53 赦しは復讐に勝る
文字数 4,174文字
そして直後、瞬時に前進してその巨体をかがめ、銃を構える兵士たちが集っている地点を確認すると同時に、そこへ向けて顕術による突風のごとき衝撃波をお見舞いしました。
六人の手練れの兵士たちは、悲鳴を上げるどころか、まばたき一つする間さえ与えられず、猛烈な勢いでその身を吹き飛ばされました。さらにその衝撃波の奔流は、どういった因果か、余裕たっぷりの笑顔を浮かべて兵士たちの背後で一息ついていた〈緑のフーガ〉の男たちをも、ものの見事に巻き添えにしました。
クラリッサが息を止めて駆け出し、周囲に散乱した散弾銃を一つ残らず叩き割りました。
とっさにノエリィの手を取ったベーム博士は、その胸にプルーデンスを抱えたまま、背後に広がる森のなかへ飛び込みます。
足もとで突如発生した異変に気づき、フィデリオの視線がちらりと下へ向けられます。
その時にはもう、マノンとグリュー、それにレスコーリアは、操舵室から船内へと続く階段を駆け降りていました。
状況を把握した途端ぎろりと両目をむいたライカが、今の今まで標的の二人が立っていた場所を貫かんとして、槍を持つ手と腕に熱い神経を
しかし、その手は、腕は、槍は、びくとも動きません。
ライカは操縦席の手摺をきつく握り込み、歯を食いしばって再び刃を押し出します。が、やはり、結果は変わりません。
「なにやってるの姉さん!」レンカが車椅子から腰を浮かせます。
「う、動かん!」ライカが歯噛みします。
「うぅっ……!」
その唸り声が、キャラウェイ姉妹がこの日初めて耳にした、カセドラ〈リディア〉の操縦者、ミシス・エーレンガートの声でした。
フィデリオの両腕を顕術で封じながら、リディアはまるで宙の輪をくぐるイルカのように船外へ飛び出すと、相手の得物の
「ミシス!」レンカが叫びます。
「ついに現れたな!」ライカが腹の底から息を吐き、フィデリオの手に残された長槍の片割れをリディアの脳天へと振り下ろします。
対するリディアはもまた、今まさに拾い上げた槍の
「ははっ!」刃と刃がぶつかりあう衝撃音の
「わたしは……そうでも……ありませんっ!」
言葉を強く吐き出しながら、ミシスはリディアの全体重を乗せた渾身の
「かっ――」
操縦者のうめき声と共にフィデリオは激しく後ろ向きに倒れ、したたかに尻餅をつきました。
「姉さん!」レンカが身を乗り出します。
「なんてことない!」ライカは即座に応答します。
しかしその言葉とは裏腹に、すぐには躯体を起こすことができません。地面に深く手をつき、震える膝をかろうじて立て、今しがた地の底から這い上がってきたかのように、青い巨兵は光注ぐ頭上を振り仰ぎます。
その姿をまっすぐに見据えながら、いまだ鮮明なかつての死闘の記憶が、ミシスの脳裏にまざまざと蘇ります。
愛してやまない学院の校舎が、美しい緑に包まれる広場が、温かさに満ちた平穏な日々が、ことごとく破壊されてしまったこと。
そして、ノエリィが怪我を負い、ピレシュの心の傷が暴かれ、ハスキル先生が深く胸を痛められたこと。
今また、わたしの、リディアのそばに、ノエリィたちがいる。
マノンさんたちが乗っている船がある。
そして、慌ただしくも愉快な夏の日々を過ごさせてもらった、ベーム博士とその大切な家族が暮らす家が、すぐ近くにある。
もう二度と、なにも壊させはしない。
もう絶対に、誰も傷つけさせやしない。
たとえ、どんな手を使ってでも……
ミシスはリディアの両脚を大きく開き、腰をぐっと落としました。そして脇の後ろにまで両肘を引いて意識を集中させ、鋭い雄叫びを上げました。
「やあっ!!」
その声に合わせてめいっぱい前へ突き出された両手が、離れた場所からフィデリオの胴体をわしづかみにし、そのまま弾みをつけて空高くへと持ち上げました。
「あれだっ!」レンカが口から泡を飛ばし、操縦席に座っている兵士の肩をばしばしと叩きます。「見ろ、見ろっ! あれだ、あの技だ! あれで私とコリオランはやられたんだよ!」
兵士は体を揺さぶられながらあんぐりと口を開け、青空のなかを軽々と上昇していくフィデリオの姿を、まるで白日夢でも見るようにぼんやりと眺めています。
「――ぁあっ!!」
肺の最奥から息を吐き出すと同時に、ミシスは一度はぴたりと滞空させたフィデリオの巨大な躯体を、今度は森を越えた先にあるはずの
「な、なにを――……」
戦慄するライカの息遣いが伝わってきますが、それもほんの一瞬のこと。青い巨兵はぐんぐんと空の彼方へ吸い込まれ、鉱晶周波の同調が可能な
「よ~しよし」地上で満足げに腕を組んで、クラリッサが微笑します。「とっても上手よ。大きな岩でたくさん練習したものね。偉いわ」
「馬鹿者、なにぼっとしてる!」レンカの罵声が
「りょ、了解!」
我に返った操縦者の男が喚くように応じ、出撃口を閉じながらバディネリを緊急発進させます。
新しい空気を吸う間も挟まず、ミシスはレジュイサンスの方を振り返って叫びました。
「マノンさん! みんなはここにいて!」
「すまない、ミシス!」操舵室に駆け戻ってきていたマノンが、通信器に鼻をぶつけながら応答します。
今や
「気をつけて、ミシス!」
プルーデンスと一緒にベーム博士の腕に抱えられていたノエリィが太陽の下へ飛び出して、樹々の狭間へ突入していく大きな碧い背中に向かって叫びました。
その後バディネリがこの場の上空から離脱したのを確認すると、ベーム博士がプルーデンスの身をノエリィの手にそっと託し、レジュイサンスの近くまで走り寄ります。
甲板に出てきたグリューが、ロープの束を博士の足もとへ投げ落としました。博士はそれを肩に担ぎ、頭を抱えてふらふらしているコランダム軍兵士や〈緑のフーガ〉の男たちのもとへ疾走します。
兵士のうちの数人が、気力を振り絞って腰に備えたサーベルを抜き、迫り来る巨漢を迎え撃とうと試みます。しかし彼らは、自分たちの背後に王国軍の極めつきの精鋭がいることにまでは、気が回りませんでした。
武器を手にした兵士たちも、手にしていない兵士たちも、それからついでに〈緑のフーガ〉の連中も一緒くたにして、クラリッサは慈悲など微塵も含まない痛烈な顕術の衝撃波を、各人の頭上からまっすぐに撃ち込みました。
顔面が地面にめり込む気味の悪い音がいくつも連続して鳴り響き、哀れな男たちは次々と声にならない悲鳴をもらして、粉砕された鼻や口を両手で押さえます。誰もがその指のあいだからだらだらと鮮血を垂らし、幾人かは嗚咽と共に折れた歯を吐き出しました。
ベーム博士はロープの半分をクラリッサに投げてよこし、二人がかりでそこに倒れた全員の両手両足を縛り上げました。
「や、やめて」バンダナを頭に巻いた若者が、口や鼻からは血と
博士は若者が巻いている緑色のスカーフごとその首根っこをつかみ、おぞましい微笑を浮かべて彼の耳もとでささやきました。
「まさか、仕返しされるとでも思ったのか? 私がそんなちゃちな真似するわけないだろう」
「うぐっ……じゃ、じゃあ、ゆるし……」
「ああ、
「え? 聞い……い、いや……」
「勉強不足だな」
「ぎゃああっ!!」
拳こそ振るいはしませんでしたが、博士はついうっかり、その若者を縛る手に力を込めすぎてしまったようです。若者のひょろひょろとした手首や足首の骨は、どうやらひびが入ったどころでは済まないようでした。
若者は気絶しそうな目をして、丸太のような両腕に太い血管が幾筋も浮かび上がるのを見届けた
クラリッサと博士は、男たち全員の歯のあいだと首の後ろを通す
文字どおり手も足も出せなくなった男たちは、まるでそこで干からびてお迎えが来るのを待つ季節の終わりの虫のように、おとなしくその身を横たえました。
「いっちょ上がりね」クラリッサが可憐にほほえみました。「みんなで仲良く日光浴を満喫なさい。まだまだ日は長いわ。きっとたっぷり夏の太陽を楽しめるはずよ」
その凄惨な捕縛の現場を、それぞれに両手で顔を覆ったノエリィとプルーデンスは、指の隙間からこっそり見物していました。
そこへベーム博士とクラリッサが悠然とした足取りでやって来ます。
「プルーデンス、きみは子どもたちを連れて家のなかに戻っていなさい」博士がこめかみの傷をハンカチで押さえながら言いました。
しかしプルーデンスはきっぱりと首を振ります。「あなたと、みんなと、一緒にいる。ミシスが一人で戦ってるんだもの。みんなと一緒に、あの子の戦いを見届けるわ」
覚悟をもって語る彼女の瞳を、一同はじっと見つめました。その瞬間に皆で心を一つにして、マノンたちが待つ飛空船の操舵室へ向かって走りだしました。
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