第五十五話 帝来訪

文字数 1,885文字

 ちょうど皇后の気持ちが落ち着いた頃、御簾の外から声がかかった。



「皇后様、主上のお渡りでございます。ご準備を」



 待ちわびた来訪に、侍女長は慌てて件の藁人形を片づけ釘の後を掛け軸で隠すが、当の皇后は浮かない表情を浮かべていた。テキパキと作業をしながら、侍女長は首を傾げる。



「皇后様、いかがなされました? 主上のお渡りだというのに……」
「だって私、この間有比良様のお渡りをお断りしたでしょう? それに、左中将に託した伝言でも強がってあんなことを言って……有比良様、私のこと怒っているんじゃと思って……」



 それこそ、自業自得だというのは皇后が一番分かっていた。けれど、あれはただの八つ当たりであって本当に帝のことを嫌ったわけではなかった。だからこそ、帝から嫌われてしまうことが何より恐かった。そんな皇后を、侍女長は笑って諭す。



「大丈夫でございます。現に伝言をしてこうしてすぐお渡りになられたでしょう?」



 そう告げながら、皇后の白い肌に白粉を叩き、口に紅を指す。簡単な化粧を施しただけで、皇后の美貌に輝きが増した。その美しさに誇らしさを感じながら、皇后を激励する。



「帝は皇后様を愛しておいでです。自信をおもちくださいませ」



 その言葉に、うっすら涙を滲ませながら皇后は頷いた。そして、帝を迎える為の身支度を始めたのだった。



 それから帝が居室に訪れるまでにそう時間はかからなかった。御簾を上げ拝礼をしながら出迎えれば、帝はいつもの優しい笑みを浮かべて皇后を見つめる。



「香子、顔を上げて見せてくれ」



 求められるまま顔を上げれば、そっと頬に手を添えられる。愛おしそうに見つめてくる瞳とは裏腹に、切なそうに言葉を紡ぐ。



「翠の事は、すまなかった。俺付きから外す。それと……香子に無視されて寂しかった」



 珍しく言葉数が多い帝に、どれだけ彼が傷ついたかを感じ取る。罪悪感から目が潤み、慌てて俯く。声を震わせながら、精一杯の思いを帝に届ける。



「私の方こそ……申し訳ありませんでした。無視なんて酷いことを……」
「香子」



 両頬を大きな手の平が優しく包み込む。その手がそっと皇后の顔を上げ、帝と目が合う。帝はとても優しい目をしていて、思わず瞳から大粒の雫が流れ落ちる。一つ、また一つと落ちてくる雫をそっと拭い、額に軽く唇を落とす。



「もう泣くな。俺は気にしていない」



 その言葉に大きく頷くと、潤む目を自分で拭う。次いで大輪の笑顔を浮かべると、釣られるように帝も微笑む。いつの間にか、部屋には帝と皇后の二人きりになっていた。二人の空気を察して侍女長は席を外してくれたらしい。それを確認すると、どちらともなく目を閉じ唇を重ねた。



 長い長い口づけ――



 顔が離れていくことを少し名残惜しく感じながらも、瞼を開ければ幸せそうな帝の顔が見え、釣られて微笑む。そんな皇后を見て、帝は絹のような皇后の髪を優しく撫でた。しばらくそうして感触を楽しんだ後、帝は思い出したかのように口を開く。



「そういえば、光陽のことなんだが……」



 今一番聞きたくない名前を聞き、皇后はムスッとする。そんな表情も愛くるしいと感じながら、帝は言葉を続けた。



「相談を受けた。あいつなりに今向き合おうとしている。許してやってくれないか?」
「有比良様はズルいです。私が有比良様のお願いを断れないのを知ってておっしゃるんですから」



 帝から身体を離すと、スッと背を向ける。せめてもの、抵抗だった。



「どうせこうしている間に左中将をあの子の部屋に行かせているんでしょう?」
「……香子は何でもお見通しだな」
「すぐにばれるようなことをしないでください」
「悪かった」
「そうは思ってらっしゃらないくせに」



 そう呟き、一つ、息を吐く。



「私は今でも、左中将があの子に相応しいとは思っていませんし何なら今すぐにでも駆除したいくらいです。けれど、あの子が左中将を求めているのも事実ですから……もう少し、待ちます」



 不服そうにそう告げると、後ろから帝が腕を回してくる。見かけによらずがっしりとした腕にそっと手を添えれば、甘い声が耳元を擽る。



「ありがとう。愛している」
「……私もです」



 そう答えれば、再び帝の方を向かされる。熱を帯びた瞳が皇后を欲し、再び唇を塞がれる。



 それが、長い長い、幸せの時間の始まりだった――



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登場人物紹介

翠(すい):17歳の鵺。力を一部しか使えず、自分に自信がない為、身分や立場にこだわるようになった。身の丈にあった生活をすることが夢であったが、大好きな従姉に請われ、従姉を支える為に出仕した。現在、皇后付き兼帝付きの侍女をしている。幼少期に助けてもらって以来、光陽に恋心を抱いているが、大人になってからは距離を取るようになった。

光陽(こうよう):22歳の鬼と妖狐のハーフ。仕事には真面目であり、現在近衛左中将の地位にある。帝とは乳兄弟で、帝が心を許せる数少ない相手。天然たらしな為、宮中にいる時は周りに女性がいることが多い。が、本人は恋愛に疎く、友情の恋愛の違いが分かっていない。狐の性質が翠に向かいやすく、翠をからかって遊ぶことが好き。皇后からは嫌われているが、自身も皇后を苦手にしている。

有比良(ありひら):銀鬼国の今上帝。この国で最強の鬼で22歳。光陽とは乳兄弟で光陽を信頼している。クールで寡黙だが皇后を溺愛している。後宮には約100人の妃がいる為、光陽からは「ムッツリスケベ」と呼ばれている。

香子(かおるこ):鵺で翠の従姉。皇后として有比良を支える。翠のことになると猪突猛進になりがちで、はっきりしない光陽が嫌い。隙あれば光陽を呪い殺そうとする。

水月(みづき):翠の幼なじみの鵺。鵺としての力は弱いが、配達屋としての地位を確立。貴族からの信頼も厚い。翠が好きだが本人にはこれっぽっちも伝わっていない。

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