57 善処
文字数 4,749文字
「ぐぅっ!」ピレシュが操縦席にしがみつきます。
「もう動かないで!」
ミシスが叫び、剣を持つレオノーレの手に照準を定め、その一点を容赦なく顕術の力で
ごきっ、という身の毛がよだつ音と共に、レオノーレの手首に内蔵されている骨格が、思わず目を背けたくなるような角度に折れ曲がりました。
「なっ!?」
右手に一瞬鋭い電撃が走るような錯覚を覚えた直後、損壊した躯体の手先の感覚が消失したことを即座に理解したピレシュは、その手の内からこぼれ落ちていく剣を為す術もなく見送りました。
「ここまでよ!」
雄叫びを上げて、ミシスは立て続けに相手の足首を狙います。できるだけ荒っぽいことはしたくない、ただ転倒させて抵抗する余地さえ奪えればいい、という考えから繰り出された攻撃でしたが、ひどく体勢を崩されていたにもかかわらず、白い巨兵はまたもや華麗に舞い踊ると、その不可視の攻撃を次々と
すかすかと空気と砂をむしり取るだけの虚しい手応えに、ミシスは顔を歪めて歯ぎしりします。予測のつかない相手の動きを目で追うことに精一杯で、とても精神を集中して目標を捕捉することなどできません。
怒涛のように押し寄せる焦燥感に呑み込まれながら、しかし同時に、少女の胸の内においては、抑えようのない率直な感動もまた、ひしひしと湧き上がっていました。
綺麗。
やっぱり、ほんとに綺麗。
なんて完璧な、身のこなし。
まったくどこにも非の打ち所の見あたらない、己の身をどこまでも優美に操ることを天に祝福された、まさに選ばれし者の動きだ……
「ミシス!」突如プルーデンスの呼び声が飛び込んできます。「信じられない速さで、飛空船がいくつも接近してきてる!」
「はあぁぁっ!!」
切羽詰まったその声に着火されたかのように、ミシスは相対する躯体の全身を覆うほどの巨大な衝撃波を解き放ちました。
しかし、いったいどういう平衡感覚をその身に宿しているのか、ピレシュはその闇雲に
ほんの一瞬前までレオノーレが立っていた場所の地面が、まるで火山が噴火するように爆散しました。
「ノエリィ、
巨兵どうしの死闘を見守るクラリッサが、津波のように迫り来る砂嵐を顕術の防壁で
レオノーレは飛びのいた勢いもそのまま、くるくると躯体を回転させて波打ち際に着地し、折れていない方の手を海中へ突っ込むと、それを全力でリディアの顔面めがけて叩き上げました。
弾け飛ぶ水飛沫が、再び碧い巨兵の身に降り注ぎます。
「おなじ手を……!」
舌を噛まないよう用心しながらミシスは唸りますが、おなじ手だとわかってはいても、やはりそれが功を奏する戦法であることは、認めざるを得ませんでした。
目の前に大きく開かれた白い手のひらが見えた直後、文字どおり手も足も出せないまま、リディアはその掌中に顔面をわしづかみにされてしまいました。
「もうやめなさい、ミシス!」
「ピレシュこそやめて!」
さらにレオノーレは折れた腕を内向きに曲げ、その突出した肘をリディアの首もとに押しつけます。
頭部をつかむ手、首に押し込まれた肘、それらをリディアも左右それぞれの手でつかんで思いきり押し返します。
二体の巨兵はその体勢で組みあったまま、両足の
その硬直状態は、実に、およそ百秒間にも渡って続きました。
「ミシス!」舞い散る砂塵のなか、ノエリィが懸命に叫びます。「ピレシュを止めてっ!」
自分の隣で喉を震わせる少女を横目で見やりながら、クラリッサはふいに何事かを決意したように、そっとうつむいて一つ深い息を吐き出しました。
そして、
ちょうどその時……
家の屋根の上で言いつけどおりに身を寄せあっていたアトマ族の五つ子が、この日いちばん最初に、猛然と空を駆ける三機の飛空船の姿を目撃しました。
子どもたちは立ち上がって歓声を上げ、群れなす機影に向けて手を振ります。
もはやアトマ族のイーノ感知能力に頼るまでもなく、現在この島にいる全員が、複数の飛翔体の到来を肌身で聴き取っていました。
「あはは。時間切れだね」レンカがけらけらと笑い、かたわらに立って首を押さえている姉の背中を支えます。
「間に合ったようだな」ライカもまた、ほっと一息つきます。
「今回は、ね。まったく、いつもこれくらい早けりゃいんだけど」
飛空船レジュイサンスの機内に控えるマノンたちは、それぞれに疲弊しきった表情をその面に浮かべて、その場にぐったりと座り込みました。ただ一人ベーム博士だけが、相も変わらず端然とした立ち姿を崩さずにいます。
打ちひしがれる一行が乗っている中破した船の直上を、圧倒的な速度で飛行する船団が通過していきます。
「マ……マノン!」カネリアの鉢に背を預けてしゃがみ込んでいたレスコーリアが、思わず羽を広げて叫びます。
「ああ、もうここまでさ」操縦席の背もたれに身を沈めていたマノンが、いつもの強がりの笑みを作る覇気さえ失って、ぽつりと吐き捨てました。
上空から伝わってくる大気の振動をその背に感じ取りながら、クラリッサはこの海辺に到着した時からずっと視界の片隅で目星をつけていた、沖合の水面にひょっこりと頭をのぞかせている真っ黒な岩礁を、じわりと両目を細めて睨みました。
やがてその水上に突出している岩が、まるで過剰な筆圧によって折られた鉛筆の芯のように、根もとからぽっきりともぎ取られました。そしてまたたく間に、浮上した岩は音もなく空中を滑りだします。
ちょうど顔をこちらへ向ける体勢になっているレオノーレに――ピレシュに――気取られないよう、クラリッサは両手を自然に下へ降ろしたまま、少しも動かしはしません。
まもなくノエリィが海面すれすれを漂う黒い
胸を反らせて深く空気を吸い込むと、少女は涙を呑んで、クラリッサの耳もとでささやきました。
「……あんまりひどくは、しないであげてください」
「善処するわ」
直後、レオノーレの斜め後方から、弾頭と化した岩がその躯体の右肩に撃ち込まれました。
「かはっ――」
胸に穴でも開けられたかのような苦悶の息をもらし、ピレシュは――レオノーレは――たまらず横転します。
ミシスはいったい何事かと周囲を見まわして、こちらに向かってにこやかに手を振っている顕術の師匠の姿を目に留めます。
これが最後と、
身の内に残されていた力のすべてを掻き集めて、
ミシスはその手のなかに覚悟を宿した顕術の猛風を握りしめます。
しかし――いかなる運命の
「え~っ、なんでそこにぃ~!?」クラリッサが頭を抱えて悶えます。
ピレシュは当然のごとくその剣身のきらめきを捕捉し、砂ごと抉り取るように柄を握り込むと、想像を絶する速度でその巨体を跳ね起こしました。
「うあぁ――っ!!」ミシスがとどめの一撃を放ちます。
「――ぁぁあっ!!」ピレシュが最後の一閃を放ちます。
結果、
わずかにピレシュの剣撃が、
ミシスの衝撃波に先んじました。
陽光をまとう刃が、リディアの首をまっすぐに狙って、躊躇なく振り上げられます。
「いやぁぁーーっ!!」ノエリィが両手で胸のペンダントを握りしめ、背の髄が
ピレシュが勝利を確信し、
ミシスが敗北を悟り、
クラリッサが飛来した飛空船団を見あげて、
ふふんと笑いました。
その瞬間、レオノーレが繰り出した剣が、それを持つ手と一緒に、
そして、波打ち際からほんの少し沖に寄った海上で、激しい爆発が起こりました。
ミシスも、ピレシュも、ノエリィも、今この時、この場で、いったいなにが持ち上がったのか、まるで見当もつきません。
三人とも体を縮こめて、今の今までレオノーレの手と剣が存在していたはずの空間を、まるで神隠しの現場に遭遇したかのように呆然と見つめます。
「どうなってるんだ!」レンカが両手で車椅子の手摺をつかみ、腰を浮かせて喚きます。
「ピレシュ、
「なにぼけっとしてる、発進だ発進!」レンカが罵声を上げて操縦兵の肩を殴りつけます。
頭上を鷹のごとく通過してゆく赤紫色の飛空船団の姿を、ミシスとノエリィ、クラリッサは、それぞれの場所からはっきりと確認しました。
この時すでに駆け出していたピレシュは、視界の端をかすめる派手な色の飛翔体の群れを正確に視認することもかなわないまま、一目散に灰白の船を目指しました。
飛来した三機の飛空船はその常軌を逸した飛行速度のため、かなりの距離を浜辺から遠く洋上へと通り過ぎ、遥か沖合の上空で大きな弧を描いてゆるやかに旋回しながら、その
そうしながら、三機の中央に陣取る大型飛空船の甲板から、今しがたレオノーレの手と剣を粉砕したその砲台が、逃げ惑うレオノーレと発信準備に取り掛かっているバディネリを狙って、矢継ぎ早に火を吹きはじめました。
「ピレシュ――!」
「逃げてぇ――!」
続々と乱立する炎と砂の柱の奥へ向けて、ミシスとノエリィは声を枯らし叫びます。
「も~……」クラリッサは首を振って嘆息します。「あなたたち、どっちの味方なのよ」
「行け! 出せ! 飛べ!」レンカがばしばしと操縦兵の頭を叩きます。
「ど、どちらへ!?」操縦者がべそをかきながら声を荒げます。
「どちらもくそもあるか馬鹿者、いいから飛べ!!」
赤紫色の三機の飛空船は、中央の機体だけでなくその両脇に追随する機体もまたそれぞれに全砲門を開放し、ようやく浮上を開始したバディネリを一斉に狙撃します。
しかし思ったより旋回に手間取ってしまったためか、最後の瀬戸際で離陸して発進するだけの猶予を、相手に与えてしまったようです。
遠距離から無数に撃ち込まれた砲弾は標的の船を何度かかすめはしましたが、ついに一度も直撃させることはかないませんでした。
諦めかけていた逃走が可能になったことを確信した指揮官ライカ・キャラウェイは、ずきずきと痛む首と胸もとを両手で支えながら、眼下に徐々に小さくなっていく碧いカセドラを見おろしました。そして、みずからの不甲斐なさと、対峙した禁忌の力の得も言われぬおぞましさ、それに結末にあって突如出現した理解の及ばない逆転劇に深く当惑しながら、静かに、固く、そのまぶたを強制的に閉じました。
青空の彼方へ遠ざかっていく灰白の機影を見送りながら、リディアとノエリィは共にべったりと砂の上にへたり込みました。
クラリッサは今まさに浜辺の上空に至ろうとしている三機の方へ顔を上げ、中央を飛ぶ機体の側面に描かれたホルンフェルス王国の紋章と、その逆の側に描かれた
「いったいどういう経緯で駆けつけてくれたのか知らないけど、見事においしいところを持ってってくれたわね。リヴォン兄さん」
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