28 僕らの飛空船

文字数 4,346文字

 家の裏手を流れる小川に沿って、その源流を探るように森のなかを進んでいくと、やがてぽっかりと緑の屋根が途切れる地点に出ました。ふさふさとした野草が生い茂る、天然の公園のような場所です。空には遮るものはなにもありませんが、四方はたしかに隙間なく樹々に囲まれています。見たところ広さも申し分なく、らくらく五、六機は飛空船を並べて置けるほどの余裕があります。
 しかしベーム博士が指摘したとおり、形や大きさのさまざまな岩がいくつも散乱しています。最小のものは仔牛ほどの大きさですが、最大のものとなるとおとなの象に匹敵します。
 朝食の後はどこかへ遊びに出かけていた五つ子たちも合流し、博士一家と特務小隊一行は連れだってこの場所へやって来ました。ただ、マノンとグリューの姿だけがありません。二人は今まさに飛空船を砂浜から移動させている最中です。
「じゃ、ちょっと下がってて」
 一同に声をかけると、さっそくクラリッサが野原の中心へ歩み出ました。そして軽く呼吸を整え、右手をぐっと体の前へ差し伸ばします。
 直後、まるで見えない巨大な手によって突き飛ばされでもしたように、象ほどもある大岩が野原の隅の方へごろごろと転がっていきました。
「わあ~っ」
 森の樹にぶつかる手前で岩が静止すると、アトマの子どもたちが一斉に歓声を上げました。
 汗一つかいていないどころか、息の一つさえ乱していないクラリッサは、そのまま立て続けに両手をくるくると振り回して、あたりに散らばっていた岩をすべて一箇所に追いやってしまいました。
 一仕事を終えたクラリッサがくるりと振り返ると、その瞬間を待っていた一同から拍手が送られました。
「大したものだ」ベーム博士が称えます。
 上空を旋回しつつ待機していた飛空船が、着地点が整地されたのを見て取って降下を始めます。森に暮らす鳥たちが仰天して、蜘蛛の子を散らすように飛び去っていきます。
 無事に着地を完了すると、グリューが操舵室から甲板に出る扉を開けて顔をのぞかせました。
「後ろを開けるよ」
 船尾の一階部分を覆っていた鎧戸がきりきりと巻き上げられ、船の内部へと通じる出入口が露わになりました。
 その途端、五つ子たちがそこへ飛び込びます。
「あっ! こら、あなたたち!」プルーデンスが大慌てで制止しますが、もちろん追いつくことなどできません。
「平気かい?」博士がクラリッサに確認します。
「問題ないでしょう。グリューのことだから、入られちゃまずいところは施錠してるはず」
 しばらくしてグリューが外へ出てきました。彼はベーム博士の前で立ちどまると、かしこまった口調で告げました。
「師匠は、いえ、ディーダラス隊長は、レーヴェンイェルム将軍との通信を開始しました。これ以後はおそらく定期連絡時以外に将軍と交信する機会はなくなると思いますが、ベーム博士は本当によろしかったのですか」
「何度も言わせないでくれよ」博士は首をすくめます。
「わかりました」青年は苦笑します。「あと、これは師匠からの伝言です。どうぞ自由にご覧になってください。僕らの飛空船と、〈リディア〉を」
 博士はうなずき、操舵室内で通信器に向かって口を動かしているマノンの姿を見あげました。その視線に気づいたマノンが立ち上がり、笑顔で手を振ってきます。
 それに応じながら、博士はささやくように言いました。「ありがとう。では遠慮なく、そうさせてもらおう」
 案内役のグリューを先頭に、一行は開放された搬入口へと向かいました。
 船内に足を一歩踏み入れた瞬間から、ベーム博士の目の色が一変しました。
「なかは案外広いね。この構造だと、機関室は船底部になるのかな」
「そのとおりです」グリューがこたえます。「正確には、船体後部の右舷と左舷に半地下室みたいな空間が設けられていて、そこがそれぞれ第一機関室と第二機関室になってます」
「揚力を発現する顕導式(けんどうしき)を組み込んだ動力装置も、当然そこに収められているのだろうね」
「もちろんです」
「ぜんぶで何基?」
「二基です」
「なんと。ほんの三、四年前までの試算では、船体を浮かせるだけでも最低十基は必要だと言われていたが」
「天才ですから、あの人」お手上げ、というように青年は両手を挙げます。
「素晴らしい。どうりで広いわけだ。燃料は太陽光のみ?」
「ええ、そうです。でもご存知のとおり、太陽イーノの波動解析はいまだに科学界最大の難題のままですからね。そんな正体のはっきりしないものに頼りきって本当に大丈夫なのかって、そりゃもう長いこと議論が紛糾したもんです。結果は言うまでもなく、やっぱり最初に師匠が考案した理論こそが最適解だと、誰もが納得することになりましたけどね。蒸気機関や内燃機関といった代替案も一応試されはしたんですが、いずれも上手くいきませんでしたから」
「なるほどね。しかし晴天時では無尽蔵に供給されるとはいえ、太陽イーノの瞬間波動運動量および波動密度は、実のところかなり穏やかなものだろう。燃料供給の高速化と効率化、それに燃費性能自体の改善と向上が、当面第一の課題といったところかな」
「まったく、おっしゃるとおりです……」
 話し込む二人を中心にして船内を進む一行は、いよいよカセドラの格納庫に至りました。
 窓から射す幾筋もの光の帯の下、〈リディア〉が静かにひざまずいています。碧い鎧に包まれるその躯体のまわりを、五人の小さな子どもたちが物珍しげに飛び回っています。
 巨兵の眼前で、一行は足を止めました。
 深く沈黙する大きな仮面をじっと見あげて、博士が息を詰まらせます。
「これが……リディア」
「綺麗でしょう?」無邪気にほほえんで、ミシスが博士の顔をのぞき込みます。
「……うん。とても」
「なんだか、すごく不思議な波動の感触……」プルーデンスが博士の肩の上で身震いします。「このカセドラも他の普通のカセドラとおなじように、アリアナイトでできてるのよね?」
「そのはずだよ」ミシスがこたえます。「ね、グリュー」
 青年が応じる前に、階段を踏み鳴らす靴音が上階から響いてきました。
 一同が目をやると、そこには操舵室から軽快に降りてくるマノンの姿がありました。
「ベーム博士、いかがですか。僕らの飛空船は」彼女は格納庫を見おろす通路の手摺に両手をつき、階下へ声をかけます。
「お見事だ」博士が親指を立てます。
 マノンは誇らしげに笑みを浮かべます。「操舵室や機関室も、なんでも好きに見ていただいてかまいません。あ、僕らの私室だけは、ちょっとご遠慮願いますが」
「ふぁはは。ありがとう、お嬢。後ほどじっくり見物させてもらうよ」
「将軍はなんておっしゃってました?」グリューがたずねます。
「経過、すべて了承した。長旅ご苦労。当面の判断はきみたちに任せる。ついでに、ドノヴァンによろしく」マノンが将軍の口調を真似て言います。「だそうです」
 ベーム博士は肩をすくめ、べっと舌を出します。それを見てミシスとノエリィがくすくす笑います。
 そこへふいにクラリッサが近づき、背後からミシスの肩に手を置きました。
「え?」少女は笑顔のまま振り返ります。
「それじゃ、始めましょうか」クラリッサがにこやかに告げます。
「始める?」
「なにをですか?」隣でノエリィが首をかしげます。
「もちろん、顕術の修行よ」
「は? 今からかよ?」グリューが横から口を挟みます。
「そ、今から。こういうのは早ければ早いほどいいのよ」クラリッサが腕を組んでうなずきます。「平時においては抜かりなく心身の練度を高め、危局(ききょく)にあっては悠然と心身の平静を保つ。シュナーベル家の家訓の一つよ」
「優れた心掛けだね」ベーム博士が唸ります。「なにを成すにしても」
「え、あ、はい」急な展開に多少動揺しつつも、ミシスはすかさず気を引き締めました。「わかりました。よろしくお願いします、クラリッサさん」
「ええ、よろしくね。今日から一緒にがんばっていきましょう」クラリッサは生徒となる少女と握手を交わしながら、上階を仰ぎます。「そういうことでいいかしら、隊長」
 マノンは二人の少女の目を交互にじっと見つめ、力強くうなずきます。「うん。よろしく頼んだよ、二人とも」
「しっかりね、ミシス」ノエリィがミシスの背中をぽんと叩きました。
「うん」頼もしげにこたえて、ミシスは目の前の碧い巨兵を見やります。「じゃあわたし、リディアに乗っ……」
 クラリッサが再びミシスの肩に触れます。しかし今度は呼びかけではなく、制止のためです。
「まだよ、まだ。リディアにはまだ乗らなくていい」
「え? でも、わたし……」
「まずはあたしたち二人で、お話をしましょ」
「お話?」
「ついてきて」
 そう告げるとクラリッサは身を翻し、最寄りの非常口に向かってすいすいと歩きだしました。大いに戸惑いながら、ミシスもその後を追いかけます。
「なにをするのかな?」ノエリィが二人を見送りながら首をかしげます。
「顕術がどういうものなのかってことを、最初のうちにきちんと教えておきたいんだろ」グリューが肩をすくめます。「ほら、ノエリィも初めはバイクの仕組みや操作方法を知識として学んでから、実践に移っただろ。それとおなじことさ」
「あ、なるほど」
「ちょっとそばで見とこうかな、あたし」青年の頭上であぐらをかいていたレスコーリアが、ぴょんと宙に躍り出ました。
「茶々を入れんようにな」
「入れないわよ」
 青年に向かってぺっと手を振ってから、レスコーリアは二人の少女に続いて船を出ていきました。
 その後、ノエリィはプルーデンスを手伝って昼食の用意や家の掃除、それにこれから始まる新しい生活の支度に取り掛かることになりました。
 今しばらく船内の見学に興じることにしたベーム博士が、去っていくノエリィの背中に向かって、自分の書斎の掃除は不要だから手を触れないように、と大声で伝えました。
 いつも壮絶に散らかっているマノンの部屋を勝手に清掃して叱責された経験が何度かあるグリューは、それを聞いて思わず吹き出してしまいました。
「なにか可笑しなことでもあったかな、助手くん」マノンが怪訝そうにたずねます。
「あ、いえ、なにも」青年は穏便に首を振ります。そしてくるりと踵を返し、ベーム博士に提案します。「では、さっそく操舵室からご覧になりませんか? ご案内します」
 こうして格納庫内には、横溢(おういつ)する夏の陽射しと物言わぬ巨兵だけが残されました。
 階段をのぼっていく研究者たちの足音が消えてしまうと、真空のように深い静けさが広がりました。
 巨兵があまりにも見事に沈黙し続けることに退屈した子どもたちは、まるで次から次へと新しい花を求めて移ろう蝶の群れのように、いつのまにか青空の下へと姿を消してしまっていました。
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登場人物紹介

◆ミシス・エーレンガート


≫主人公。エーレンガート家に家族の一員として迎え入れられ幸福な日々を過ごしていたが、思わぬ形でコランダム独立の騒乱に巻き込まれ、ノエリィと共に丘の家から旅立つことになった。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫ミシスの親友であり家族でもある心優しい少女。望まぬ形で軍に連行されるミシスを独りにさせまいと、ほとんど押しかけるようにして〈特務小隊〉の一員となる。

◆マノン・ディーダラス


≫本職は科学者であり発明家だが、カセドラ〈リディア〉を守護するため急造された部隊〈特務小隊〉の隊長を務めることになった。同隊が移動式拠点として利用する飛空船〈レジュイサンス〉も、彼女の発明の賜物。

◆グリュー・ケアリ


≫マノンの腹心の助手。彼女に付き従い、ホルンフェルス王国軍極秘部隊〈特務小隊〉に所属する。飛空船での暮らしにおいては、もっぱら料理係と操縦士の役割を務めている。

◆レスコーリア


≫マノンたちに同行するがまま、〈特務小隊〉に加わることになったアトマ族の少女。相変わらず自分流に気ままな日々を過ごしながらも、密かに隊の皆を見守っている。

◆クラリッサ・シュナーベル


≫世界最強の顕術士一族として知られるシュナーベル家の長女。優れた顕術士ばかりで構成される王国騎士団〈浄き掌〉の副団長を務める。グリューとは許婚どうしで、マノンやレスコーリアとも旧知の仲。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫新生コランダム軍を率いる将軍。統一王権からの離脱と祖国独立の宣言を発し、全世界に対し戦後最大級の衝撃を与えた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫新生コランダム軍に所属する軍人。エーレンガートの丘での失態の後、妹のレンカと共に小部隊を率いてミシス一行を追撃する。

◆レンカ・キャラウェイ


≫エーレンガートの丘で勃発したカセドラどうしの戦闘によって重傷を負い、その後しばらくのあいだ治療に専念していた。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫国王トーメ・ホルンフェルスの名代として、マノン一行に〈特務小隊〉としての任務を与えた。以後さまざまな手段を用いて、先の見えない困難な日々を送る同小隊を遠く王都より支援する。

◆ハスキル・エーレンガート


≫愛する娘たちと離ればなれになり、我が子同然の学院校舎が損傷してもなお、決して希望を失うことなく毎日を前向きに生きている。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫幼少時より人知れず抱えていたカセドラ恐怖症の劇的な発作により、長期に渡って入院生活を送っていた。恩師ハスキルに護られながら、徐々に回復へと向かう。

◆ドノヴァン・ベーム


≫十年ほど前に王都から忽然と姿を消した、伝説的な大科学者。レーヴェンイェルム将軍の幼馴染みにして、マノンの恩師。現在の彼の動向を知る者は極めて少ない。

◆プルーデンス


≫ベーム博士と共に暮らすアトマ族の少女。博士とおなじくアルバンベルク王国の出身。幼い頃から過酷な環境を生き抜いてきたためか、非常に気立てと面倒見が良い。

◆〈リディア〉


≫ホルンフェルス王国軍が極秘裏に開発していた最新型のカセドラ。本来ならカセドラが備えるはずのない、ある極めて特異な能力をその身に宿している。操縦者はミシス・エーレンガート。

◆〈フィデリオ〉


≫コランダム軍が新たに開発した特専型カセドラ。操縦者はライカ・キャラウェイ。

◆〈コリオラン〉


≫フィデリオと同一の鋳型を基に建造された姉妹機だったが、リディアとの交戦の末に大破した。かつての操縦者はレンカ・キャラウェイ。

◆〈□□□□□〉


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