16 そう遠くない未来に
文字数 6,455文字
開放された特務小隊の船の出撃口から、内奥の格納庫へ向かって整備士たちが駆け込んでいきました。彼ら彼女らはそれぞれの手や肩に小さな鞄を携えてはいますが、ミシスやノエリィの素人目から見ても、その装備は少々頼りないものに思えました。
けれどすぐにその懸念は払拭されます。
物資運搬を担当する四名は、疾風のような身のこなしで自分たちが乗ってきた船に引き返すと、すぐさま特務小隊の船とおなじように船体正面の出撃口を開きました。そしてその奥から、資材や工具を収めた木箱をいくつも、各人がまったく手を触れることなく、顕術の力で軽々と浮かせて外へ運び出しました。彼らは目にも止まらぬ早業でそれらを手渡し――ならぬ宙渡し――して、すいすいと目標の船内へ搬入していきます。ほとんで手ぶらで先行していた整備士たちは、そこから必要な道具を取り出すと瞬時に各担当箇所へちらばっていきました。
「す、すごい……」
ミシスとノエリィは共に言葉を失って、大きな荷物がひょいひょいと夜空を飛び交う冗談のような光景に、まるでサーカスを観劇する児童のように見入ってしまいました。
「あの人たち、相当な顕術の使い手なんじゃないの?」ノエリィがレスコーリアにたずねます。
「そりゃそうよ。今はこうして臨時の補給要員として駆り出されてるけど、あれ全員、国王親衛隊の兵士たちだもの」
「えっ」二人の少女は目を見張ります。
「もし彼らと敵どうしとして戦場で出くわしたら、決して生きては帰れないでしょうね。王国軍のなかでも最強の実力を備えた、精鋭中の精鋭たちよ。まぁでも、今は見てのとおり荷物運びのお兄さんたちだから、そんなに怖がらなくてもいいよ」
それから二人も荷運びに参加しました。いちいち顕術で運んでいたのではかえって手間がかかる細々とした品物を籠や箱に詰めて抱えて、右から左へ、左から右へ、慌ただしく行ったり来たりしました。
ほとんどの物資は顕術によって外へ流されてきたので、少女たちが補給隊の船に足を踏み入れることはありませんでした。しかし、その船内のずっと奥の方、月光が射し込む格納庫の薄闇のなかに、鮮やかな桃色の鎧に身を包む王国軍のカセドラ〈アルマンド〉が四体、静かにひざまずいているのがかいま見えました。途端に、この補給隊が有事の際には危機を打破する能力を有する戦闘部隊でもあるという事実を思いだして、二人は少し背筋を冷たくしました。
何度もくり返された往復の最後に、ミシスはリディアのすぐそばに荷物を降ろしました。
はじめは軽装だった整備士たちは、今ではみんな頑丈そうなゴーグルやヘルメットを身に着け、巨大な躯体のあちこちに貼りついてそれぞれの仕事に取り組んでいます。そのなかには、グリューの姿もあります。彼もまたヘルメットをかぶり、手には工具を持って、同僚たちとあれこれ意見や情報を交換しながら作業に没頭しています。マノンの姿はここにはありません。小一時間ほど前に、彼女は専門の技術者を一名連れて機関室へ向かいました。
ふと、ミシスは自分の立っている場所が一瞬暗くなったことに気づきます。
頭上を見あげると、ベッドの
「わぁ!」思わず少女は頭を抱えてしゃがみます。
「そんなとこに立ってると危ないわよ~」手を軽く掲げて向こうから歩いてきたクラリッサが、注意を呼びかけます。
おとなの男性が数人がかりでやっと持ち上げられそうな金属の塊を、この小柄な少女はまるで紐のついた風船でも持つかのように軽々と宙に浮かべて、リディアが載っている台座のかたわらに難なく降下させました。
その常人離れした顕術の力に、ミシスはすっかり度肝を抜かれてしまいました。
リディアの肩の上にいるグリューが、飛来した物資に目を留めて首をかしげます。
「なんだよそれ」青年はクラリッサにたずねます。
「リディアの鎧よ」
「そんなもんまで持ってきたのか」
「だって装甲の仕上げはまだだったんでしょ」
「しかし今夜じゅうには、さすがにそこまで手が回らんよ」
「そんなのあとでゆっくりやればいいじゃない」
「まぁ、そうだな……」
このやりとりを耳にしていたミシスは、よくよく目を凝らして碧い金属の板を観察します。たしかに言われてみれば、それはリディアの腕部や脚部の表面に沿うような、滑らかに湾曲した形状をしています。こういうのをいくつか繋ぎ合わせたら、この子も他のカセドラとおなじように全身を鎧で包まれることになるのかしら、と少女は想像します。
「ミシス、そっちはどうだ?」彼女の姿に気づいたグリューが声をかけます。「手伝いは終わった?」
「うん、もうほとんど運び込めたみたい。あとは一個ずつばらして、整理するだけだよ」
「よし」ほっとしたようにうなずいて、青年は壁に掛けられた時計を確認します。「こりゃすごいや。まさに迅速な作戦行動だったな。こんなに早く済んじまうなんて」
「もう。いいのよ、お礼なんて」クラリッサがにんまりと微笑します。
「礼を言われる前に言う台詞か、それ?」グリューが眉をひそめます。「……でも、助かったのはほんとだけどな。これで当分のあいだは、飢えや機械の故障に怯える心配はなくなった。ありがとよ、クラリッサ」
ぱぁっと表情を輝かせたクラリッサが、両手を胸の前で絡ませて身をよじります。「ね、もう一度名前を呼んで」
「だからもう、そういうのやめろよな」青年は顔をそむけるように作業へ戻りました。
許婚どうしの会話をにこにこしながら観覧していたミシスのもとへ、最後の荷物を運び終えたノエリィが近づいてきました。
「ふ~。もう終わっちゃったんだね」作業用手袋を着けたままの指先で、ノエリィが眼鏡のつるを押し上げました。
「あっという間だったね」
二人はそれぞれに手袋を外してタオルで顔や首を拭きました。
作業前には新品で真っ白だった彼女たちの手袋は、今ではかなり黒ずんでしまっています。それに比べて、潤んだ瞳で青年を見あげているクラリッサの両手は、誰よりも多くの重い荷物を運んだにもかかわらず、塵一つ付いていません。おなじように、荷運びを終えて点検作業をしている運搬員たちのむきだしの手も、やはりまったく汚れていません。
どこからかレスコーリアが飛んできて、ミシスの肩に腰かけました。
「世のなかには、こんなに顕術の素質に恵まれた人がいるものなんだねぇ」ミシスが率直に感心します。
「親衛隊の兵士たちも大したものだけど、あのじゃじゃ馬の所属する騎士団〈浄き掌〉は、さらに顕術に特化した人間ばかりが集まっている組織なのよ。最上級の発顕因子の持ち主ばかりで構成されてるから、〈顕術騎士団〉とも呼ばれてるわ」レスコーリアが説明します。
「ねぇ、もしかして」クラリッサのほっそりとした手を見つめながら、ノエリィが言います。「その〈浄き掌〉の名前って、武器を扱わずに顕術で戦うから手が汚れない、ってことが由来?」
「ご名答」レスコーリアがうなずきます。「なにはともあれ、二人ともおつかれさま」
「ありがとう。レスコーリアも」ミシスが言います。
「あたしは別になにもしてないわ」
「嘘ばっかり。ずっとまわりの気配を探ってくれてたでしょ」
「そりゃまぁね。あたしだって、面倒事はごめんだもの」
「大丈夫だったかな。船の色を変えてるとはいえ、こんなに大っぴらに格納庫を開けて大勢が出入りしたりして……」自分で言いながら怖くなってきたのか、ノエリィはきょろきょろと周囲を見まわします。
「このあたり一帯からはとくに誰かの気配も、邪気や殺気のたぐいも感じなかったし、たぶん大丈夫だったんじゃない」レスコーリアは肩をすくめます。「もうだいたい作業も終わるみたいだし、あとはまたあの崖のあいだに戻って、これからどうするかを」
そこでぷつりと糸が切れたように、小さな少女は沈黙しました。
「どうしたの?」ミシスが首をすくめて、自分の顔のすぐ横にある小さな瞳をのぞき込みます。「なにかあった?」
「ん~……なんか……どこかで石が鳴いたような……」レスコーリアが額の触角をゆらゆらと揺らしながら、鼻の付け根にじわりと皺を寄せます。
「石が鳴く?」ノエリィが薄気味わるそうに顔をしかめます。「なにそれ、どういうこと? あのいつもの、イーノが歌うとかっていうのとおなじような感じ?」
「う~ん、わかんない。それに似てる気もするけど、どうかしら。なんかはっきりしない。ただの気のせいかな……」めずらしく自身なさげな様子で、レスコーリアはうつむきます。
「でも気になるよ。今まであなたの感知が外れたことってなかったじゃない」ミシスが息を潜めるようにして言いました。
その時、任務をすべて終えた運搬員たちが、クラリッサの前にずらりと一列に整列しました。
「これで全部ね。ごくろうさまでした、みなさん。整備の方もじきに終わるわ。あなたがたは、乗ってきた船で待機していてください」
運搬員たちは特務小隊の面々に一礼し、指示に従って即座に引き上げていきました。
「ちょっと喉が渇いたわね」クラリッサが腰に手を添えて息をつきました。「ねぇ、もう終わるでしょ。お茶にしましょうよ、グリュー」
「そんな呑気なことしてる場合かよ」青年がじろりと少女を睨みます。「とっとと帰った方が身のためだぜ、お互い」
「まぁ、なんて冷たい……」
直後、レスコーリアがしびれを切らしたようにとつぜん飛び上がり、グリューの耳もとに近づきました。
「ねぇ。マノンはどこ」
「ん? 師匠なら、さっきからずっと機関室に
「ちょっと気になることがあって」
「なんだよ」ぴたりと身動きを止めて、青年が目つきを鋭くします。「まさか敵か?」
「わかんない。とくにそんな感じはしないんだけど、でも、ちょっと……。とにかく一度、マノンに話してくる」
「ああ。なにかあったらすぐ知らせてくれ」
「うん」
羽を翻して、レスコーリアは一目散に機関室の方へ飛んでいきました。
「あの、クラリッサさん」ミシスが声をかけます。「よかったら、お水かなにか、お持ちしましょうか」
「あら、いいの? ごめんね、気を遣わせちゃって」
「いいえ。わたしも喉からからだし、みなさんのぶんもお持ちします」
「ありがとう。ではお願いします」
ミシスとノエリィは足早に調理室へ向かいました。そして水の入ったグラスをいくつも載せた盆を持って、格納庫に戻りました。
そこには任務を完了した整備士たちと、機関室から帰ったマノンの姿もありました。少女たちに礼を述べて、みなそれぞれグラスを傾けました。
「クラリッサ、整備班のみんな、それに特務小隊のみんなも、おつかれさま。おかげで補給作戦は万事上手く運んだ」マノンが一同を労います。
各人がそれにこたえて手を振ったり会釈をしたりするなか、水を一口飲んだクラリッサがふいにグラスを目の前に持ち上げ、中身の透明な液体をじっと見つめました。
「浄化してあるにしても、ずいぶん綺麗な水ね。ねぇ、このあたりって、今は乾期でしょう」
「そう、乾期真っ盛りだ」早くもグラスを
ヘルメットのおかげでぺしゃんこになった青年の髪の上には、いつものようにレスコーリアが腰かけています。彼女はどこか心ここにあらずといった表情を浮かべて、触角を上下左右に揺らし続けています。
「雨はほとんど降らないのよね。水は川から汲んできてるって話だったかしら」
「ああ。ここからちょっと離れたところに澄んだ小川があるんだ。これだけ都合の良い場所を見つけるの、めちゃくちゃ骨が折れたんだぜ」
「なるほどね。……ところで、昨晩敵に接近されたのよね」
「うん。あれには肝を潰したよ」マノンがかぶりを振ります。
「どのへんまで来たの?」
「まさに今、僕らが立ってるこのあたりまで」
「よく見つからなかったわね」
「そりゃあ、この僕が手塩にかけた光学迷彩くんのおかげさ」マノンは不敵に笑います。
「ふむ、ふむ。ま、要するに、こちらが潜んでそうな場所はだいたい目星をつけられてるってことよね……」クラリッサは腕を組んで天井を仰ぎ、ぶつぶつとひとりごとをつぶやきます。「……つまり向こうは、こちらが補給の足としてバイクを使ってることも、それで頻繁に拠点と町を往復してることも、だいたい把握してる。でも、たった一台のバイクで大量の水を運び続けるなんて、どう考えたって不可能。どこかの水辺にでも拠点を構えたら解決する話だけど、まさかそんなわかりやすい場所に堂々と船を置くはずがない。必然的に、船を隠すのに適した場所と水源地のあいだを往復することになる。だけど目立つ動きは必要最小限に抑えたいだろうから、なるべくなら水に近いところに腰を据えようと画策するはず。そうすると……いくらこの荒野が途方もなく広いったって、バイクで日常的に町へ通える圏内にある川なんか、きっとそれほど多くはないはずだから……」
特務小隊の一行も、整備士たちも、みな一様にグラスを手にしたまま立ち尽くし、息を詰めてクラリッサの口もとを見つめます。
「……うん。やっぱりあたしが連中の立場だったら、一度捜索に失敗したからって、このあたりの調査の手を抜くことはしないわ」クラリッサはきっぱりと顎を引きました。「また来るわよ、きっと。そう遠くない未来に」
「はっ!!」レスコーリアが胸に手を当てて、喉を締められでもしたかのような息をもらします。
「……ほらね」口のなかで密かにクラリッサが言いました。
「どうした!」グリューが目の色を変えます。
「来る、来るわ!」レスコーリアは弾けるように空中へ躍り出ました。
「やっぱり気のせいだと思うって、さっき言ってたじゃないか? あれはいったい、なんだったんだい……」マノンの頬から、みるみる血の気が引いていきます。
「――そうか! わかった、あれは、あの小石が鳴るような感じは、どこか遠くで携帯型の鉱晶伝話器が使われた響きだったんだ」レスコーリアが両目を見開きます。「昨夜船から降ろされてこの一帯に残っていたのか……それとも今日のいつかの時点で改めてやって来たのかわからないけど、やつら飛空船とか車とかじゃなくて、
「……それで、レスコーリアにも感知できないほど離れた位置から、望遠鏡かなにかでこっちの動きを見られてでもいたってのか」グリューが歯噛みします。
「マノンさん!」ミシスが顔を振り上げます。
「総員、操舵室に上がっておくれ!」我に返ったマノンが命じます。「ミシスは、リディアに!」
「はい!」
「さて、あたしたちも戻るわよ」
クラリッサは一言発してグラスを盆に置くと、野を駆ける兎のように船外へ飛び出していきました。顕術による超人的な跳躍力を発揮する少女のあとを、整備士たちが血相を変えて追いかけます。
リディアの胸の扉に手を触れたミシスは、毎朝そうしているように落ち着いて深呼吸をし、ゆっくりとそれを開きました。
マノンとグリュー、レスコーリア、それにノエリィは、階段を駆け上がって操舵室に飛び込みます。同時に操縦席にその身を滑り込ませたマノンとグリューが、発進準備に取りかかります。ノエリィは二人の背後に立って、四方に広がる月夜の大地をおずおずと見渡します。
最後に操舵室に入ってきたレスコーリアが、宙に浮かんだまま静かに肩を落としました。
「だめ。間に合わない」
青年が隊長の指示を受けて揚力装置を起動させた時には、もうすでに東の方角から我を忘れた猛牛のように突進してくる灰白色の飛空船〈バディネリ〉の姿が、特務小隊、そして補給隊の一行の目に、はっきりと確認されていました。
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