56 自分が正しいと思う道を

文字数 4,961文字

「ピレシュ!」レンカが呼びかけます。「油断するなよ!」
 名を呼ばれた少女は軽く首を振り、嘆息混じりに返答します。
「油断もなにも、もうこれは抵抗のしようがないでしょう」
 自分たちのいる位置――飛空船バディネリの操舵室――からは白い背中と倒れ伏した碧い下肢しか見えずにいたキャラウェイ姉妹は、少女のその一言で勝利を確信しました。
「よくやってくれた」ライカが微笑します。「さすがだよ。これが搭乗訓練初日の緊急実戦参入での戦果ということ、幾久(いくひさ)しく我が軍で語り継がれていくだろう」
「そんなくだらないことはどうでもいい」ピレシュは嫌悪を隠そうともせず切って捨てます。
 レンカは眉間に深く皺を寄せますが、姉の方はいっそうえくぼを深めます。
「それで、このカセドラをどうするのです」少女がたずねます。
「持って帰る。運べるか」ライカが指示します。
「本当にもう大丈夫なんだろうな」レンカが棘のある声で念押しします。「まだなにか武器を隠し持ってるかもしれんぞ。最後まで気を抜――」
「馬鹿にしないで」ピレシュがぴしゃりと遮ります。「この子がわたしにそんなことするわけないじゃない。もちろん、わたしもこれ以上は手を出さない」
「ふん……」知らず知らず前のめりになっていた上体を、レンカはゆっくりと元に戻します。
「さぁ、ミシス」ピレシュが声をかけます。「ノエリィも連れて、早いとこ帰りま――」
「なんでピレシュがあの人たちと一緒にいるの」
 胆力(たんりょく)を総動員して、ミシスは向かいあう彼女の瞳をまっすぐに見据えました。やや強さを増してきた潮風が互いの操縦席内に吹き込み、それぞれの水晶色と白金色の髪をさらさらと揺らせます。
 ピレシュはほんの小さなため息を吐くと、すっと顎を引いてつぶやきました。
「仕方なくよ」
「仕方なく、って……」ミシスは操縦席の手摺をぐっと握りしめます。
「そんな顔しないで」ピレシュが苦笑します。「仕方なくって言ったって、ほんとにただの成り行き任せでこうなったわけじゃないわよ。それともわたしのこと、そんな適当に物事を決める人間だとでも思ってたの?」
「そんなわけない」きっぱりとミシスは首を振ります。「そんなことするわけないピレシュだからこそ、どうしてそんなものに乗ってるのかって訊いてるんじゃない!」
 そう言いながら自分が発した言葉にみずからはっとなって、ミシスは極めて重要なことを――どうして今の今まで意識に(のぼ)らなかったのかと己を疑うほどの事実を――思いだしました。
「そうよ……そもそも、どうして、あんなにカセドラのことを……」
「カセドラ恐怖症のこと?」抑揚を欠いた声で、ピレシュが先んじます。
 なにかひやりとするものが、ミシスの背筋を這い上がります。
「怖いわよ。もちろん」ピレシュは針のように両目を細めます。「怖くて、憎くて、腹が立ってしょうがない。自分がこうして

のなかにいるって考えただけで、吐き気がする。わたしの家族と人生をめちゃくちゃにしたこいつらのことが、憎くて憎くてたまらないわ」
「なら、どうして……」ミシスは全身に重い汗が滲み出てくるのを感じます。
「こいつらをこの世から排除するためには、こいつらとおなじか、それ以上の力が必要じゃない」ピレシュは平然とこたえます。まるで1になにを足したら0になるかという問題に解答するかのように。「ただそれだけのことよ。どこかにまちがう余地がある?」
「なにを、なにを言ってるの」ミシスはぶるっと喉を震わせ、熱い息を吐きます。「まちがってるに決まってるじゃない!」
 目をぱちくりさせて、ピレシュはひょいと首を傾けます。「だって、黙って見てるだけじゃ、平和は戻ってきてくれないんだもの。平和を乱す連中がいるなら、そいつらを一人残らず排除しなくちゃ、いつまでも罪のない人たちが虐げられるだけじゃない」
「平和を乱した連中と一緒にいて、なにを言ってるの!」
「平和を乱したのはあの女たちじゃない!」
「……あの女?」ミシスは声を詰まらせます。
「心から憧れていたのに」ピレシュはその双眸に猛る炎を灯し、奥歯を噛んで吐き捨てます。「科学の力で平和な新時代を築くとか、荒廃した大地を再生させるとか……ぜんぶ世間向けの、人気取りのための方便だったんだわ。科学の兵器開発利用からの脱却なんて、聞こえの良い嘘八百をさんざん並べておきながら、裏ではこんな、こんな凶悪な化け物を造っていた……!」
「嘘じゃないよ」レジュイサンスの操舵室にいるマノンが、通信器の前で深々とうなだれて、胸に石でもつっかえているような声で言いました。「そんなふうに思われてたなんて、とても残念だ」
「師匠の……ディーダラス博士の平和への想いは本物だ。嘘なんかじゃない」グリューが続きます。「ただ、おれたちは……」
「軍属ですものね」ピレシュが一笑に()します。「命令には逆らえないものね。我が身がかわいいから、気狂いじみたことだって平気でやってしまえるのよね。……まったく、どうかしてるわ。おとなしく他人の言うことに従うあなたたちも、それを命じる王国軍の首脳連中も」
 最も触れられたくない傷口に塩を擦り込まれた二人は、それぞれの(おもて)を痛々しいほどの苦渋に歪めます。その背後に腕を組んで佇むベーム博士は、しかし顔色一つ変えません。自分の肩に立つプルーデンスと共に、ただ黙して一連の言葉の応酬に耳を傾けています。
「あの日!!」突如振り上げた拳で、ピレシュは操縦席の内壁を思いきり殴りつけます。「あの日、おまえらがそんな化け物を隠し持ってわたしたちの丘に来なければ、こんなことにはならなかったんだっ!!
「うぅっ……」こらえきれずミシスは嗚咽をもらします。
「おまえたちさえいなければ、わたしたちはずっと一緒にいられたはずなんだ! 友だちを無理やり連れていかれることも、大切な場所を壊されることも、毎晩(あか)りを落とした部屋のなかで先生が一人で泣くようになることも、なかったんだ! わたしたちは……わたしたちは今この瞬間にも、あの緑の丘で手を取りあって暮らしていられたはずなんだ!!
 ミシスは両手で口を押さえ、背中を丸めて泣きじゃくりました。
 ピレシュの瞳からも、そしてマノンの瞳からも、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちます。
「でも……でも……」しゃくり上げながらミシスが言葉を捻出します。「でも、だからって、ピレシュまでそんなものに乗らなくても、よかったじゃない。軍隊に関わったりしなくても、よかったじゃない。先生と一緒に待っていてくれたら、わたしたちいつかきっと、帰っ――」
「いつかきっとじゃないのよ、今日これから、わたしと一緒にあなたは帰るの!」ピレシュが身を乗り出して叫びます。操縦席のベルトが、その胸の中心に深く食い込みます。「わかってよ、ミシス。わたし、もう先生の悲しむ顔は見たくないの! 平和のための戦いならわたしが引き受けるから、あなたとノエリィは先生のそばにいてくれたらいいの!」
「ピレシュ!!
 とつぜん、少し離れた場所から、鋭い怒声が飛んできます。
 ミシスとピレシュは同時に声のした方へ――森を突破して浜辺に駆けつけたノエリィ、そして彼女の両脇を抱えて俊足を発揮してきたクラリッサが立つ方へ――視線を振り向けます。
「……よかった」ほんのりと赤く頬を染めて、ピレシュがほほえみます。「元気そうね、ノエリィ。探しに行く手間が省けたわ」
 ノエリィは眼鏡の奥の両目をきっと光らせ、大股でずんずんと二人の友のもとへ進み出ていきます。
「ちょ、ちょっと、ノエリィったら……」クラリッサが腕を引いて制しますが、少女は決然たる歩みを止めることはありません。
 仕方なく、クラリッサは周囲の状況をつぶさに観察しながら、強情な少女の背にぴったりとついていきます。
 重なりあう二体の巨兵のあいだに仁王立ちになると、ノエリィは両の拳を握りしめて、射抜くようにピレシュを睨みつけます。
「いったいどういうことなの。ミシスに剣を向けるなんて」
「わるかったわ。けど他にどうしようも――」
「言いわけしないで!」ノエリィはその(まなこ)を真っ赤に燃やし、髪を振り乱して怒鳴ります。「さぁ、今すぐそこから降りてらっしゃい」
 ピレシュは困り果てた表情を浮かべ、のっそりと肩をすくめます。
「……だめよ」
「だめじゃない」ノエリィは突風に吹かれた風見鶏のように、激しく首を打ち振ります。「つべこべ言わずに降りてきて。あんな人たちのところにいちゃだめ。わたしたちと一緒に来て」
「それはこっちの台詞(せりふ)」ピレシュは可笑しそうに唇を曲げます。「あなたたちが、わたしと一緒に来るの。そしてこのまま家へ帰るの。それが先生がいちばん喜ぶ方法なのよ」
「お母さんがそんなんで喜ぶわけないじゃない!」母譲りの大きな瞳をたっぷりと濡らして、ノエリィはさらに怒声を張り上げます。「お母さんは言ってたよ。あなたたちがいちばん正しいと思うことを精一杯やっていきなさいって。自分もそうするからって。だからわたしはそうしてる。そして、ミシスも」
 ミシスもピレシュも口をつぐんで、白砂の上に敢然と立つ小柄な友の姿を、それぞれの巨兵の胸の内からじっと見つめます。
「もちろん、好きこのんでこんなことに巻き込まれてるわけじゃない。でも、わたしたちは、後悔のない選択と決断をくり返して、ここまで来たの。ピレシュは、なぜなの。なぜ、あの人たちと一緒にいるの」
「わたしだっておなじよ」ピレシュは柔らかな声音でこたえます。「わたしも、自分が正しいと思う道を――」
「暴力を振りかざして自由を唱える人たちに、どんな正しさがあるっていうの!」ノエリィは身をかがめて絶叫します。「そんなの、ピレシュがなによりも嫌う、王国軍がかつて通ったのとおなじ道じゃない! その道は、絶対にまちがってる!」
「まちがってるのは今なお変わろうとしない王国軍よ!」ピレシュも負けじと応戦します。
「もういい!!」ミシスが悲痛な叫びを放ちます。「結局、なにもかも……なにもかもがまちがってて、(けが)れてるの。誰にも、どこにも、完全な正しさなんてない。この世界に、完全に(きよ)らかな場所なんて――」
「あるわよ」ピレシュが静かに切り込みます。「あの丘に。わたしたちの家と学院がある、あの場所に」
 ミシスとノエリィは一瞬すべての言葉を失い、同時に小さく息を吸って、さめざめと涙を流します。
 静観していたクラリッサがふっと嘆息し、三人の少女を同情のまなざしで眺め渡してから、慰めるように口を開きました。
「もうじゅうぶんよ。それくらいにしておきなさい」
「外野は黙ってて」渡された書面に目も通さず破り捨てる冷淡な上役(うわやく)のように、ピレシュが一蹴します。
「わあ。ひどい言われよう……」クラリッサはさも心外そうに首をすくめます。「ま、いいわ。コランダム軍のカセドラ操縦者。ピレシュといったかしら。あなた、投降する気はあるの?」
「愚問ね」ピレシュは鼻であしらいます。「あなたたちこそ、いい加減ミシスとノエリィを解放しなさい。さもなくば――」
「ミシス!」音声が割れるほどの大声で、突如マノンが割って入ります。「レスコーリアたちが、空のイーノの異変を感知しはじめた!」
 操舵室の窓辺に二人並んで浮かび、どちらも触角をびりびりと硬く張っているレスコーリアとプルーデンスの姿を、マノンとグリュー、それにベーム博士が、それぞれに息を詰めて見守っています。
「全力の顕術を駆使して、アトマの二人が探ってくれてる。今のところまだ距離はあるようだが、複数の飛翔体によって大気が搔き乱される感触があるらしい」青空を睨みながら、グリューが通信器の前で唸ります。「……まずいぞ、このままじゃ」
 ぐんと首を曲げて、ミシスはクラリッサと目配せを交わします。
 クラリッサはノエリィの体を両腕で抱きかかえ、あっという間に遥か後方へと退避します。
「ちっ!」
 顔をしかめたピレシュが自身の乗るカセドラの扉に手をかけた時には、もうすでにミシスはリディアの胸の扉を閉じてその躯体を起動させていました。
「うあぁぁっ!!
 ハスキル先生、ごめんなさい。
 心のなかでそうささやきながら、ミシスは心血を注いだ顕術の衝撃波を、白いカセドラの顔面めがけて撃ち出しました。
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登場人物紹介

◆ミシス・エーレンガート


≫主人公。エーレンガート家に家族の一員として迎え入れられ幸福な日々を過ごしていたが、思わぬ形でコランダム独立の騒乱に巻き込まれ、ノエリィと共に丘の家から旅立つことになった。

◆ノエリィ・エーレンガート


≫ミシスの親友であり家族でもある心優しい少女。望まぬ形で軍に連行されるミシスを独りにさせまいと、ほとんど押しかけるようにして〈特務小隊〉の一員となる。

◆マノン・ディーダラス


≫本職は科学者であり発明家だが、カセドラ〈リディア〉を守護するため急造された部隊〈特務小隊〉の隊長を務めることになった。同隊が移動式拠点として利用する飛空船〈レジュイサンス〉も、彼女の発明の賜物。

◆グリュー・ケアリ


≫マノンの腹心の助手。彼女に付き従い、ホルンフェルス王国軍極秘部隊〈特務小隊〉に所属する。飛空船での暮らしにおいては、もっぱら料理係と操縦士の役割を務めている。

◆レスコーリア


≫マノンたちに同行するがまま、〈特務小隊〉に加わることになったアトマ族の少女。相変わらず自分流に気ままな日々を過ごしながらも、密かに隊の皆を見守っている。

◆クラリッサ・シュナーベル


≫世界最強の顕術士一族として知られるシュナーベル家の長女。優れた顕術士ばかりで構成される王国騎士団〈浄き掌〉の副団長を務める。グリューとは許婚どうしで、マノンやレスコーリアとも旧知の仲。

◆ゼーバルト・クラナッハ


≫新生コランダム軍を率いる将軍。統一王国からの離脱と祖国独立の宣言を発し、全世界に対し戦後最大級の衝撃を与えた。

◆ライカ・キャラウェイ


≫新生コランダム軍に所属する軍人。エーレンガートの丘での失態の後、妹のレンカと共に小部隊を率いてミシス一行を追撃する。

◆レンカ・キャラウェイ


≫エーレンガートの丘で勃発したカセドラどうしの戦闘によって重傷を負い、その後しばらくのあいだ治療に専念していた。

◆ヤッシャ・レーヴェンイェルム


≫国王トーメ・ホルンフェルスの名代として、マノン一行に〈特務小隊〉としての任務を与えた。以後さまざまな手段を用いて、先の見えない困難な日々を送る同小隊を遠く王都より支援する。

◆ハスキル・エーレンガート


≫愛する娘たちと離ればなれになり、我が子同然の学院校舎が損傷してもなお、決して希望を失うことなく毎日を前向きに生きている。

◆ピレシュ・ペパーズ


≫幼少時より人知れず抱えていたカセドラ恐怖症の劇的な発作により、長期に渡って入院生活を送っていた。恩師ハスキルに護られながら、徐々に回復へと向かう。

◆ドノヴァン・ベーム


≫十年ほど前に王都から忽然と姿を消した、伝説的な大科学者。レーヴェンイェルム将軍の幼馴染みにして、マノンの恩師。現在の彼の動向を知る者は極めて少ない。

◆プルーデンス


≫ベーム博士と共に暮らすアトマ族の少女。博士とおなじくアルバンベルク王国の出身。幼い頃から過酷な環境を生き抜いてきたためか、非常に気立てと面倒見が良い。

◆〈リディア〉


≫ホルンフェルス王国軍が極秘裏に開発していた最新型のカセドラ。本来ならカセドラが備えるはずのない、ある極めて特異な能力をその身に宿している。操縦者はミシス・エーレンガート。

◆〈フィデリオ〉


≫コランダム軍が新たに開発した特専型カセドラ。操縦者はライカ・キャラウェイ。

◆〈コリオラン〉


≫フィデリオと同一の鋳型を基に建造された姉妹機だったが、リディアとの交戦の末に大破した。かつての操縦者はレンカ・キャラウェイ。

◆〈□□□□□〉


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