6 いちばん陽当たりの良い場所
文字数 5,555文字
新しい寝床に収まった花の芽は、まるで仔犬を家に迎えた日の子供のようにはしゃぐ二人の少女によってあちこち連れまわされた結果、船内でいちばん陽当たりの良い場所である操舵室の計器盤の上に置かれることになりました。
この朝、食事を普段より手早く済ませた特務小隊の一行は、そのまますぐに最寄りの川へ給水に向かいました。
少女たちが荷車を引いて大変な思いをしながら辿った道を、空飛ぶ船はなんの苦もなく飛び越えていきます。
到着後は迅速に作業ができるように、各員は船内のそれぞれが担当する位置で待機しています。操縦桿を握るグリューと、ソファにうつ伏せになって鼻歌混じりに雑誌を眺めているレスコーリアだけが、操舵室に残っています。青年はいくぶん張り詰めた顔つきをしてはいますが、その背後で一人だけ気楽に過ごしている小さな少女をたしなめたりはしません。くつろいでいるふうに見えて、彼女は周囲一帯のイーノに異常がないか探り続けてくれています。
光学迷彩機能によって外装を
着地と同時に、一行は手分けして作業を開始しました。
特殊樹脂製の長い給水管の束を、ミシスとノエリィが一緒に抱えて川のすぐそばまで運びます。その後ろを長靴を履いたグリューが追いかけ、少女たちから託された管の先端を両手でつかんで清流の只中に進み入ります。そして機関室の窓からこちらをのぞいているマノンに合図を送ります。了解のしるしに手を挙げると、彼女は即座に
やがて貯水槽が満ちると、マノンが再び青年に合図を送り、この日の給水作業は完了しました。
この
「これでまたしばらくはもつね」ソファに座って顔の汗を拭きながら、ノエリィが一息つきました。
ミシスがうなずきます。「だんだん、わたしたちの手際も良くなってきたよね」
「二人ともおつかれさん」グリューが
「夕方までは、また勉強」ノエリィが心を欠いた声でつぶやきます。
「感心感心」グリューがにこりとします。
「今日は、国語と物理だったね」言いながらミシスがノエリィの隣に腰かけます。
「むぅ~」ノエリィがばったりとソファに沈みます。「昨日も勉強、今日も勉強、明日も勉強。たまにはちょっと気晴らしでもしたいよ」
「気晴らし……つってもなぁ」
頭をぽりぽりとかきながら、グリューは困った表情を浮かべます。そして憐れむように目を細めて、並んで座る少女たちの姿を眺めます。
そうだよな、と青年は思います。この二人と同年代の子たちは、毎日普通に学校に通って、普通に友達と遊んで、普通に外を歩きまわって、堂々と町やいろんな場所へ出かけたりしてるんだよな。おれだって、これくらいの歳の頃には、ずいぶん好き勝手に遊びまわったもんだった。
「まあまあ」ミシスが腕を回して、意気消沈する友の肩を撫でます。「こうして元気でいられて、人並みに勉強できる機会があるってだけで、じゅうぶん幸運じゃない」
「もお! ミシスはちょっと真面目すぎるわ」ノエリィが頬を膨らませます。
ミシスは苦笑します。「だってさ、わたし、ハスキル先生と約束したんだもの。ノエリィが勉強さぼってるとこ見たら、すぐに報告するって」
「……どうしてそういう覚えてなくていいことをいつまでも覚えてるのよ、あなたって子はぁ」
恨めしげに唸りつつ、ノエリィはミシスの脇に両手を差し入れて猛然とくすぐりはじめました。ミシスは身をよじって笑い転げます。
「たはは……」グリューが切なげに微笑します。「二人とも、毎日本当によくがんばってる。偉いよ。昼には美味いもの作って持ってってあげるから、今日もしっかり勉強しなさい」
「美味いもの」ノエリィがぴたりと手を止めます。「ふむ。なら、まぁ、がんばっちゃおうかしら」
「楽しみにしてるね、グリュー」ミシスが息を切らせて言います。「じゃあノエリィ、さっそく取り掛かろっか」
二人はもぞもぞと起き上がり、重い足取りで階段へ向かいました。
三段ほど降りたところで、ノエリィが振り返って青年に声をかけます。
「ねぇグリュー、今夜は忙しい?」
「ん? あぁ、研究課題は山ほどあるけど、とくに急ぎのやつはないかな」青年はそうこたえてから、ふいに思い当たってにやりとしました。「なんだ、バイクか?」
少女はうなずきます。「今夜も、少しでいいからつきあってくれない?」
「かまわないよ。晩飯の後でまたやろう」
「やりぃ」ノエリィは先程までの沈んだ表情が嘘のように、ぱっと顔を輝かせました。「それを楽しみに勉強がんばるわ」
青年は階段を降りていく二人を手を振って見送りました。途中まで、二人が交わしあう会話が聴こえてきていました。
「ノエリィ、そんなにバイクが気に入ったの?」
「実はね、そうなの。乗ってみたら、なんか楽しくなっちゃってさぁ……」
そうして操舵室に静けさが戻りました。
小さくため息をついた青年は、ズボンのポケットに両手を突っ込んでしばらくその場に立ち尽くしました。その頭の上に、レスコーリアが遠慮なく腰をおろします。青年は
二つ並べて設置された操縦席の一つに、いつもの薄着姿のマノンが腰かけています。眼鏡をかけて片手に分厚い資料を持ち、口を閉ざして淡々と機器の点検をおこなっています。
隣の座席に青年は腰を下ろしました。
「あの子たちに息抜きをさせてやりたいって言うんだろ」マノンが顔も上げずに言います。
「どうしてわかったんです」グリューが苦笑します。
「何年きみをこき使ってきたと思ってるんだい」マノンは軽く鼻を鳴らします。「きみが考えてることくらい、中等部で習う微分係数の問題くらい簡単にわかるさ」
「微分係数は高等部です、師匠」
「あれ、そうだっけ」少し首をかしげると、マノンは資料を持つ手を入れ替えました。「僕だって、そうさせてやりたいのはやまやまさ。こんなでたらめなことに巻き込まれたりなんかしなかったら、あの子たちは今頃あの丘でのびのびと暮らしていたはずなんだもの。僕らがあの日、あの時、あの場所に居あわせさえしなければ、あの子たちも、あの子たちの家族や友人たちも、それに学院の校舎や広場だって、まったくなんの被害も受けることはなかったんだ」
「そのことを思わない日は一日たりとありません」青年は荒野の彼方を見据えます。
「僕だってそうさ」マノンは作業の手を一瞬止めます。「……あの丘でハスキル先生と一緒に過ごした子どもの頃の思い出は、これまでずっと僕の心の支えになってきてくれた。それはもちろん今でもそうだし、これから先もずっとそうであり続けるはずさ。だからこそ、故意に引き起こした事態ではなかったとはいえ、先生たちに甚大なご迷惑をかけてしまったこと、どんなに悔やんでも悔やみきれない。それに……それに、僕らは、あの子たちがまだ校舎から避難していない可能性がわずかでも残っていることを把握しながら、愚かにも軍規なんかに縛られて、あの時……」
言葉にならない悔恨を共有する青年もまた、身を切るように黙り込みます。
一度深く息を吸って、マノンは続けます。「羽を伸ばす機会を与えることがいくらかでも償いになるのなら、喜んでそうするさ。でも……」
「ま、ちょっと不安よね」出し抜けにレスコーリアが口を開きます。「それはわかるわ。でも、ここでじっとしたままでいるのだって、不安は不安でしょ。もしかしたらあたしでも気づけないうちに、たとえば今この瞬間にも、とつぜん敵に襲われることだってありえなくもないわけだし」
「おっかないこと言うなよ」グリューがぎょっと目をむきます。
「だから、もしかしたらの話だって」レスコーリアは肩をすくめます。「今さら言うまでもないことだけど、あたしたちアトマ族は、自分のまわりの波動の変化をすごく敏感に感知するわ。そしてそれとおなじように、近くにいる人間たちが放つ波動もかなりはっきり感じ取ることができる。アトマ族があんまり人の多い場所に近づかないのは、もともと自然を好む体質だからっていうこと以外にも、そういう理由がけっこう大きいのよね。四六時中、四方八方からいろんな種類の波動に囲まれてたんじゃ、気分が落ち着かないから」
「なるほどな」グリューがうなずきます。「でもおまえ、なんで今いきなりそんな話を……」
「あの子たちを町へ遊びに行かせてあげたら、って話よ」
並んで操縦席に座る二人は、同時に眉をひそめます。
「二人で、ねぇ……」マノンが頭の後ろで両手を組んで、断崖に挟まれる青空を仰ぎます。「将軍や先生たちからの報告によれば、あの子たちの個人情報はすでに連中の手に渡ってしまっている。押収された写真から、顔も割れてると見てまちがいない」
「単独でなら人混みに紛れる確率も高いでしょうけど、二人揃ってるところを目撃されたらって考えると、ちょっと心配ですね」グリューが腕を組んで唸ります。
「あのさぁ。それはいくらなんでも心配しすぎじゃないの」レスコーリアが青年の頭をぺしぺしと叩きます。「あれだけ大きな港町じゃない。女の子の二人組なんて、そんなのいくらでもいるはずでしょ。何度も買い出しに行ってるあなたが、いちばん知ってるんじゃないの」
「まぁ、そりゃそうだけど」青年は首をひねります。「……うん。そうだな。それなら……」
「しっかり変装すれば、大丈夫かもね」マノンがぽつりとつぶやきます。
「それにあたしもついてくわよ」レスコーリアが宙に浮かび上がって言います。「ごちゃごちゃしたところは得意じゃないけど、あの子たちよくやってるもの。一日くらいつきあってあげたって、ぜんぜんかまわないわ」
その提言を受けた二人は、顔を見あわせてほっと笑みをこぼしました。
「それならもっと安心だね」マノンがうなずきます。
「もし怪しいやつが接近してきたら、すぐに気づいてやれるか?」グリューが頭上を見あげてたずねます。
「だからそれを納得してもらうために、さっきの話をしたんじゃない」レスコーリアは額から伸びる二本の触角をひゅんひゅんと揺らします。
「そういえば昨夜、ノエリィが言ってました。今度は自分がバイクで買い出しに行くって。もっとみんなの役に立ちたいって」
「もうそんなに乗れるようになったの?」マノンが目を丸くします。
「あの子は乗り物に向いてるみたいですね。すぐに勘をつかんじまった」言いながらグリューは改めてマノンの方に向き直ります。「でも今のところ買い出しは間に合ってるから、ともかく一度気兼ねなく出かけてきたらどうかって、提案してみますか」
「そうだね」マノンがうなずきます。「レスコーリアがここを離れるのは少し不安だけど、そのあいだずっと船体の迷彩を継続すれば、きっと大丈夫だろう。僕と助手くんが交代で周辺の監視に当たったら、さらに不安は解消できるかな」
「じゃあ、おれがあとで二人に伝えますよ」
「うん。頼んだよ」
「ふふっ」レスコーリアが口を押さえて笑いました。「あの子たち、きっと喜ぶわ」
昼のあいだは太陽が射し込む格納庫の
けれどその直後、まるでばっさりと幕が降ろされたように、ミシスの表情が曇りました。操縦者である自分がリディアから離れてしまって大丈夫なのかと、一抹の不安がよぎったからでした。もしもの時に自分がこの子のそばにいられなかったら、それは、とても危険なことなんじゃないのかしら。
半日くらいなら問題ないはずだと青年が説きますが、心配性の少女はそう簡単に納得することができません。結局、答えが出ないまま昼が終わってしまいました。
それからもずっと悩み続けたミシスでしたが、日暮れ前にノエリィと一緒に船の周辺を時間をかけて見回り、全方位の景色を穴が
もうなに一つ心配することはない、とグリューが太鼓判を押し、後ろに乗っていてなんの不安も感じなかった、とミシスが感心すると、ノエリィは親指をぐっと立てて自信満々の笑顔を浮かべました。
最初はあんなに反対していたミシスも、今ではすっかり安心しきって、親友の達成を一緒になって喜びました。
(ログインが必要です)