木の幹と見紛うばかりの太さの、八本の脚!

 化け物の餌にされてしまうという恐怖。タキチは思わず『ユツ!』と力のかぎり叫びます。この中にユツがいるはず。助けてくれ!

 じりじりと迫る化け物蜘蛛たち。どれもこれも同じ姿形で、タキチには見分けがつきません。ユツ、ユツ……。

 しかしタキチ、ある一匹の蜘蛛に向かって、タッタッタッ──と駆けだす。次の瞬間、タキチは大きな蜘蛛の背中に乗っていて、その蜘蛛はぐるっと方向を変えると、速足で森の奥へと逃げていきました。

 (すんで)のところで助かった主人公。この物語はこれで終わりなのですが、さて、皆さんに一つだけクイズです。たくさんの化け物蜘蛛の中から、タキチはどうやってユツを見つけることができたのでしょうか? 

 よく考えてみてくださいね。この問題の答えを解く鍵は『愛』ではないかと私は考えております。あなたはタキチと同じ状況で、同じように救われることができるでしょうか。今日、この会場にいる皆さんは? 助かる側か、食われる側か。助かりたい方は、ぜひ答えを考えてみてくださいね。

 人の世にも化け物蜘蛛くらい怖い話はいくらでも転がっています。ニュースなんかを見ると、そうでしょう。知恵で回避できたらいいですが、オツムの出来は人それぞれなんで、愛の力で救われる主人公にも一度くらいはなってみたいと思いますよね」


 ぱらぱらと静かな拍手が起き、舞台を去っていく舌鋒。
 すべての話が終わった。ロビーに出ると、長テーブルに運営スタッフがお待ちかねの「豆湯」の入った紙コップを並べている最中だった。香ばしく湯気立つお茶に黒豆の甘煮が二粒入ったもので、キッパータックと樹伸も群がる人壁に交ざり、受け取って、ありがたくいただくことにした。
「ひやー、よく寝た」と樹伸は大あくびを繰りだしながら言った。「毎回毎回寝ずに最後まで聴こうとは思うんだけど、さすがに睡魔に勝つ(すべ)がない……この歳だしな」
「僕も途中、つらかったときがありましたけど、なんとか耐えられました」とキッパータック。
「そうか、そりゃよかった。連れてきた甲斐があったよ」
 茶をすすっていた一類(いちるい)の中から老齢の男が出てきて、近づいてくる。「あんたたち、なんか見たことあるなって思ったら、大庭主(だいていしゅ)さんじゃないか」
「ええ、そうです」
 三人は顔を合わせたついでと、今日聴いた話芸を振り返って、どの演者の語りがすごかった、どの話がおもしろかった、などの意見を交わし合った。夢の中にいた時間もあったので、どこまで内容を憶えているかという問題もあったが、キッパータックが「人食い蜘蛛の話がおもしろかったですね」と話した。
「最後の、どうしてタキチはユツがわかったのか、というクイズの答えがすごく気になるんですけど、わからなくて。お二人はわかりましたか?」
「君は本当に蜘蛛が好きなんだなぁ」と樹伸が感心した。
「ああ、あれか。たしかに、おれも考えたんだけど、わからんのだよ」と老齢の男は正直に告白した。「もう七十余年生きてるんだけどなあ。『愛』が解く鍵だと言われると、もうそんなものには縁がない歳だし、かといってまったく無関心と言い切るのも人間としてどうかと」
「私なんて百三十年生きていますし、結婚は三回もしているんですよ」と樹伸。
「じゃあ、ちょっと、あなたの考えを聞かせてもらいましょうか」
「いや、蜘蛛の見分け方なんて……。どこかに傷やホクロがあったとか、そういうのがあればわかるだろうけど。ははは」
「蜘蛛にホクロねえ……」呆れる老齢の男。「それは愛じゃなくて観察力だしね」

 そこへ「お兄さん方」と女性の声。
 洩れ聴こえていたらしい、そばにいた、着物姿でばっちり決めた五十代くらいの女性客が割り込んでくる。「あの舌鋒さんの蜘蛛の話してるの? さては最後のクイズのことでしょ? 私ね、あのお話、前にもラジオで聴いているんですよ。そのとき答えも聞いたのよね」
 三人はちょうどよかった、と餌をもらうつもりの猫のような顔を並べて答えを待ったが、女性はなぜかはねつけた。
「こういうの、自分で答えを見出(みいだ)すのがいいんじゃないの? 簡単に行き着いちゃおもしろくないでしょ」
「ええー、教えてくれないの? ケチー。あんただってラジオで簡単に知った口だろ?」老齢の男がお預けに不満をもらす。
「でもね、『ああ、なるほど』って思うような答えよ。難しく考えちゃだめなんだと思うわ。愛が関わってるって言われたら、たしかにそうね」
「うーむ、気になる。そこをなんとか」樹伸が食い下がり、賛同者をかき集めるごとくキッパータックの肩を掴んで引き寄せた。「私はともかく、こちらの彼にはこれから愛の世界を(きわ)めていってほしいと思っています。後学(こうがく)のために教えてやってくださいませんか?」
「あら、あなた、まだお相手がいらっしゃらないわけ?」
「はい……」品定めするような目を女性から向けられ、身を小さくするキッパータック。
「それじゃ、これからね」
「そうなんですよ、今、探してるところで」と勝手に代弁する樹伸。
「そ。頑張りなさいねー」
 女性は気のない応援を送ると、そそくさとエントランスへ去っていった。
「逃げられてしまったぞ、愛に」
「ですね」
 獲物を逃がした蜘蛛の心境は、わかった気がした。
 
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登場人物紹介

ヒューゴ・カミヤマ・キッパータック。砂の滝がある第4大庭の管理人。好きな食べ物・魚の缶詰。好きな生き物・アダンソンハエトリ(蜘蛛)。清掃業も営んでいる。

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