第十七話 強情
文字数 1,362文字
三十分後――
ようやく目元の不快感が消えた。目を開け、近くにあった鏡を見てみれば、腫れはすっかり引いていた。師匠の作った薬の効果を実感していると、ちょうど紙袋を抱えた水月が戻ってきた。だが、その表情は暗い。この短時間に何があったのだろうか。翠は首を傾げ、水月に問いかけた。
「お帰りなさい。どうかした?」
「あー……なんか街で事件が起きたらしい」
「事件?」
「宿下がり中の女官が十数人、賊に襲われて死んだってよ」
さらりと告げられたその言葉を聞いて、思わず眉間に皺を寄せる。
「それ、どこからの情報?」
「俺は店のおっちゃんに聞いたけど、もう街ではその話が広まっているみたいだったぞ。なんでも、賊のカマイタチは毒を持っているらしい」
「毒……」
カマイタチは通常、毒を持っていない。それに、こんな街中で人を襲うよりも街道で荷馬車を襲う方が性にあっているはずだ。何か別の思惑が裏で動いている気がする。ふと顔を上げると、水月と目が合った。水月も同じように思っているらしい。
「翠、一緒に帰るか?」
「子どもじゃないんだから大丈夫」
「でも、女官が襲われてるんだぞ?」
その眼光は優しく、翠のことを心から心配してくれていることが伝わってきた。けれど、彼にも仕事がある。生活が懸かっている。こんなことに時間を使わせるわけにはいかない。
「ありがとう。でも、大丈夫。だから、水月は荷物をお願い」
そう言えば、水月は引き下がるしかない。彼は眉間に皺を寄せながら、一つ溜息をついた。そして、翠の頭にポンと手を置く。
「真っ直ぐ帰れるか? 絶対に、寄り道しないって約束するか?」
「約束するよ」
「もし賊にあったらすぐに逃げるか助けを呼ぶんだぞ?」
「……それは善処する」
「はぁ……なんでお前はいつも厄介事に首を突っ込もうとすんだよ」
「……わたしは香子様が好き。こんなわたしを側においてくださっている。だからわたしは香子様が大切にしている物を守りたい。それだけだよ」
(それに……そうすれば光陽様の助けにもなる)
つい本音が零れそうになるのを必死にこらえる。けれど、言わずとも幼馴染には伝わってしまっていたのだろう。水月の目が、簪に向けられた。優しく簪の飾りに触れると、悲しげな声で言葉を紡ぐ。
「いっつも泣かされてる癖に……なんで光兄なんだよ」
「それは……わたしも知りたい。でも……」
自分の自我 に幼馴染を巻き込むわけにはいかない。翠は精一杯の笑顔を彼に向けた。
「わたしは大丈夫。無茶はしないって約束する。だから安心して」
返事に一瞬の間が生じる。水月の顔には、苦渋の表情が浮かんでいる。こんな状況で女性を一人で帰すのは気が引けるのだろう。どこまでも優しい幼馴染だ。けれど、翠は彼を安心させてあげられない。そのことを申し訳なく思うが、翠もここは引けない。それが分かっているからこそ彼は、最後には翠の意思を尊重してくれた。
「……分かった。お前を信じる」
そう呟き水月は翠から離れる。そしていつもの太陽のような笑顔が彼に戻ってきた。「気を付けて帰れよ」と送り出され、翠は店を後にした。
ようやく目元の不快感が消えた。目を開け、近くにあった鏡を見てみれば、腫れはすっかり引いていた。師匠の作った薬の効果を実感していると、ちょうど紙袋を抱えた水月が戻ってきた。だが、その表情は暗い。この短時間に何があったのだろうか。翠は首を傾げ、水月に問いかけた。
「お帰りなさい。どうかした?」
「あー……なんか街で事件が起きたらしい」
「事件?」
「宿下がり中の女官が十数人、賊に襲われて死んだってよ」
さらりと告げられたその言葉を聞いて、思わず眉間に皺を寄せる。
「それ、どこからの情報?」
「俺は店のおっちゃんに聞いたけど、もう街ではその話が広まっているみたいだったぞ。なんでも、賊のカマイタチは毒を持っているらしい」
「毒……」
カマイタチは通常、毒を持っていない。それに、こんな街中で人を襲うよりも街道で荷馬車を襲う方が性にあっているはずだ。何か別の思惑が裏で動いている気がする。ふと顔を上げると、水月と目が合った。水月も同じように思っているらしい。
「翠、一緒に帰るか?」
「子どもじゃないんだから大丈夫」
「でも、女官が襲われてるんだぞ?」
その眼光は優しく、翠のことを心から心配してくれていることが伝わってきた。けれど、彼にも仕事がある。生活が懸かっている。こんなことに時間を使わせるわけにはいかない。
「ありがとう。でも、大丈夫。だから、水月は荷物をお願い」
そう言えば、水月は引き下がるしかない。彼は眉間に皺を寄せながら、一つ溜息をついた。そして、翠の頭にポンと手を置く。
「真っ直ぐ帰れるか? 絶対に、寄り道しないって約束するか?」
「約束するよ」
「もし賊にあったらすぐに逃げるか助けを呼ぶんだぞ?」
「……それは善処する」
「はぁ……なんでお前はいつも厄介事に首を突っ込もうとすんだよ」
「……わたしは香子様が好き。こんなわたしを側においてくださっている。だからわたしは香子様が大切にしている物を守りたい。それだけだよ」
(それに……そうすれば光陽様の助けにもなる)
つい本音が零れそうになるのを必死にこらえる。けれど、言わずとも幼馴染には伝わってしまっていたのだろう。水月の目が、簪に向けられた。優しく簪の飾りに触れると、悲しげな声で言葉を紡ぐ。
「いっつも泣かされてる癖に……なんで光兄なんだよ」
「それは……わたしも知りたい。でも……」
自分の
「わたしは大丈夫。無茶はしないって約束する。だから安心して」
返事に一瞬の間が生じる。水月の顔には、苦渋の表情が浮かんでいる。こんな状況で女性を一人で帰すのは気が引けるのだろう。どこまでも優しい幼馴染だ。けれど、翠は彼を安心させてあげられない。そのことを申し訳なく思うが、翠もここは引けない。それが分かっているからこそ彼は、最後には翠の意思を尊重してくれた。
「……分かった。お前を信じる」
そう呟き水月は翠から離れる。そしていつもの太陽のような笑顔が彼に戻ってきた。「気を付けて帰れよ」と送り出され、翠は店を後にした。