52 幸運を

文字数 5,034文字

「まるであの日の再演を見ているようだね」甲板に立つマノンが言いました。
「ええ、ほんとに」隣でグリューが同意します。
 青く茂る樹々に囲まれる開けた草原。
 その上で睨みあうように対峙する赤紫と灰白の飛空船。
 なにもかもが数ヵ月前のエーレンガートの丘の時とそっくりな構図のこの現場において、ちがっているのは――
「あの時は雨がひどかった」雲一つない真っ青な夏空を見あげて、マノンが詩でも詠むようにつぶやきます。乾いた潮風が、その頬をさらりと撫でて去っていきます。「あんな土砂降りのなかで喚き散らしたもんだから、あれから数日間は声が()れたんだった」
「そうでしたねえ……」
 灰白色の船――新生コランダム軍が運用する巨兵搭載型飛空船〈バディネリ〉の出撃口が開放されるのを真正面から眺めながら、グリューが気怠げにうなずきました。
 まだ跳ね上げ式の大扉(おおと)がすべて上がりきらないうちに、その内奥の格納庫から、ぜんぶで六人の兵士たちが外へ飛び出してきました。全員、自軍の飛空船や本拠地の宮殿とそっくりな色の戦闘服を装備しています。加えて、頭部には左右の両側面が(つの)のように突き出た形状の兜を装着し、腰の脇には鞘に収まったサーベルを、手には砲身の短い散弾銃を携えています。
 彼らは船と船のあいだのちょうど中間地点あたりまで進み出ると、そこからほど近い森と野原の境界線上に立ち尽くしている〈緑のフーガ〉とベーム博士一行に銃口を向けました。
 クラリッサは両目を細め、彼らの練度を推し量ります。全員かなり鍛え上げられているのが、衣服の上からも見て取れます。銃の扱いも手慣れたものだし、怖気づく素振りのまったくない機敏で的確な身のこなしも、実戦部隊要員としてなかなか申し分のないものだと、彼女は冷静に判断を下します。
 ノエリィは博士に身を寄せるように後ずさりして、銃身の先端にのぞく暗い穴を睨みます。もうこういうものを見るのはうんざり、といった嫌悪と憤りに満ちたまなざしで。
 まもなく船体の軋む音が止み、バディネリの出撃口が全開になりました。
 もはやなんの前口上(まえこうじょう)も、嘲笑も、呪詛(じゅそ)もなく、ただ重々しい足音だけを響かせて、青い鎧のカセドラ〈フィデリオ〉が、太陽の下に姿を現しました。
 夏の光に照らされて、銀の飾り(つの)が見る者の目を刺すように輝きます。その手にはやはり長槍が握られていますが、今回のそれはいわゆる通常の槍とは異なり、一端だけではなく両端ともに細く尖った(はがね)()が突き出ています。巨大な二つの手が、その刃と刃のあいだの(つか)をがっしりと握り込んでいます。
 フィデリオは大地を震わせて数歩前進し、隙のない流れるような動作で得物の穂先をマノンたちの眼前に突きつけます。甲板に立つ生身の二人は、静かに息を呑みます。しかし決して後退はしません。
 そこでふいに、地上に展開した兵士の一人が手のひらを兜の側面に添えて、なにかを聴き取っているふうに何度かうなずきました。そして顔を上げて簡潔に告げます。
「よくやってくれた、〈緑のフーガ〉の諸君。もう解放してかまわない」
 まるで台本を棒読みする大根役者のように兵士がそう言うと、緑色のスカーフを巻いた四人の男たちは互いの(ほう)けた顔を見あわせて、指示されたとおりに人質を全員解放しました。
 放り出されて地上へ落下するプルーデンスの体を、顔じゅう血だらけのベーム博士がすかさず両手で受けとめます。
「大丈夫かい、プルーデンス。すまなかった、私がついていながら」
「そんな顔しないで。わたしは、平気……」憔悴しきった顔で、それでも気丈な笑みは絶やすことなく、小さな少女はこたえます。「それより、あなたの傷の方が……」
 しかし自分を気遣うその声の半分も、博士の耳には届いていませんでした。今の彼は全身が発火しかねないほどの憤怒に打ち震え、目を合わせただけで相手を圧死させるような凄絶な眼光でもって、四人の男たちを直視しています。
「ひっ……!」
 バンダナを頭に巻いた男が悲鳴をもらし、他の面々を引き連れるようにしてその場から急ぎ離れ、銃を構える兵士たちの背後へ逃げ込みました。
「虫けらどもめ」クラリッサが吐き捨てました。
 その直後、槍を構えた体勢のまま、フィデリオの首がくいっと小さく振られました。
 どうやら、マノンとグリューに操舵室に入れと指示しているようです。
 二人はぎりぎりのところまで敵に背を向けずに退()がると、扉に手が届くと同時に身を翻して操舵室に滑り込みました。
 フィデリオはまだ、なんの動きも見せません。見たところ、通信が確立されるのを待ち受けているようです。
「やあ。これでいいのかい」
 マノンは立ったまま通信機器に顔を近づけて、旧知の仲の相手に対するような口調で呼びかけました。
「貴様のその軽薄な物言いを聴くのも、いよいよ今日が最後だ」フィデリオの内部に座すライカが、判決文を読み上げるように告げます。
「最初の時はこんな機器(もの)を通さずに、お互いの顔を見あって直接お喋りしたじゃないか」昔を懐かしむようにマノンが言います。「今日はそこから出てきてお話ししてはくれないのかな。そんなに僕らが怖いのかい」
「黙んな」
 とつぜん別の女性の声が割り込んできました。グリューは双眼鏡を使って、相対する船の操舵室内を確認します。
 二つ並んでいる操縦席にそれぞれ座っている男性の兵士たちのあいだに、車椅子かなにかに腰かけているのか、ゆるやかに水平に移動する赤いフードをかぶった女性の顔が見えます。その頬の脇には、姉とそっくりの銀色の髪の毛がぱらりとこぼれ出ています。
「いいんだ、レンカ」ふっと声を(やわ)らげて、ライカが妹に語りかけます。そしてまたすぐに険しい語気を取り戻し、うめくように口を開きます。「……そうとも、私は恐ろしい。恐ろしくてたまらないよ。マノン・ディーダラス博士」
 マノンとグリューは言葉を発することなく、ただ目の前に差し向けられている刃の頂点を見据えています。二人とも表情こそ崩してはいませんが、もうとっくに全身は冷や汗で湿っています。
「まったく、科学者という人種は、それも貴様らのような(たが)が外れた連中は、いったいなにをしでかすかわかったものじゃない」ライカは嘆かわしげにかぶりを振ります。それに合わせて、フィデリオの頭も左右に揺れます。「次から次へと野蛮極まりない兵器を造り続けて……自分たちがどれほどこの世の平和を乱しているか、考えたことはないのか?」
「よく言うぜ」眉間に深い皺を刻んで、グリューが毒づきます。
「仕方ないよ、姉さん」レンカが憐れむように言います。「こいつらみんな、正真正銘の病気だもの。あんな、自分らでも扱いきれないような化け物まで、考えなしにほいほい造っちゃってさ……」
 それぞれの胸の内で激しさを増す動悸を抑えながら、しかしマノンとグリューはそれ以上なにもできず、なにも言えず、ただ毅然とした姿勢だけはかろうじて損なわず、精一杯に顔を前へ向けます。
「お~い。聴こえてるかな。その化け物に乗ってるミシスちゃん。お姉さんたちにお顔を見せてよ」
 おどけているのか、それとも本当に気でも触れてしまったのかわからないような、素っ頓狂な調子でレンカが少女に呼びかけます。
 すべてのやりとりをリディアの操縦席内で聴き取っていたミシスは、今回ばかりはなにを言われようとも決して反応しない決意と共に、ぴったりと口を閉ざしたまま、壁の裂目(さけめ)の先にのぞく陽だまりを見つめていました。太陽の照り返しが強すぎて、船外の状況を正確に見通すことはできません。けれど、樹木の幹のような太く青い二本の脚のシルエットだけは、ぼんやりと見て取れます。
 ミシスは何度か深呼吸をすると、リディアの首を横に向けて、格納庫の壁に設置された時計を一瞥しました。
 かち、かち、と緩慢な速度で進む秒針を食い入るように注視し、一秒経つごとに深く、明晰に、思考を研ぎ澄ませていきます。
 やがておもむろに、強い息をふっと一気に吐き出すと、少女は操縦席の扉に両手をかけて、それを左右に押し開きました。
 足音を立てずに躯体の外へ飛び出し、そのまますぐに格納庫の奥の休憩室に駆け込み、その部屋の隅に置かれたキャビネットのひきだしを開けて、そこから一枚の記録用紙と一本の鉛筆を取り出します。すぐさま用紙を裏返して白紙の面を(おもて)にし、机()わりの壁にそれをぺたりと押しつけると、ミシスはそこに素早く、しかし誤りなく読み取ることのできる丁寧な筆致で、短い伝言を書きつけました。
「良い案だわ」少女の背後でレスコーリアが言いました。
 天井まで跳ね飛んでしまうほど驚いたミシスは、両手で胸を押さえて非難がましい目を小さな少女に向けます。
「驚かさないでよ、もう! こんな時に!」
「ごめんごめん」わるびれつつ、レスコーリアはミシスの手のなかの紙をひょいとつまみ上げ、そこに書かれた文章に再び目を通します。

〈きっかり13時30分になった瞬間に、
 わたしが外にいる兵士たちを無力化します。
 ライカはきっとすぐにそれに反応して、
 なんらかの攻勢に出ると思います。
 けれどそれより先に、
 わたしが彼女のカセドラを封じます。
 その時、もしかしたらそちらへ危険が及ぶかもしれません。
 どうかご自分たちの身を守るよう努めてください。
 
         幸運を ミシス〉

「すぐに届けるわ」レスコーリアが紙をくるくると丸めて脇に抱えます。
 現在の時刻は、13時25分。
 ミシスは表情を引き締め、ぐっとうなずきます。「お願いね。あなたも隠れてね、レスコーリア」
 それから二人は即座に自分の()るべき行動に移りました。
 操舵室へと続く階段に直行する小さな後ろ姿を見届けると、ミシスは再びリディアの胸のなかに戻りました。
「――不毛な問答もこれまでだ」操縦席の扉を閉めた途端、ライカの怒声が少女の耳を射抜きました。「おとなしく投降するのか、それとも一人残らずこの刃にかかりたいのか。選ばせてやると言っているうちに、さっさと選ぶがいい」
「くそったれめ……」拳を握るグリューが、青白い唇を震わせます。
 その隣でマノンもまた、血の気の引いた(おもて)に幾筋もの汗を流しています。
 レスコーリアは一切音を立てることなく、なおかつ二人が勘づいて振り返ったりすることもないよう、床面すれすれに操舵室内を滑空しました。そして計器盤の脇にぴたりと身を隠し、なるべくマノンたちの目線が前方へ向けられたまま動かずに済む最適の位置を見定めて――思わず口もとをほころばせました。
 そこには、カネリアの鉢がありました。
 狙いを定めて静かに飛び上がると、レスコーリアは敵巨兵の視野から死角になる鉢のこちら側に背中をつけて、手早く慎重に紙を広げ、マノンとグリューの視界のなかに少女からの伝言を捻じ込みました。
 はっと息を呑み、けれど目も体も微動だにさせないまま、二人はまるで暗雲を裂いて射し込む光を浴びたかのような表情を浮かべました。そしてそれぞれに心のなかで胸を撫で下ろし、計器盤に内蔵された時計をちらりと見やります。
 この時、13時29分と22秒。
 いつでも操舵室後方に位置する下り階段へ退避できるよう、マノンとグリューは各自の脳内で緻密に算段を立てます。どんな速度で振り返り、どんな姿勢で走りだし、どんな歩幅で脚を出せば、この部屋から最速で脱出することができるのか。二人は共にその想定を練り上げます。
 二人のその様子を見て取ったレスコーリアが、広げていた紙を再びくるくると丸めて小さくうなずき、すぐにまた身をかがめて階段の入口まで飛んでいきました。彼女はそこから、二人の友人の背中を固唾を呑んで見守ります。
「もういいよ、ライカ姉さん」露骨に飽き飽きした様子で、レンカがため息をつきます。「もうどうしようもないってことくらい、さすがのこいつらも理解できてるでしょ」
「そうなのか?」フィデリオが首を反らせてマノンを見おろします。「本当にもうなんの抵抗もなしか。これだけさんざん逃げ隠れして、その結末がこれか。なんともあっけないものだね。まったく、張合(はりあ)いってものがない……」
 もはやマノンとグリューはいかなる感情も抱きはしません。ただ心を鎮めて、時計の秒針を目で追うだけです。
 53、
 54、
 55、
 56、
「覚悟しろ」ライカが――フィデリオが――槍を持つその手に力を(みなぎ)らせます。
 57、
 58、
 59……
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

◆ミシス・エーレンガート


≫主人公。エーレンガート家に家族の一員として迎え入れられ幸福な日々を過ごしていたが、思わぬ形でコランダム独立の騒乱に巻き込まれ、ノエリィと共に丘の家から旅立つことになった。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫ミシスの親友であり家族でもある心優しい少女。望まぬ形で軍に連行されるミシスを独りにさせまいと、ほとんど押しかけるようにして〈特務小隊〉の一員となる。

◆マノン・ディーダラス


≫本職は科学者であり発明家だが、カセドラ〈リディア〉を守護するため急造された部隊〈特務小隊〉の隊長を務めることになった。同隊が移動式拠点として利用する飛空船〈レジュイサンス〉も、彼女の発明の賜物。

◆グリュー・ケアリ


≫マノンの腹心の助手。彼女に付き従い、ホルンフェルス王国軍極秘部隊〈特務小隊〉に所属する。飛空船での暮らしにおいては、もっぱら料理係と操縦士の役割を務めている。

◆レスコーリア


≫マノンたちに同行するがまま、〈特務小隊〉に加わることになったアトマ族の少女。相変わらず自分流に気ままな日々を過ごしながらも、密かに隊の皆を見守っている。

◆クラリッサ・シュナーベル


≫世界最強の顕術士一族として知られるシュナーベル家の長女。優れた顕術士ばかりで構成される王国騎士団〈浄き掌〉の副団長を務める。グリューとは許婚どうしで、マノンやレスコーリアとも旧知の仲。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫新生コランダム軍を率いる将軍。統一王国からの離脱と祖国独立の宣言を発し、全世界に対し戦後最大級の衝撃を与えた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫新生コランダム軍に所属する軍人。エーレンガートの丘での失態の後、妹のレンカと共に小部隊を率いてミシス一行を追撃する。

◆レンカ・キャラウェイ


≫エーレンガートの丘で勃発したカセドラどうしの戦闘によって重傷を負い、その後しばらくのあいだ治療に専念していた。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫国王トーメ・ホルンフェルスの名代として、マノン一行に〈特務小隊〉としての任務を与えた。以後さまざまな手段を用いて、先の見えない困難な日々を送る同小隊を遠く王都より支援する。

◆ハスキル・エーレンガート


≫愛する娘たちと離ればなれになり、我が子同然の学院校舎が損傷してもなお、決して希望を失うことなく毎日を前向きに生きている。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫幼少時より人知れず抱えていたカセドラ恐怖症の劇的な発作により、長期に渡って入院生活を送っていた。恩師ハスキルに護られながら、徐々に回復へと向かう。

◆ドノヴァン・ベーム


≫十年ほど前に王都から忽然と姿を消した、伝説的な大科学者。レーヴェンイェルム将軍の幼馴染みにして、マノンの恩師。現在の彼の動向を知る者は極めて少ない。

◆プルーデンス


≫ベーム博士と共に暮らすアトマ族の少女。博士とおなじくアルバンベルク王国の出身。幼い頃から過酷な環境を生き抜いてきたためか、非常に気立てと面倒見が良い。

◆〈リディア〉


≫ホルンフェルス王国軍が極秘裏に開発していた最新型のカセドラ。本来ならカセドラが備えるはずのない、ある極めて特異な能力をその身に宿している。操縦者はミシス・エーレンガート。

◆〈フィデリオ〉


≫コランダム軍が新たに開発した特専型カセドラ。操縦者はライカ・キャラウェイ。

◆〈コリオラン〉


≫フィデリオと同一の鋳型を基に建造された姉妹機だったが、リディアとの交戦の末に大破した。かつての操縦者はレンカ・キャラウェイ。

◆〈□□□□□〉


≫???

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み