第64話 秘儀へのいざない

文字数 4,509文字

 1は点。2は二つの点を結べば線。3点で三角。棒(線)は立てたら転ぶが三角形は転ばない。安定した状態。安定した三角形が二つ合わさったのが四角形。なら安定度は絶対的。絶対に安定した4。4は、しと読む。死。死は絶対に安定している。なぜならもう変化をしない。四角形の中心に打った点、絶対的安定の中心に打たれた点、それが5。最強を意味する数字。西遊記の原文で数字の五は最強の登場人物、悟空をさす。東洋はもとより、西洋でも五つの頂点を持つ五芒星は最強の魔力を持つ。りんごを横割りにすると中心に五芒星が現れる。だから白雪姫に魔法をかけたのはりんごでなければならないのだ。数字の不思議。

 アメリカ大陸では4は聖なる数だという。世界は四つの季節を巡り、人間は四つの時代を生きる(子供、大人、老人、また子供)。聖なる四つの方角、聖なる四つの色。一日の中には聖なる四つの時間帯。そして万物は輪を描き、宇宙は球状に収束していく。
 神道の神事である相撲の土俵も丸い。そして大相撲中継のテレビを見ていると分かるように、鳳凰、青龍、玄武、白虎が守る四つの聖なる方角に、それぞれを象徴する聖なる四色の房が垂れている……。

 さて、カナダ・バンクーバーアイランドの西海岸、クレイオクオットサウンド中腹の秘境フローレスアイランドで、たった一人で安宿ハミングバードホステルを切り盛りしているぼくに、今日のお客、メキシコから来た白人で九十三歳のシモネッタばあさんは、すべての仕事を放っぽり出して自分のためにサーモンを釣って来いと言う。この人メキシコでは有色人種を奴隷扱いしてOKな人生を送ってきたのかなぁ。凄い剣幕だけど冗談じゃねぇや。

 そこへ顔を出したクリー族のインディアン刑事マックス。警察のパトロール船に置いてけぼりを食ったので、入り江の対岸にあるヌー・チャ・ヌルス族の居留地アホーザット村まで、ぼくの(ボート)で送ってくれと言う。バンクーバー島からの一日二本しかない定期便の海上バスが到着して、お客さんのチェックインで一番忙しい時間帯にそんなこと言ってくるなんて、こっちもやっぱり冗談じゃねぇや、と思いつつ、でも短時間でもシモネッタから逃げちゃう口実になるか、と、仕方が無いからマックスを乗せて、村に向かってぼくの小舟を出したのでした。

「ゆき、今日俺午後から非番でな」
 て、おい、非番なのかよ。だから置いてけぼり食ったのか。てか、ホントは自分から乗らなかったんだろ。忙しいのに。ムカッ。
「今日よ、インディアンスチームやるぜ」
 ん! へぇ、そうなんだ……。ああ、マックスは白人の社会的にはカナダ王室騎馬警察隊の刑事だけれども、インディアン的には特別な霊的能力を持つとされる、メディスンマンのひとりだもんね。インディアンスチーム、つまりインディアン式サウナは、スチームサウナの中でトランス状態で神と交信する、シャーマン、あるいは導師によって執り行われる宗教的秘儀のひとつです。

「お前、どこでやるのか場所見たくね?」
 えー? そりゃ、見たい! 見たいけど、今仕事から離れられる時間帯じゃないんだよなぁ。
「すぐそこだって。ちょこっとだけ見に来いよ」
 えー? うーん……。シモネッタが待ち構えている(ホステル)に帰るのが嫌だなぁ、という気分が多分に作用していたのだと思いますけど、
「うーん。じゃあ、ちょっとだけ」

 マチルダ入り江(インレット)最奥のアホーザット村メインドックに舟を係留して、マックスと一緒に真っ赤なレールの桟橋を歩いて村に入って行きます。桟橋と村の境にあるのがシーソーの家。ポーチの壁にWEL COME TO AHOUSAHTと白いペンキで書かれています。その裏がパットの家。パットは居るかな。

 村役場の前を通り過ぎ、映画「I HEARD THE OWL CALL MY NAME」の舞台となった古びた味のある教会を通り過ぎ、ポトラッチなどが行なわれる宴会場を通り過ぎ、あれれ、これ、全然すぐそこじゃないじゃない。
「ゆき、お前チェーンソー使うのうまかったよな」
 て、え? それどういうこと? 
「木がさぁ、いるんだよね」
 ぼくはマックスをじろりと見て「ふーん」
「お前、斧使うのも上手いよな」
「…………」

 あ、ちなみにですね、斧なんて誰が使っても大差ないじゃん、なんていう人がいたら、それはやっぱり分かってない人なんですねぇ。ただ振り下ろして薪を割る……、そういう一言で言える作業ほど奥深いコツというものがあったりするのです。百人の力自慢が力を振り絞っても割れない丸太を、たった一人のおじいちゃんがろくに力を込めずともパカパカと割っちゃったりもするのだ……という事実が現実に起こりえることも、技の神髄を垣間見たことがある者にとっては、決して想像に難いものではないのです(無銭飲食の代償として薪割をしたお侍の、その薪の割り口を見て「只者でない」と看破して、尋常でない大役の仲間に引き入れる、というエピソードがあるのは映画「七人の侍」でしたっけ……?)。

「ゆきよぉ、その先の入り江に面した空き地そばに大木が倒れてるからよ、あれチェーンソーでぶった切って、薪作っといてくれよ。スチーム(サウナ)に使う石を焼く火がいるんだよ。じゃ」
 あばよ……て、ええ? マックスめ、最初からそのつもりでぼくを連れてきやがったな。
「マックス! なにそれ」
「何だよ、お前、手伝ってくれねぇの?」
「手伝わないとは言わないけど、ぼく、今の時間は忙しいって言ったじゃん」
「いいだろ、お前にも儀式見せてやるからさ。そうだ、お前のお客も全員儀式に招待しちゃう」

 そんな、例えばシモネッタばあさんを神聖な秘儀の場に連れ出したりなんかしちゃったら、どんな無茶苦茶なことになっても知らねぇぞ。てか、その、さっき来た新しいうちのお客さんたちにいろんな案内の説明しなくちゃならないから忙しいの!
赤杉(シダー)の葉っぱも儀式に使うから、その辺の木から取って束ねておいてくれよな」
 そんな、見たことも無い儀式に使う道具なんてイメージできないよ。どうしたらいいかわかんないよ。マックス、マーックス!
「ひっでぇ。完全無視して行っちゃった」

 マジっすか。んで、こんなの放っぽり出して帰っちゃわないぼくだということも、ちゃんと承知してやがんだよなぁ。で、数秒後にマックスが振り返ったときには、ぼくはもうチェーンソーを始動するどころか、すでに倒木に半分くらいは切り込んでいる。頼みごとは忙しい人間に頼むと、かえってあっという間に片付けてくれるのだ……、というのは日本のビジネスマンのノウハウか(テレビで見た)。
 ちぇっ、なんでインディアン導師が、ジャパニーズビジネスマンのワザを使うかね。

 しかし倒木を輪切りにして斧で割るまではテクニックを駆使できるとしても、それをインディアンスチームの現場まで運ぶとなったら、これは完全に体力勝負じゃんね。トラックがあるわけでも一輪車があるわけでもないのを、誰も助けが来てくれないので、結局一秒でも早くホステルの仕事に復帰したかったぼく的には、愕然とするくらいの時間がかかっちゃった。あと、シダーの葉っぱ束ねとけとか言ってたな。でもホント、見たことも無い儀式に使う道具なんて想像もできない。てか、それにしてもマックス、いつまでたっても帰ってこない。もう無理だ、もう無理! 自分の仕事に戻ろうとしたとき、まるで見透かしたようにマックスが帰ってきました。

「ほう、ゆき。もうそんなにいっぱい薪、作ったか。そんなもんでいいぜ」
「マックス、そんならぼく、帰るぜ」
「まぁまぁ、一服付けろよ」
 マックスはぼくにタバコを差し出しました。
「要らない」
「なんで」
「タバコ、吸わない」
 マックスは数秒間ジーっとぼくを見詰めて、
「お前な、もし酋長にタバコを勧められても断るか?」
「…………」
「断らないよな。俺なら断るのか?」
 ……ちぇっ、分かったよ。

「まぁ、肺まで吸い込まなくてもいいぜ。かっこだけな、かっこだけ。タバコはな、インディアンにとっては聖なる道具なんだよ。煙はお前の体の中を巡り、そして天に上がっていくだろう? お前の心を天に届けてくれる。お前と神様とを繋いでくれるスピリチュアルな聖具なのさ」
 はぁ、なるほど。そういえば、タバコってもともと彼らインディアンの文化だもんね。

 マックスはくわえタバコのまま、そこいらに転がっている子供の頭ほどの石を一箇所に集め始めました。そしてその周りに、円錐状に薪を立てかけ、その薪を二階建てに積み上げました。
「さて、火をつける儀式をするぜ」
 マックスは東西南北、聖なる方角の神様に、順番にお焼香をするような動作で祈りをささげました。でもそれがどの方角から始めて、また神様たちに名前があったかどうかとか、そういうディティールは残念なことに忘れちゃった。

 火がゴウゴウと燃えて石を焼き始めたのを見届け、さ、ぼく、ホントにやばい。仕事に戻らなくちゃ。
「ゆき、あとで迎えに行くからな。シモネッタばあさんも誘っとけよ」
 マックス本気かよ。どうなってもしらねぇぞ。

 数時間後。
 腰布一枚の姿で導師マックスがぼくたちを迎えました。そして真っ赤に焼けた石たちが集められ、今もゴウゴウと火が燃えている穴から、神社の参道のようにまっすぐ掃き清められた先に、杉の枝とビニールシートで作られた小さなドームが。
「この道は神様が通る道だからな。決して横切ったりしちゃあいけないぜ」
 へえ、ますます神社の参道みたい。日本の神社だって、鳥居からお社までのど真ん中の道は、神様の道だから人間が横切ったりしちゃいけないのだ。

「ゆき、両手を広げてまっすぐ立ちな。ドームに入る前にスマッジ(清めの儀式)をやるぜ」
 杉の葉の束の消し炭をお線香のように使って、全身をなぞるように煙でいぶします。足の裏も片方ずつ上げて煙で清めます。そうして一人ずつドームに入り、マックスが「さて、これから神様にここに来ていただくぜ」と宣言しました。
「神様がいらっしゃったら、敬意を込める意味で、ヘイヘイ、と唱えるように」
 入り口が開いて、真っ赤に焼けた石がひとつ、スコップに乗せられて、ドームの中心に運び込まれました。
「ヘイヘイ」
 あ、そうか、この石に神が宿っているということなんだ。この石が神様なんだね。

 杉の葉を束ねて作った聖具で、マックスが石に水を打つと、もうもうと湯気が立ち上り、ドーム内はにわかにスチームサウナそのものになっていきました。神様の石が次々に運び込まれます。ヘイヘイ……。マックスが秘密の木の根を神様の石にくべると、なんとも神秘的な香りがドーム内に充満しました。マックスが歌を歌い始め、なるほど、こうやって徐々にトランス状態に入っていくのだ。

 さて、こういった儀式を四ラウンド行い、参加したホステルのお客さんたちは、神様の石を焼いた最後の残り火を囲みながら、厳かな気持ちで感動の余韻を静かに語り合っていました。シモネッタが持ってきたお菓子のゴミを、ビニール袋ごと全部神様の火に投げ込むまでは、ね。
 バサッ! て。
 一同、絶句よ。
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