15 会いたかった!
文字数 4,806文字
準備が整った者から順に、操舵室に集まってきます。最後に到着したマノンが操縦席のかたわらに姿勢良く立ったその時、ちょうど太陽が一日の最後の光を地平線の彼方に引き取っていきました。
地上は幕を下ろしたようにあっけなく夜闇に包まれ、物言わぬ月と星たちがその姿を露わにします。
飛空船レジュイサンスの操舵室内には、今夜は一つの明かりも灯されていません。頼りにしているのは、真円からわずかに欠けたばかりの月の光のみ。しかし雲のない荒野の夜には、それだけでじゅうぶんです。
しばらくのあいだ、一同の視線は銀河を背景に立つ一人の女性に注がれました。
「マノンさん、綺麗……」ノエリィがつぶやきました。
「へ?」当人が振り返ります。「あ、そう? ありがとう」
普段は
「まだなんの連絡もないね?」
操縦席に座ってぽかんとした顔で自分を見あげているグリューに向かって、マノンがたずねます。
「え?」はっと我に返り、青年は慌ててこたえます。「あ、はい。まだ、なにも……」
その頭上であぐらをかいて周辺のイーノを探っていたレスコーリアが、手もとの毛髪を数本つかんで引っぱります。
「いてっ。なにすんだよ」
「気の抜けた顔してるんじゃないの」
「は? いや、別に、おれは……」
「ふむ。それじゃ、気長に待つとしようか」壁の時計と崖の隙間にのぞく夜空を見比べながら、マノンが言いました。
早くから支度を済ませていたミシスとノエリィは、並んでソファに腰かけてじっとしています。二人ともこれから始まる一仕事に向けて気力を高めながら、それぞれの手に作業用の手袋を握りしめています。
鉱晶通信のベルが鳴りだしたのは、それからおよそ一時間後のことでした。
マノンはさっと全員を見渡すと、機器に手を伸ばしました。
「ごきげんよう、マノン博士」少し鼻にかかった甘い少女の声が、通信器の向こうから流れ出します。「あたしの声、聴こえる?」
「やあ、クラリッサ。久方ぶりだね。よく聴こえてるよ」マノンが応答します。「今どこだい?」
「あなたたちの船から南西の方角。じきにそちらへ接近するわ」
「了解。それで、どう連結しようか。僕らのいる場所は、ちょっと込み入ってるんだけど……」
「そちらの状況はだいたい把握してるわ。そこから近くの適当な場所に降りるから、そしたらあなたたちも船ごと出てきて」
「……平気なのかなぁ。けっこう長いこと、ここから出ることになるんだよね」ノエリィがミシスの耳もとで言います。
ほんの一日前に恐ろしいカセドラがうろついていたばかりの場所へ出ていくことが怖くない乗組員は、もちろん一人もいませんでした。ミシスは深呼吸して、互いを落ち着けるようにノエリィと手を取りあいました。
「上空の大気の乱れが感じられる。もうすぐよ」レスコーリアが告げます。
数分後、再びクラリッサが口を開きます。「……たぶんあそこね。マノン、これからそちらの直上を通過するわよ」
特務小隊の一行は揃って耳を澄ませ、各自窓辺に近づいて空を見あげます。
やがて、ほんのかすかに機械の駆動音が伝わってきたかと思うと、星空の一部分が一瞬だけぐにゃりと歪みました。
「こうして見ると、本当にすごい技術ですね」ミシスが両目を細めて唸ります。「よっぽど注意して目を凝らさなかったら、大きな船が空を飛んでるなんて気づきません」
「ああ。見事なもんだよな……」グリューが深くうなずきます。
「グリュー!!」クラリッサの歓声が、まるで紐を抜いたクラッカーのように炸裂しました。「そこにいるのね!」
「ほら、助手くん。きみの愛しい人が……」マノンが青年の肩に手を置きます。
「だから、やめてくださいって、言ったでしょう」
「あぁグリュー、久しぶりにあなたの声が聴けてほんとに嬉しい」喜びに震えるクラリッサの吐息が、レジュイサンスの操舵室に響き渡ります。
「そうかよ」ぶっきらぼうにグリューがこたえます。
「あなたも嬉しいでしょ? あたしの声が聴けて」
「は? いや、別に、おれは……」
ミシスとノエリィは目をぱちくりさせ、共に笑いをこらえています。しばらくはマノンも面白がって青年の様子を観察していましたが、じきに気を取り直してぱちぱちと手を叩きました。
「よしよし、愛の語らいはまた後で二人きりの時にやっておくれ。とっとと積荷を移さなきゃいけないからね。みんな、てきぱき頼むよ」
「はい」少女たちも笑いを引っ込めて、真面目に返事をしました。
そうこうするうちに、昨夜コランダム軍の船が降り立った位置からほど近い開けた平地に、姿の見えない飛空船が静かに着地するのが確認できました。上空にあった時には星空の
グリューが一同に目配せし、こちらも光学迷彩装置を稼動させたまま、自分たちの船を慎重に浮上させます。そして崖の狭間からするりと抜け出し、クラリッサの乗る船のすぐ隣に着陸させます。
あたりに再び静寂が広がると、双方の船の側面の扉がそっと開かれ、その奥からそれぞれの乗組員たちが歩み出てきました。
互いに正面から接近しあう一団どうしが合流するよりも先に、一人だけ全速力で駆けてきた小柄な少女が、そのままの勢いで緑髪の青年に抱きつきました。
「グリュー! 会いたかった!」少女は青年の胸に頬を押し当てます。
「お、おい、離れろ! そして静かにしろ!」青年はしがみつく少女を控えめに押しのけます。
青年の背後にいたミシスとノエリィは、突拍子もない展開にすっかり目を丸くしてしまいました。もちろん二人の視線は、青年に惜しげのない思慕を注ぐ一人の美しい少女――クラリッサ・シュナーベルその人にちがいないであろう人物の姿に、文字どおり釘づけになっています。
王国軍の
身長はミシスより少し背の低いノエリィとほぼ同等で、体つきは仔猫のようにしなやかで華奢です。身に着けているのは鎧などではなく
恋い慕う青年と再会を果たした喜びで、くりくりとした赤い瞳が月よりまぶしく輝いています。夜空に染められたような瑠璃色の髪は頭の左右で結ばれて二つの細い房となり、そよそよと夜風に踊っています。
「まったく、ちょっとは場をわきまえたらどうなの」頭上から相手を見おろして、レスコーリアが棘のある口調で咎めました。「はしたない。みんな見てるじゃない」
それまで顔いっぱいに浮かべていた笑みを一瞬で引き払うと、まるでなにも映っていない水面でも眺めるような目つきで、クラリッサが言います。
「あら。あなたもいたんだ、レスコーリア」
「いたんだ……って、あんたねぇ……!」小さな少女は触角をびりびりと震わせます。
「まあまあ」すかさずマノンが両者のあいだに割って入りました。「皆の者、少し落ち着きたまえ」
「しばらくね、マノン」クラリッサが手を差し出します。
マノンはその手を強く握りました。「ありがとう、クラリッサ。はるばるこんなところまで出向いてくれて」続いてさっと顔を上げ、今まさに合流した補給隊の面々を見渡します。「みんなも、来てくれて本当に感謝する。また会えて嬉しいよ」
その言葉を受けてこうべを垂れる補給隊の一行は、クラリッサを除いて全部で九名いました。全員お揃いの作業服を着込んでいるので役職や階級は不明ですが、いずれも年齢は三十代から五十代あたりとおぼしき男女の混合集団で、そのなかには一名ずつアトマ族の男性と女性も含まれていました。みんなマノンやグリュー、レスコーリアとは旧知の仲であるらしく、たちまちその場に再会を祝する空気が生まれました。けれど当然、ミシスとノエリィにとっては一人残らず初対面の人々です。マノンの手招きに応じて、二人の少女と補給に駆けつけた一団は、互いに挨拶と握手を交わしました。
一連のやりとりが済むと、クラリッサが改めて二人の少女の前に進み出ました。
「というわけで。はじめまして、ミシスとノエリィ。あたしが王国騎士団〈浄き掌〉副団長、クラリッサ・シュナーベルよ。どうぞよろしくね」
「よろしくお願いします」二人は一緒に礼をします。
にっこり笑ってうなずきながら、クラリッサは素早く目の前の少女の姿を観察しました。
「ふーん。なるほど。ほんとに、至って普通の女の子なのね」
「え……え?」
「あの得体の知れない発顕躯体を訓練なしで起動させた挙句、初戦において見事に敵巨兵を打ち破ってみせた民間人の少女……ミシス・エーレンガート」
しかしそれが自分のことなのだという自覚が瞬時には抱けないミシスは、ただぽかんと口を開けて立ち尽くします。
「いったいどんな子なんだろうってあれこれ想像を巡らせていたけれど、報告書に嘘偽りはなかったみたいね。あたしのあらゆる想像を裏切って、ひたすらに当たり前の女の子だわ」クラリッサが微笑しました。
ふっとノエリィが吹き出しました。つられてミシスも顔をほころばせ、クラリッサも一緒になって三人でくすくすと笑いだしました。
「それは、わたしたちもおなじです」ミシスが言いました。
「なにが?」クラリッサが首をかしげます。
「とても偉い軍人さんだってうかがっていたものですから、いったいどんな猛者がいらっしゃるのかと……」
「ふふっ! それでこんな
「いや、見た目にだまされちゃいかんぜ、二人とも」グリューが脇から真顔で口を挟みます。
「そうよ、気をつけなさい。こいつの中身は二人が想像してる千倍は猛者よ」レスコーリアが真剣に忠告します。
「なによ、あなたたち!」クラリッサが頬を膨らませます。「いったいあたしのことなんだと思ってるわけ?」
「も~、いいかげんにしなよ、きみたち!」マノンがぱちんと手を打ち鳴らします。「いくらなんでも浮かれすぎだよ。これでも僕らは国家の重要機密を取り扱う作戦行動中なんだからね。そのことを忘れてもらっちゃ困るな」
「あら。ずいぶん責任感がお強いことね、マノン博士。いえ、マノン隊長」感心するようにクラリッサが言いました。「もちろん、そんなことは百も承知よ。だからこそ、こうしてこのあたしが直々に出向いてきたのだし」
マノンとグリューが途端に表情を引き締めます。
「それで、どう動けばいい?」グリューがたずねます。
「とりあえず格納庫を開けてちょうだい」クラリッサがこたえます。「物資の運び入れの手順は万全に仕込んであるから。あとはこちらの指示に従って、あなたたちは必要に応じて手伝いをしてくれたらいいわ」
特務小隊の一行は一斉にうなずき、各自手袋を装着しました。
それに対してなにも着けていない白肌の素手をひらりと掲げて、クラリッサが自身のかたわらに待機している一団に向けて指示を発します。
「それじゃ、予定どおり補給作戦開始」
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