第59話 グッチかプラダか? 天ぷらか寿司か!

文字数 1,640文字

 ポトラッチとポットラックと聞いて、どっちが何のことなのかパッとわかる人がいたら、よっぽどの通です。でもカナダに滞在してしばらくすると、このポットラックの方はなんとなく聞いたことがある単語になっているんじゃないでしょうか? 今度の土曜日、ポットラックパーティーをやるからぜひ来てね、なんてね。ポットラックっていうのは、参加者がそれぞれ手料理を一品ずつ持ち寄ってわいわいやろうよ、ていうパーティーですね。カナダの白人の文化らしいです。

 かたやポトラッチとは、これまたパーティーと言えばパーティーですが、北米太平洋岸のインディアンたちが冬場に行う豪華も豪華、主催の一家一族、あるいは部族全体を巻き込んでの威信をかけた、何もかもすっからかんになるまで大盤振る舞いで気前の良さをアピールする、命がけであるとさえいえる大規模なパーティーです。お金はもとより最後の一枚の毛布まで客人たちにあげてしまったため、村中が冬中、凍死と餓死寸前の、過酷な環境を耐え続けなければならなかった、なんてエピソードも残っています。ホントに何もかもをあげちゃうらしい。

 また、ポトラッチの語意である「贈与」をはるかに離れて、目のくらむほどの高価な財宝を客人の目前で破壊してみせる。貴重なそり犬を殺す。奴隷を殺す。パーティーをやっている最中の家に火を放つ。とにかく客を圧倒するためには何でもやる。招かれた側も後日、同等、あるいはさらにそれを上回る規模のポトラッチで返礼をできないようでは、一族としての面子を失う。面子のためには命がけ。殺人(奴隷殺し)までやるのだからこれは一種の戦争です。負ければ戦勝国には頭が上がらない。それこそ奴隷にまで()ちて、パーティーの余興で殺されたって文句の言えない立場にもなりかねない。パーティーに命を懸けないわけにはいかないのです。

 でもこの戦争は、蓄積した財力や軍事力を分配や破壊破棄によって無に帰するところまで散逸させてしまい、敵側も疲弊した相手をここぞとばかりに攻め込むのではなく、同等あるいはそれを上回る規模のパーティーで財力軍事力の放棄を見せ付ける、というものですから、爆弾や戦闘機を買うお金や兵力さえも残るわけはなく、本当の戦闘をする戦争と比べれば犠牲者ははるかに少なく、ましてや地球環境の破壊などには縁がないから、生活圏は守られる。

 この特殊なインディアンの慣習が西洋社会に紹介されたのは、フランスの民俗学の権威マルセル・モースの著書「贈与論」によってですが、こういう見栄の張り合い心理戦争っていうのは、元々が古今東西万国共通の人間の性なのかも知れません。

 しかし犠牲者が出るくらい後前(あとさき)なしに疲弊する、実際殺人さえ行われる場合がある、といった超絶パーティーですから、カナダ政府は一八八四年から一九五一年まで、ポトラッチの開催を禁止してしまいました。

 でもねぇ、モースの報告とかはよっぽど特別な事例を取り上げているだけで、一口にポトラッチって言っても、いろんな種類があるんですよね、本当は。結婚披露宴やインディアンネームの授与式や偉大な酋長の法事や新酋長の就任式のポトラッチとか、そういうのまで一方的に禁止されたら、それはまた大変な屈辱だったでしょうねぇ。日本の結婚式なんて、ここぞとばかりに散財するまるっきりポトラッチそのもののように見えますが、それ、外国政府に禁止されたらむかつくなぁ。

 さて現在のカナダBC(ブリティッシュ・コロンビア)州フローレス島ヌー・チャ・ヌルス族のアホーザット村では、秋深くなってくるころになると、えぇ? 毎週かよ、というくらい頻繁にポトラッチが行われています。ぼく初めて誘われたとき、手料理持っていかなきゃいけないのかと思って(ポットラックと勘違いしていた)何を持って行こうかずいぶん悩んだんですよねぇ。結局手ぶらで行ったのですが、ポトラッチだったと理解したときには、心底胸をなでおろしました。あそこに手料理もっていったら、そりゃあ恥ずかしいどころじゃなかったもんなぁ。
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