第五十六話 不法侵入

文字数 988文字

 その頃、光陽は帝の手引きで香涼殿に入り込んでいた。普段であれば堂々と歩ける廊下だったが、侵入者である以上コソコソと隠れながら進むしかない。侍女達の目を掻い潜りながら、ようやく翠の居室に辿り着く。そっと御簾をずらし中の様子を伺うと、丁度峰隆が診察に訪れていた。このままでは中に入れない。どこかに隠れて峰隆が出ていくのを待つか、と考えていた時、ふいに中から声がかかった。



「ど阿呆。コソコソ見ておらんで中に入ってこい」



 ばれていた。そもそも、峰隆は光陽はもちろん帝の師でもある。こんなちんけな策など想定内だったのだろう。観念し、御簾を掲げて居室に足を踏み入れる。



「こんにちは。師匠(せんせい)



 そう声をかければ、峰隆は振り返り挨拶代わりの嫌味を零してくる。



「皇后様を怒らせて堂々と見舞いにも来れぬとは哀れじゃのぉ」



 その言葉は事実だから尚腹立たしい。だが、光陽は口ではこの老人には勝てない。強く拳を握り、殴りたくなる衝動を抑え込み腰掛ける。



「……翠の様子はどうなんですか?」
「受け流すのが上手くなったようじゃの。関心関心」
「はぐらかさないで答えてください」
「見れば分かるじゃろ。まだ目覚めておらんよ」



 そう告げ峰隆は目線を戻す。峰隆の目線の先にはほんの少しやせ細った翠が横たわっていた。



「力は順調に回復しておる。じゃが精神的な衝撃(ショック)が大きかったようじゃな。夢の世界に囚われておるよ」
「……どうすれば目覚めるのですか?」
「さて、それは儂には分からぬよ。全ては、翠次第じゃ」



 それだけ告げると、峰隆は立ち上がった。診察は終わったらしい。踵を返すと、ゆったりとした足取りで居室を後にしようとする。御簾と前で一度立ち止まると、鋭い眼光で光陽を捕らえた。



「光陽、逃げてばかりでは欲しい物は何も手に入らぬぞ」



 その言葉を言い残し、今度こそ峰隆は部屋を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、光陽は師の言葉を頭の中で反芻する。



「……もう逃げられない、か」



 髪を掻き乱しながら、振り返る。先ほどと変わらず、翠は健やかな寝息を立て横たわっていた。ゆっくりと近寄り、その傍らに腰掛けるとそっと頬を撫でる。ピクリとも反応を示さないその姿に、眠りの深さを実感した。



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登場人物紹介

翠(すい):17歳の鵺。力を一部しか使えず、自分に自信がない為、身分や立場にこだわるようになった。身の丈にあった生活をすることが夢であったが、大好きな従姉に請われ、従姉を支える為に出仕した。現在、皇后付き兼帝付きの侍女をしている。幼少期に助けてもらって以来、光陽に恋心を抱いているが、大人になってからは距離を取るようになった。

光陽(こうよう):22歳の鬼と妖狐のハーフ。仕事には真面目であり、現在近衛左中将の地位にある。帝とは乳兄弟で、帝が心を許せる数少ない相手。天然たらしな為、宮中にいる時は周りに女性がいることが多い。が、本人は恋愛に疎く、友情の恋愛の違いが分かっていない。狐の性質が翠に向かいやすく、翠をからかって遊ぶことが好き。皇后からは嫌われているが、自身も皇后を苦手にしている。

有比良(ありひら):銀鬼国の今上帝。この国で最強の鬼で22歳。光陽とは乳兄弟で光陽を信頼している。クールで寡黙だが皇后を溺愛している。後宮には約100人の妃がいる為、光陽からは「ムッツリスケベ」と呼ばれている。

香子(かおるこ):鵺で翠の従姉。皇后として有比良を支える。翠のことになると猪突猛進になりがちで、はっきりしない光陽が嫌い。隙あれば光陽を呪い殺そうとする。

水月(みづき):翠の幼なじみの鵺。鵺としての力は弱いが、配達屋としての地位を確立。貴族からの信頼も厚い。翠が好きだが本人にはこれっぽっちも伝わっていない。

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