第五十七話 狐の本音

文字数 1,047文字

 そこまで翠が追い込まれることは、予測できなかった。それもこれも、あの簪の重さを自分が分かっていなかったからだろう。翠のことになると特に悪手を打ってばかりな気がする。



「翠……ごめん」



 そう呟いた言葉は、すぐに静寂に消えていった。今なら、誰も聞く者はおらず言葉は無に帰る。そんな空間に誘い出されるように、光陽の口から本音が零れ落ちていく。



「俺……自分の気持ちが分からないんだ」



 そんな弱音を吐きながら、そっと翠の髪を撫でる。



「元服の儀の時、俺はまだ餓鬼だったんだ。翠が遊んでくれないことに拗ねて、あんなことした。でも、翠を泣かせて、怒られて気付いたんだ……俺は、翠が好きだったって」



 ふっと、唇に嘲笑を浮かべる。今思い出しても、あの頃の自分は馬鹿だった。



「あの時、自分が恐くなった。感情のままに接していたら、またお前を傷つけると思った。それで、ずっと兄妹として接してきた。そうしたらお前を傷つけずに済むと思ったから。だけどその内、妹として好きなのか、恋人にしたかったのか、分からなくなったんだ」



 このままでも十分幸せだった。傷つけずに済むなら、このままでもいいと思って翠の気持ちに気付かない振りをしてズルズルと来てしまった。そんな自分の弱さが、また翠を傷つけてしまったのだ。今回の一件では失態ばかりで、情けない。師匠の言った通り、自分に向き合う時が来たのかもしれない。



「今はまだ、翠の気持ちには応えられない。けど、自分の気持ちを見つけるから。その時まで待って欲しい」



 そう宣言するも、聞いているのは自分だけ。けれど、言葉は言霊。口に出してしまえば、後には引けない。誰にでもない、自分に対する決意表明だった。



 心を決めた途端、眠気が光陽を襲い始める。そういえば、徹夜明けであったことを今更ながら思い出す。そっと翠の傍らに横たわれば、昔に戻ったようなそんな感覚を覚える。



「そういえば……昔はこうして寝ていたな……」



 少し細くなったその身体を抱きしめれば、心地よい温かさが伝わってくる。こんな所を見つかれば、また皇后に怒られるだろう。けれど、これが最後。目覚めればもう、こんな風には戻れないのだ。せめて今だけは、懐かしいあの時に戻らせて欲しかった。



「翠……早く起きろ……」



 そう囁き、その頬に優しく唇を落とす。そして、心地よい微睡に誘われながらそっと意識を手放したのだった。



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

翠(すい):17歳の鵺。力を一部しか使えず、自分に自信がない為、身分や立場にこだわるようになった。身の丈にあった生活をすることが夢であったが、大好きな従姉に請われ、従姉を支える為に出仕した。現在、皇后付き兼帝付きの侍女をしている。幼少期に助けてもらって以来、光陽に恋心を抱いているが、大人になってからは距離を取るようになった。

光陽(こうよう):22歳の鬼と妖狐のハーフ。仕事には真面目であり、現在近衛左中将の地位にある。帝とは乳兄弟で、帝が心を許せる数少ない相手。天然たらしな為、宮中にいる時は周りに女性がいることが多い。が、本人は恋愛に疎く、友情の恋愛の違いが分かっていない。狐の性質が翠に向かいやすく、翠をからかって遊ぶことが好き。皇后からは嫌われているが、自身も皇后を苦手にしている。

有比良(ありひら):銀鬼国の今上帝。この国で最強の鬼で22歳。光陽とは乳兄弟で光陽を信頼している。クールで寡黙だが皇后を溺愛している。後宮には約100人の妃がいる為、光陽からは「ムッツリスケベ」と呼ばれている。

香子(かおるこ):鵺で翠の従姉。皇后として有比良を支える。翠のことになると猪突猛進になりがちで、はっきりしない光陽が嫌い。隙あれば光陽を呪い殺そうとする。

水月(みづき):翠の幼なじみの鵺。鵺としての力は弱いが、配達屋としての地位を確立。貴族からの信頼も厚い。翠が好きだが本人にはこれっぽっちも伝わっていない。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み