28 僕らの飛空船
文字数 4,346文字
しかしベーム博士が指摘したとおり、形や大きさのさまざまな岩がいくつも散乱しています。最小のものは仔牛ほどの大きさですが、最大のものとなるとおとなの象に匹敵します。
朝食の後はどこかへ遊びに出かけていた五つ子たちも合流し、博士一家と特務小隊一行は連れだってこの場所へやって来ました。ただ、マノンとグリューの姿だけがありません。二人は今まさに飛空船を砂浜から移動させている最中です。
「じゃ、ちょっと下がってて」
一同に声をかけると、さっそくクラリッサが野原の中心へ歩み出ました。そして軽く呼吸を整え、右手をぐっと体の前へ差し伸ばします。
直後、まるで見えない巨大な手によって突き飛ばされでもしたように、象ほどもある大岩が野原の隅の方へごろごろと転がっていきました。
「わあ~っ」
森の樹にぶつかる手前で岩が静止すると、アトマの子どもたちが一斉に歓声を上げました。
汗一つかいていないどころか、息の一つさえ乱していないクラリッサは、そのまま立て続けに両手をくるくると振り回して、あたりに散らばっていた岩をすべて一箇所に追いやってしまいました。
一仕事を終えたクラリッサがくるりと振り返ると、その瞬間を待っていた一同から拍手が送られました。
「大したものだ」ベーム博士が称えます。
上空を旋回しつつ待機していた飛空船が、着地点が整地されたのを見て取って降下を始めます。森に暮らす鳥たちが仰天して、蜘蛛の子を散らすように飛び去っていきます。
無事に着地を完了すると、グリューが操舵室から甲板に出る扉を開けて顔をのぞかせました。
「後ろを開けるよ」
船尾の一階部分を覆っていた鎧戸がきりきりと巻き上げられ、船の内部へと通じる出入口が露わになりました。
その途端、五つ子たちがそこへ飛び込びます。
「あっ! こら、あなたたち!」プルーデンスが大慌てで制止しますが、もちろん追いつくことなどできません。
「平気かい?」博士がクラリッサに確認します。
「問題ないでしょう。グリューのことだから、入られちゃまずいところは施錠してるはず」
しばらくしてグリューが外へ出てきました。彼はベーム博士の前で立ちどまると、かしこまった口調で告げました。
「師匠は、いえ、ディーダラス隊長は、レーヴェンイェルム将軍との通信を開始しました。これ以後はおそらく定期連絡時以外に将軍と交信する機会はなくなると思いますが、ベーム博士は本当によろしかったのですか」
「何度も言わせないでくれよ」博士は首をすくめます。
「わかりました」青年は苦笑します。「あと、これは師匠からの伝言です。どうぞ自由にご覧になってください。僕らの飛空船と、〈リディア〉を」
博士はうなずき、操舵室内で通信器に向かって口を動かしているマノンの姿を見あげました。その視線に気づいたマノンが立ち上がり、笑顔で手を振ってきます。
それに応じながら、博士はささやくように言いました。「ありがとう。では遠慮なく、そうさせてもらおう」
案内役のグリューを先頭に、一行は開放された搬入口へと向かいました。
船内に足を一歩踏み入れた瞬間から、ベーム博士の目の色が一変しました。
「なかは案外広いね。この構造だと、機関室は船底部になるのかな」
「そのとおりです」グリューがこたえます。「正確には、船体後部の右舷と左舷に半地下室みたいな空間が設けられていて、そこがそれぞれ第一機関室と第二機関室になってます」
「揚力を発現する
「もちろんです」
「ぜんぶで何基?」
「二基です」
「なんと。ほんの三、四年前までの試算では、船体を浮かせるだけでも最低十基は必要だと言われていたが」
「天才ですから、あの人」お手上げ、というように青年は両手を挙げます。
「素晴らしい。どうりで広いわけだ。燃料は太陽光のみ?」
「ええ、そうです。でもご存知のとおり、太陽イーノの波動解析はいまだに科学界最大の難題のままですからね。そんな正体のはっきりしないものに頼りきって本当に大丈夫なのかって、そりゃもう長いこと議論が紛糾したもんです。結果は言うまでもなく、やっぱり最初に師匠が考案した理論こそが最適解だと、誰もが納得することになりましたけどね。蒸気機関や内燃機関といった代替案も一応試されはしたんですが、いずれも上手くいきませんでしたから」
「なるほどね。しかし晴天時では無尽蔵に供給されるとはいえ、太陽イーノの瞬間波動運動量および波動密度は、実のところかなり穏やかなものだろう。燃料供給の高速化と効率化、それに燃費性能自体の改善と向上が、当面第一の課題といったところかな」
「まったく、おっしゃるとおりです……」
話し込む二人を中心にして船内を進む一行は、いよいよカセドラの格納庫に至りました。
窓から射す幾筋もの光の帯の下、〈リディア〉が静かにひざまずいています。碧い鎧に包まれるその躯体のまわりを、五人の小さな子どもたちが物珍しげに飛び回っています。
巨兵の眼前で、一行は足を止めました。
深く沈黙する大きな仮面をじっと見あげて、博士が息を詰まらせます。
「これが……リディア」
「綺麗でしょう?」無邪気にほほえんで、ミシスが博士の顔をのぞき込みます。
「……うん。とても」
「なんだか、すごく不思議な波動の感触……」プルーデンスが博士の肩の上で身震いします。「このカセドラも他の普通のカセドラとおなじように、アリアナイトでできてるのよね?」
「そのはずだよ」ミシスがこたえます。「ね、グリュー」
青年が応じる前に、階段を踏み鳴らす靴音が上階から響いてきました。
一同が目をやると、そこには操舵室から軽快に降りてくるマノンの姿がありました。
「ベーム博士、いかがですか。僕らの飛空船は」彼女は格納庫を見おろす通路の手摺に両手をつき、階下へ声をかけます。
「お見事だ」博士が親指を立てます。
マノンは誇らしげに笑みを浮かべます。「操舵室や機関室も、なんでも好きに見ていただいてかまいません。あ、僕らの私室だけは、ちょっとご遠慮願いますが」
「ふぁはは。ありがとう、お嬢。後ほどじっくり見物させてもらうよ」
「将軍はなんておっしゃってました?」グリューがたずねます。
「経過、すべて了承した。長旅ご苦労。当面の判断はきみたちに任せる。ついでに、ドノヴァンによろしく」マノンが将軍の口調を真似て言います。「だそうです」
ベーム博士は肩をすくめ、べっと舌を出します。それを見てミシスとノエリィがくすくす笑います。
そこへふいにクラリッサが近づき、背後からミシスの肩に手を置きました。
「え?」少女は笑顔のまま振り返ります。
「それじゃ、始めましょうか」クラリッサがにこやかに告げます。
「始める?」
「なにをですか?」隣でノエリィが首をかしげます。
「もちろん、顕術の修行よ」
「は? 今からかよ?」グリューが横から口を挟みます。
「そ、今から。こういうのは早ければ早いほどいいのよ」クラリッサが腕を組んでうなずきます。「平時においては抜かりなく心身の練度を高め、
「優れた心掛けだね」ベーム博士が唸ります。「なにを成すにしても」
「え、あ、はい」急な展開に多少動揺しつつも、ミシスはすかさず気を引き締めました。「わかりました。よろしくお願いします、クラリッサさん」
「ええ、よろしくね。今日から一緒にがんばっていきましょう」クラリッサは生徒となる少女と握手を交わしながら、上階を仰ぎます。「そういうことでいいかしら、隊長」
マノンは二人の少女の目を交互にじっと見つめ、力強くうなずきます。「うん。よろしく頼んだよ、二人とも」
「しっかりね、ミシス」ノエリィがミシスの背中をぽんと叩きました。
「うん」頼もしげにこたえて、ミシスは目の前の碧い巨兵を見やります。「じゃあわたし、リディアに乗っ……」
クラリッサが再びミシスの肩に触れます。しかし今度は呼びかけではなく、制止のためです。
「まだよ、まだ。リディアにはまだ乗らなくていい」
「え? でも、わたし……」
「まずはあたしたち二人で、お話をしましょ」
「お話?」
「ついてきて」
そう告げるとクラリッサは身を翻し、最寄りの非常口に向かってすいすいと歩きだしました。大いに戸惑いながら、ミシスもその後を追いかけます。
「なにをするのかな?」ノエリィが二人を見送りながら首をかしげます。
「顕術がどういうものなのかってことを、最初のうちにきちんと教えておきたいんだろ」グリューが肩をすくめます。「ほら、ノエリィも初めはバイクの仕組みや操作方法を知識として学んでから、実践に移っただろ。それとおなじことさ」
「あ、なるほど」
「ちょっとそばで見とこうかな、あたし」青年の頭上であぐらをかいていたレスコーリアが、ぴょんと宙に躍り出ました。
「茶々を入れんようにな」
「入れないわよ」
青年に向かってぺっと手を振ってから、レスコーリアは二人の少女に続いて船を出ていきました。
その後、ノエリィはプルーデンスを手伝って昼食の用意や家の掃除、それにこれから始まる新しい生活の支度に取り掛かることになりました。
今しばらく船内の見学に興じることにしたベーム博士が、去っていくノエリィの背中に向かって、自分の書斎の掃除は不要だから手を触れないように、と大声で伝えました。
いつも壮絶に散らかっているマノンの部屋を勝手に清掃して叱責された経験が何度かあるグリューは、それを聞いて思わず吹き出してしまいました。
「なにか可笑しなことでもあったかな、助手くん」マノンが怪訝そうにたずねます。
「あ、いえ、なにも」青年は穏便に首を振ります。そしてくるりと踵を返し、ベーム博士に提案します。「では、さっそく操舵室からご覧になりませんか? ご案内します」
こうして格納庫内には、
階段をのぼっていく研究者たちの足音が消えてしまうと、真空のように深い静けさが広がりました。
巨兵があまりにも見事に沈黙し続けることに退屈した子どもたちは、まるで次から次へと新しい花を求めて移ろう蝶の群れのように、いつのまにか青空の下へと姿を消してしまっていました。
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