第六十一話 後悔

文字数 1,027文字

 水月と話しながら庭園を歩けば、あっという間に時間は過ぎていった。少しの時間だったが、久しぶりに誰かと話し心にかかった霧が少しだけ晴れたような気がした。だが、次の仕事があった水月と門で別れると、それまでの楽しい気持ちは消えうせ、寂しさが心を支配した。このまま部屋に戻ってもまたグルグルと考え込むだけだと思った翠は、気分転換もかねてあてもなく香涼殿の中を歩いた。そして気が付けば、一本桜の前に立っていた。舞い散る薄紅色の花びらを見上げれば、ふと、光陽の顔が頭に浮かぶ。



(光兄……)



 翠の思考を占めるのは、最後に話したあの日の出来事――



 自分勝手な感情を、光陽にぶつけてしまった。光陽の言葉の裏を読むことが出来なかった。いつもそうだ。その場その場の感情に支配されて、言い過ぎて、後で後悔をする。昔から何度も、何度もそうしてきた。その度に、悔い次こそは冷静に考えようと心がけてきたはずだった。けれど、未だにそうしてしまう自分は、自分が思っている以上にまだ子どもなのかもしれない。光陽に子ども扱いされても仕方がないのかもしれない。ちっとも成長出来ていない。そんな後ろ向き《ネガティブ》な考えが翠の頭の中をぐるぐると巡っていた。



(今までは許してくれたけど……)



 あれから、光陽は一度も翠の元を訪れない。単に仕事が忙しいだけかもしれない。けれど、それでも今までならもっと来てくれていた。それなのに来訪がないということは、もしかしたら今度こそ、嫌われてしまったのかもしれない。愛想をつかされてしまったのかもしれない。鬱屈した感情はいつの間にか恐怖へと変わり、翠の心の中を黒く染め上げていく。



(嫌だ……嫌われたくない……)



 いつの間にか両眼からは大粒の涙が、ボロボロと零れ落ちていた。何度も拭い止めようとするが、一人でに流れるそれはもう翠に制御することは出来なかった。もうこれ以上、感情に抗うことは出来ない。そう判断した翠は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を両手で覆うと、声を押し殺しながら泣いた。



 どれくらい、そうしていただろう。気付けば空はオレンジ色へと変化し、もうすぐ夕闇の世界へと変わろうとしていた。早く部屋に戻らなければ、また従姉に心配をかけてしまう。そう思い、その場を立ち去ろうとした時だった。



「翠」



 後ろから自分の名を呼ばれた。それは、今まで聞きたくて焦がれていた声だった。


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登場人物紹介

翠(すい):17歳の鵺。力を一部しか使えず、自分に自信がない為、身分や立場にこだわるようになった。身の丈にあった生活をすることが夢であったが、大好きな従姉に請われ、従姉を支える為に出仕した。現在、皇后付き兼帝付きの侍女をしている。幼少期に助けてもらって以来、光陽に恋心を抱いているが、大人になってからは距離を取るようになった。

光陽(こうよう):22歳の鬼と妖狐のハーフ。仕事には真面目であり、現在近衛左中将の地位にある。帝とは乳兄弟で、帝が心を許せる数少ない相手。天然たらしな為、宮中にいる時は周りに女性がいることが多い。が、本人は恋愛に疎く、友情の恋愛の違いが分かっていない。狐の性質が翠に向かいやすく、翠をからかって遊ぶことが好き。皇后からは嫌われているが、自身も皇后を苦手にしている。

有比良(ありひら):銀鬼国の今上帝。この国で最強の鬼で22歳。光陽とは乳兄弟で光陽を信頼している。クールで寡黙だが皇后を溺愛している。後宮には約100人の妃がいる為、光陽からは「ムッツリスケベ」と呼ばれている。

香子(かおるこ):鵺で翠の従姉。皇后として有比良を支える。翠のことになると猪突猛進になりがちで、はっきりしない光陽が嫌い。隙あれば光陽を呪い殺そうとする。

水月(みづき):翠の幼なじみの鵺。鵺としての力は弱いが、配達屋としての地位を確立。貴族からの信頼も厚い。翠が好きだが本人にはこれっぽっちも伝わっていない。

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