第一話 鵺の生きる世界
文字数 1,587文字
色鮮やかな屏風で飾った室内。ここは、この銀鬼国 で最も高貴な方の御座所。目の前では、二十二歳の年若き君主がまっすぐこちらを見つめている。何度訪れても慣れないこの場所で、翠 はゆっくりと頭 を垂れる。
「それでは、本日はこれにて下がらせていただきます」
「あぁ。皇后に今宵は伺うと」
「畏まりました」
ゆっくりと頭を上げ、立ち上がる。失礼のないように衣擦れの音一つにも気を配りながら、ゆっくりと御座所を後にした。お勤めは終わったが、この場所にいる限り、気を抜くことは許されない。出入口を抜け、完全に御座所が見えなくなった頃、ようやく息を吐くことが出来た。
「疲れた……もう無理……」
元々は皇后 付きの侍女だ。それなのに、何の因果か昼間は帝の侍女を兼任している。断れる立場ではない為、仕方がなくこの二重 生活 を続けているが、正直、自分には荷が重すぎる。その分、給金を弾んでもらっているが、そんなことは関係ない。出来損ないの鵺である自分などがしていい仕事ではない。もっと別に相応しい人選があったはずだ。そんな愚痴を心に押しとどめながら、ふと空を見上げる。一羽の鳥が、気持ちよさそうに空を舞っていた。あれは、燕だったか。自由に飛ぶその姿に、羨望の眼差しを向けながら、一つ溜息をつく。
この銀鬼国は、全てを薙ぎ払う力を持つ銀色の鬼が統べる、多種多様な妖が住まう国。普段は人型を模しているが、皆、妖としての姿と力を有している。翠は鵺だが、その中でも力の弱いトラツグミの妖だ。そして、本来鵺が持っている力の一部しか使えない。
「あーあ。なんでこんなことになってるんだろう」
自分が他者より劣ってることは、自分が一番分かっている。だが、大好きな従姉に請われ、彼女の為に柄にもなく出仕しているのだ。そうでなければ、どこかの田舎で農作業にでも勤しんでいるはずだった。身の丈にあった生活をするのが夢だったのに。人生とは儘ならないものだ。
そんな時だった――
「光陽 さまぁ」
「こちらでお茶しましょうよ」
静寂を掻き消す甘い声を風が運ぶ。視線を向けなくとも、そこに誰がいるのかは分かる。けれど、不思議な引力が翠の視線を捉え、引き付ける。
「ごめん。皆が俺と遊びたいのは分かるけど、帝に呼ばれているから。また今度」
桜花の下で、侍女に囲まれている麗人。二十二という若さでこの国で左近衛中将になった人だ。鬼と妖狐の混血 で、どんな女でも一目見れば心を鷲掴みにされる、そんな麗しい顔の持ち主でもある。
(相変わらず、綺麗だな……)
その姿を眼に映すだけで、翠の胸も例外なく高鳴る。そして、きゅうっと胸の奥を締め付けるのだ。
でも、自分はあそこにはいけない――
出来損ないの自分とは、違う世界――
彼を囲む宮中の花達はとても綺麗だ。道端に咲いている自分はそこに混ざることは許されない。幼い頃はそんなこと気にすることはなかったが、それが許されるのは、世を知らない童の自分だけ。年月は色々な事を翠に教えた。十七になった自分には、その場には似合わない。早く立ち去るべき。そう、頭では分かっているのに、心は言うことを聞かない。
(こんな感情、知らなければよかった……)
苦しい――
これ以上ここにいてあの華を眺めるのは、正直辛い。前を向き、歩を進める。
「翠っ!」
少し長く居すぎたようだ。こちらに気付いた中低音の声が、自分の名を呼ぶ。けれど、翠は聞こえなかった振りをした。心なしか早歩きになっているが、気にしている余裕はない。今はこの場から逃げ出すことの方が重要だった。
「それでは、本日はこれにて下がらせていただきます」
「あぁ。皇后に今宵は伺うと」
「畏まりました」
ゆっくりと頭を上げ、立ち上がる。失礼のないように衣擦れの音一つにも気を配りながら、ゆっくりと御座所を後にした。お勤めは終わったが、この場所にいる限り、気を抜くことは許されない。出入口を抜け、完全に御座所が見えなくなった頃、ようやく息を吐くことが出来た。
「疲れた……もう無理……」
元々は
この銀鬼国は、全てを薙ぎ払う力を持つ銀色の鬼が統べる、多種多様な妖が住まう国。普段は人型を模しているが、皆、妖としての姿と力を有している。翠は鵺だが、その中でも力の弱いトラツグミの妖だ。そして、本来鵺が持っている力の一部しか使えない。
「あーあ。なんでこんなことになってるんだろう」
自分が他者より劣ってることは、自分が一番分かっている。だが、大好きな従姉に請われ、彼女の為に柄にもなく出仕しているのだ。そうでなければ、どこかの田舎で農作業にでも勤しんでいるはずだった。身の丈にあった生活をするのが夢だったのに。人生とは儘ならないものだ。
そんな時だった――
「
「こちらでお茶しましょうよ」
静寂を掻き消す甘い声を風が運ぶ。視線を向けなくとも、そこに誰がいるのかは分かる。けれど、不思議な引力が翠の視線を捉え、引き付ける。
「ごめん。皆が俺と遊びたいのは分かるけど、帝に呼ばれているから。また今度」
桜花の下で、侍女に囲まれている麗人。二十二という若さでこの国で左近衛中将になった人だ。鬼と妖狐の
(相変わらず、綺麗だな……)
その姿を眼に映すだけで、翠の胸も例外なく高鳴る。そして、きゅうっと胸の奥を締め付けるのだ。
でも、自分はあそこにはいけない――
出来損ないの自分とは、違う世界――
彼を囲む宮中の花達はとても綺麗だ。道端に咲いている自分はそこに混ざることは許されない。幼い頃はそんなこと気にすることはなかったが、それが許されるのは、世を知らない童の自分だけ。年月は色々な事を翠に教えた。十七になった自分には、その場には似合わない。早く立ち去るべき。そう、頭では分かっているのに、心は言うことを聞かない。
(こんな感情、知らなければよかった……)
苦しい――
これ以上ここにいてあの華を眺めるのは、正直辛い。前を向き、歩を進める。
「翠っ!」
少し長く居すぎたようだ。こちらに気付いた中低音の声が、自分の名を呼ぶ。けれど、翠は聞こえなかった振りをした。心なしか早歩きになっているが、気にしている余裕はない。今はこの場から逃げ出すことの方が重要だった。