48 きみにその覚悟があるのか

文字数 5,175文字

「客人とは、めずらしいこともあるものだ」顎の髭を撫でながらベーム博士が言いました。「こんな辺鄙(へんぴ)な場所に、いったいなんの用だね?」
 博士と面と向きあう三十代半ばとおぼしき男は、首を反らせて何歩か後退すると、自分たちを出迎えた巨漢の全容をかろうじて視界に収めました。博士もまた、ゆったりとした姿勢で立ったまま、遥かな高みから相手を見おろします。
 短く刈り込まれた黒髪、神経質そうな細い目。中途半端に日焼けした肌。紺色のシャツと灰色の太いズボン。背が低くがっしりとした体つきに絶妙にそぐわない細身のブーツが、砂浜に描かれた波の跡の曲線を踏みしめています。両手は(から)ですが、もはや隠す気など毛頭ないと誇示するかのように、胸の前に掛けられたホルスターに拳銃が一丁収まっています。そしてもちろん、首には緑色のスカーフが巻かれています。よく見ると、そのぱりっとした真新しいスカーフの四隅には、剣と樹木と五線譜を(かたど)った紋章のようなものが刺繍されています。
 初めて見る模様だな、とベーム博士は思います。なるほど、まっとうな協会になったものだから、わざわざ新しい紋章まで作って、スカーフまで新調したというわけか。まったく、ご苦労なことだ……。
 相対(あいたい)する男が自分の姿をじろじろと検分しているあいだに、博士は他の活動員たちの様子も観察しました。
 緑色のスカーフを首に巻いた人間は、全部で三人いました。
 一人は、博士の眼前で尻込みしている黒髪の男。
 もう一人は、十歩ぶんほど距離をあけて博士を真横から睨みつけている、迷彩柄のつなぎの作業服を着込んだ白髪で坊主頭の中年男。この男もまた、腰の右側に拳銃の収まったホルスターを、そして左側にはまだなにも叩いたことのなさそうなぴかぴかの警棒を一本、ぶら下げています。その顔色は髪とおなじように生白く、表情の方もその色味に相応しいものとするためか、まるで踏み固められた雪道のように険しくこわばっています。
 最後の一人は、今ようやく桟橋に結びつけたロープから手を離し、くたびれた様子で額の汗をごしごしと拭っている、二十代前半と見られる年若い男。彼はスカーフだけでなく頭を包むバンダナまで緑色で、その隙間から色褪(いろあ)せた金髪がひょろひょろとはみ出しています。いかにも学生然とした黒縁の眼鏡を掛けていて、白い襟なしシャツと黒のベスト、それに軍隊の払い下げ品と見られる苔色(こけいろ)のズボンを穿いています。この男は拳銃を所持していません。代わりに軍用ナイフの(つか)らしきものが、腰に巻かれたベルトの鞘から突き出ています。
 ようやく覚悟を決めたのか、博士の前に立つ黒髪の男が一つ仰々しい咳払いをして、口を開きました。
「いえ、とくに用というほどのものではないのです」やけに格式ばった口調で男は述べます。「ただ、ちょっとした通報を受けましてね」
「へえ」
 博士は鼻息を吹きつつ、水平線を右から左になにげなく眺め渡して、男たちが乗ってきたボートの甲板を鋭く一瞥しました。博士の立つ位置から死角になっているのは操舵室の内部だけですが、その出入口の扉に()められた窓から見える範囲においては、室内に人の姿はありません。
「ちょっとした通報、ね。いったいなんだね、それは」博士は眉間に皺を寄せます。
一昨日(おととい)の午後に、ここの近くの海域を通過した我々〈緑のフーガ〉の会員でもある漁船の乗組員たちが、この島の上空で奇妙な火の玉を見たというのです」黒髪の男が説明します。
「それから、巨大な人影らしきものの姿も、ね」
 軽々しい調子で言いながら、バンダナを巻いた若者が博士に近づきます。
「一人や二人が見たってんなら、嵐のなかの見まちがい、ただの目の錯覚だったんじゃないのか、ってことで聞き流すところなんですがね。しかしなにしろその漁師たちが、一人残らず全員おなじものを目撃したって言うんで」布の下が蒸れるのか、頭頂をこそこそと掻きながらバンダナの男が続けます。
「と、まぁ、そういうわけなんです」黒髪の男が薄笑いを浮かべます。「なにか心あたりは?」
「心あたり、ねぇ……」
 ベーム博士は平静を装ってなおも気だるげに髭を撫でまわしました。ですが胸の内では、その漁船の乗組員たちとやらを呪いに呪ってとことん罵倒していました。
「早くおこたえください。ドノヴァン・ベーム博士」作業服を着た白髪の男が、ちらりと目の端を光らせます。
「お? 自己紹介したかな、私」博士が役者のように驚いてみせます。
「我が協会の調査力を、見くびらないでいただきたい」白髪の男はかすかに語気を荒げます。「なんの下調べもなくこんなところまで出向いてくるわけないでしょう」
「失礼、失礼」博士はぺらりと片手を振ります。「それでその、さっきの心あたりの話だがね。それってたぶん、雷のことではないのかな」
 三人の男たちは一様に眉をひそめます。
「一昨日って言ったら、あの酷い雨の日のことだろ。そりゃあいくつも雷が落ちたよ、この島にも」博士は背後に広がる森を示します。「ご覧のとおり、なにしろこれだけ雷に気に入られそうな樹が生えてるからな」
「ふん……」白髪の男が手のひらで坊主頭の側面を一撫(ひとな)でして、嘲笑とも納得ともつかない息を吐きます。
 黒髪の男とバンダナの男は顔を見あわせ、共に肩をすくめます。
「では、人影というのは?」白髪の男がさらに問いただします。
「それこそ完全に目の錯覚だろう」博士はうんざりしたように首を振ります。「そうとしか考えられない。そもそもなんなんだ、人影って。あんな大雨のなかで、いったいどんな人影が見えるって言うんだ」

、人影ですよ」黒髪の男が憮然とした態度で補足します。「そこが問題なんだ。博士、あなたまさか、カセドラを所有してたりしませんよね」
 ベーム博士はおもむろに目を丸くして、派手な哄笑(こうしょう)を炸裂させました。男たちはその地響きのような笑い声に圧倒され、それが収まるのを閉口して待ちました。
「ふぁっはっは……。なんだよ、それは。そんなやつがいるものか。いったいどうやったらあんなでかぶつを、国家の目をかいくぐって所持することなどできるのだ」
「そ、そういう過激な(ぞく)も、世界のどこかにはいるって話ですよ」バンダナの男が口走ります。
「私がそんな賊と同類だと?」どすの()いた声を放ち、博士は若者を睨みつけます。
「あっと、いえ、そういうつもりじゃあ……」
 うろたえる若者に対して舌打ちをしつつ、白髪の男が警棒に手をかけます。
「かつて王国の中枢にいたあなたのことだ。カセドラの一体くらい、その気になれば隠し持てるんじゃないかと思ったんですよ」
「買い被らないでくれ」博士は気迫を解除して吐息をつきます。「もし持ってたらさっさと国なり賊なりに売っ払って、その金で新しい船を買うよ。もっとでかくて速いやつをな」
 三人は黙りこくり、各々しばらくのあいだ次の言葉を探ります。
「というか、私からもたずねていいかな」唐突に博士が沈黙を破ります。
「……な、なんです」バンダナの若者が(いぶか)しげに応じます。
「もし仮に私がカセドラを所持していたら、それがきみたちの組織となんの関係があるのだね。不法な武器所有を取り締まる軍警察の役目まで負おうというのではないだろう?」
「当たり前だ」途端に黒髪の男が双眸をたぎらせます。「あ……いえ、失礼。しかし、我々と王権執行機関などを同列に語るようなことは、やめていただきたい」
「おれたちが忠誠を抱くのは、新生コランダムを率いるゼーバルト・クラナッハ将軍だけだ」若者に特有の、いささか妄信的かつ排他的な断定口調で、バンダナの男が言います。
「そのコランダム軍が現在、ある一味を指名手配しているのです」黒髪の男が呼吸を落ち着けて言います。
「指名手配?」博士は首をかしげます。「ますます警察じみてきたな。なにをしでかしたのだね、その一味とやらは」
「コランダム軍の一部隊に対し暴挙を働き、これに深手を負わせたのだ」白髪の男が横からこたえます。
「おまけに、貴重な新型巨兵も大破させられたって噂だ」バンダナの男が付け加えます。「それもあろうことか、その連中、王国中枢に所属する重要人物まで含んでいると聞く」
「なるほど。そいつは看過できないわけだ」博士は腕組みします。「覚えてるよ、例のゼーバルト様の演説。けっこう上手い言いかただったよなぁ。宣戦布告じゃないけど、抵抗されたらこっちもやり返すぞ、だったかな」
「貴様……」白髪の男が警棒を握る手に力を込めます。
「その一味を見つけて、なんとする」
 獲物を見定める獣のような形相で、博士が白髪の男に向かって言い放ちました。その一瞬で、この年輪を重ねた大男が確実になんらかの武術の心得があり、それもおそらくはその道にかなり熟達しているにちがいないということが、三人の男に直感的に伝わりました。
 ただの研究者()がりと見くびっていたのか、あっというまに巨大な殺気に呑み込まれてしまった白髪の男は、そろそろと警棒から手を離しました。それを見届けて、博士は再び気の抜けた顔つきに戻ります。
「……も、もちろん、コランダム軍に引き渡します」黒髪の男がもごもごと口を動かします。
「ふぅん」博士は鼻を鳴らします。「なんとも、厄介な雑用を押しつけられたものだね」
「そんなことはない」バンダナの男が気丈に胸を張ります。「理想の実現を邪魔だてする反乱分子を摘発するという、立派な仕事だ」
「そうかい」博士はあくびを噛み殺します。
「あの、ベーム博士。念のため、あなたのご自宅を拝見させていただけませんか」黒髪の男が覚悟を決めて提言します。
「家を? なんで?」博士は露骨に顔をしかめます。
「せっかくここまで来たので……」
「そんな理由かよ」思わず博士は吹き出します。
「あなたがその連中を(かくま)っている可能性がないとも、言い切れないのでね」白髪の男が苛立たしげに言います。「なんでも、ここビスマス地方で消息を絶ったという話でしたから。我々の気が済むまで、どうかあなたの住居を調べさせていただきたい」
「おい。本気できみたちにそんなことを要求する権利があると思っているわけじゃないよな」博士は大きくかぶりを振ります。
 その直後、理性を繋ぎとめる糸が何本か切れてしまったのか、バンダナを巻いた若者がとつぜん短い奇声のようなものを発し、腰のナイフを抜きました。
「つべこべ言うのを聞かされるのは、もううんざりだ! さっきからおれたちを小馬鹿にしやがって。偉い博士だかなんだか知らんが、少しはおとなしく協力しろ!」
「おやおや」博士は小さじ一杯ぶんほどの嘆息を吐いて、すっと手刀を構えました。「私に刃を向けるか。きみにその覚悟があるのか」
「うっ……!」バンダナの男は一歩後ずさりしますが、歯を食いしばってなんとか二歩前進します。
 博士が鼻孔を広げて深く息を吸い込んだその瞬間、白髪の男と黒髪の男が同時に拳銃を抜いて、標的の前と横から銃口を突きつけました。
「やめてください」黒髪の男が声に格式高さを取り戻します。「たとえいかなる理由であろうと、我々は同志の身の安全を脅かす者を見過ごすわけにはいきません。たとえ、こういうものに頼ってでも」
 博士はぎろりと一人一人を睨みつけ――たかと思うと意外なほどあっけなく構えを解き、不気味なほほえみを浮かべて両手を頭の横に挙げました。
「まったく、よくできた協会だね。まだ発足したばかりだってのに」博士はため息をつきます。「わかった、わかった。まぁ、家を見せてやるくらいかまわんさ。そうした方が後腐れもなさそうだしな、お互い。……だが、きみたち。まちがっても、私の孫娘にそういう物騒なものを向けるんじゃないぞ。もしそんなことになったら、なにがあっても許しはせん。本当に、生きては帰さんからな。一人残らず……」
 凶器を手にした三人は震え上がりますが、なんとか正気を保って耐えしのぎました。
「……えっと、お孫さんがいらっしゃるので?」黒髪の男が銃口を下に向けてたずねます。
「ああ。先日訪ねて来たばかりだ。今は一人で留守番をしている」博士が首の筋肉をほぐしながらこたえます。「私の大切な、たった一人の孫娘だ」
「そうですか」バンダナの男がにんまりと愛想笑いを浮かべます。
「こっちだ。ついてきたまえ」
 踵を返して大股で歩きだしながら、ベーム博士は自分の家族構成や血縁関係までは調べてこなかった彼らの甘さを、胸のなかで密かに笑っていました。
「大した調査力だね、まったく」歩きながら博士はぼそっとつぶやきました。
「なにか?」その背後で白髪の男が首をかしげます。
「いいや。なにも」
 素っ気なくこたえて、博士はお得意の鼻歌を口ずさみはじめました。我が家へと続く森の小径に、夏の木漏れ日が幾百の蛍のようにまたたいていました。
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登場人物紹介

◆ミシス・エーレンガート


≫主人公。エーレンガート家に家族の一員として迎え入れられ幸福な日々を過ごしていたが、思わぬ形でコランダム独立の騒乱に巻き込まれ、ノエリィと共に丘の家から旅立つことになった。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫ミシスの親友であり家族でもある心優しい少女。望まぬ形で軍に連行されるミシスを独りにさせまいと、ほとんど押しかけるようにして〈特務小隊〉の一員となる。

◆マノン・ディーダラス


≫本職は科学者であり発明家だが、カセドラ〈リディア〉を守護するため急造された部隊〈特務小隊〉の隊長を務めることになった。同隊が移動式拠点として利用する飛空船〈レジュイサンス〉も、彼女の発明の賜物。

◆グリュー・ケアリ


≫マノンの腹心の助手。彼女に付き従い、ホルンフェルス王国軍極秘部隊〈特務小隊〉に所属する。飛空船での暮らしにおいては、もっぱら料理係と操縦士の役割を務めている。

◆レスコーリア


≫マノンたちに同行するがまま、〈特務小隊〉に加わることになったアトマ族の少女。相変わらず自分流に気ままな日々を過ごしながらも、密かに隊の皆を見守っている。

◆クラリッサ・シュナーベル


≫世界最強の顕術士一族として知られるシュナーベル家の長女。優れた顕術士ばかりで構成される王国騎士団〈浄き掌〉の副団長を務める。グリューとは許婚どうしで、マノンやレスコーリアとも旧知の仲。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫新生コランダム軍を率いる将軍。統一王権からの離脱と祖国独立の宣言を発し、全世界に対し戦後最大級の衝撃を与えた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫新生コランダム軍に所属する軍人。エーレンガートの丘での失態の後、妹のレンカと共に小部隊を率いてミシス一行を追撃する。

◆レンカ・キャラウェイ


≫エーレンガートの丘で勃発したカセドラどうしの戦闘によって重傷を負い、その後しばらくのあいだ治療に専念していた。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫国王トーメ・ホルンフェルスの名代として、マノン一行に〈特務小隊〉としての任務を与えた。以後さまざまな手段を用いて、先の見えない困難な日々を送る同小隊を遠く王都より支援する。

◆ハスキル・エーレンガート


≫愛する娘たちと離ればなれになり、我が子同然の学院校舎が損傷してもなお、決して希望を失うことなく毎日を前向きに生きている。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫幼少時より人知れず抱えていたカセドラ恐怖症の劇的な発作により、長期に渡って入院生活を送っていた。恩師ハスキルに護られながら、徐々に回復へと向かう。

◆ドノヴァン・ベーム


≫十年ほど前に王都から忽然と姿を消した、伝説的な大科学者。レーヴェンイェルム将軍の幼馴染みにして、マノンの恩師。現在の彼の動向を知る者は極めて少ない。

◆プルーデンス


≫ベーム博士と共に暮らすアトマ族の少女。博士とおなじくアルバンベルク王国の出身。幼い頃から過酷な環境を生き抜いてきたためか、非常に気立てと面倒見が良い。

◆〈リディア〉


≫ホルンフェルス王国軍が極秘裏に開発していた最新型のカセドラ。本来ならカセドラが備えるはずのない、ある極めて特異な能力をその身に宿している。操縦者はミシス・エーレンガート。

◆〈フィデリオ〉


≫コランダム軍が新たに開発した特専型カセドラ。操縦者はライカ・キャラウェイ。

◆〈コリオラン〉


≫フィデリオと同一の鋳型を基に建造された姉妹機だったが、リディアとの交戦の末に大破した。かつての操縦者はレンカ・キャラウェイ。

◆〈□□□□□〉


≫???

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