第63話 そのお客、最年長

文字数 1,585文字

 ある秋の日、フローレス島に一九〇四年から建つ遺産家屋を修復したハミングバード・インターナショナル・ホステルの玄関を、ドアのガラスも割れんばかりに激しく叩く音がしました。ぼくがホステルのお客さんのチェックインを中断して、飛び上がって駆けて行くと、ポーチに大柄なインディアンの警察官が。カナダ王室騎馬警察隊、クリー族のマックス刑事です。
 マックスは何年も前に転勤してしまったけれど、以前捕まえた犯罪者の裁判がこの地域の裁判所で行われるので、証人としての出席ついでに、アホーザットの人々の顔を見に来たということでした。

「よう、ゆき。警察巡視船(ポリスボート)においてかれちまってさ。村まで送ってくれるよな、マイフレンド」
 ……なんで刑事が警察のボートにおいてかれるかね。
「ま、いいけどマックス、ぼく仕事中なんだよね。海上バス(シーバス)が来たところだから今いっちばん忙しいの。他の船、捕まえた方が早いと思うよ」
「ああ、俺、急いでねぇぜ。そうだ俺もお前の客に挨拶しとくぜ。ウェルカム、アホーザットってな」
 アホーザットとはこのフローレス島のインディアン、ヌー・チャ・ヌルス族の村「アホーザット村」のことで、マックスはぼくに、その入り江の向こうのアホーザット村まで船で送れと言っているのです。

 しかしもう、またややこしいこと言い出したな。
「あのね、マックス。今日の客、いつものに輪をかけて難しいのがいるんだって。頼むから放っといてくれないかな」
「なに? 俺がガツンと言ってやるぜ」
「相手、九十三歳のばぁさんだぜ?」
「えぇー? 九十三? どれどれ、そりゃ一目(ひとめ)見とかなくっちゃ」
 ああ、もう!

 そのお客、シモネッタはメキシコから来た白人のおばあさんで、いつものようにシーバスに無線で呼ばれて桟橋にお客を迎えに行ったぼくに、いきなり居丈高に、まるで人を奴隷扱いに「荷物を運びなっ!」と命令してきました。ここはバックパッカーズホステルであって高級ホテルじゃねぇんだぞ、と憤りつつも、そんなずいぶんな態度をとられたんで無ければ、ばあさんの荷物なら自分からすすんで持ってやってたのだから、まあ我慢しておきますが、シモネッタは自分のチェックインを済ますなり、ぼくに向かって「お前、今すぐ海に出てサーモンを釣ってこい!」と命令してきたのにはぶったまげました。

「は? ぼくね、ホステルのマネージャーなの。何か勘違いしてますよ?」
「私はシーフードを食べにこんなとこまで来てやったの。今すぐサーモンを釣ってこい!」
 ふざけんなよ、ババァ。
「俺はホステルのマネージャーであって、漁師じゃねーって言っとんのじゃ」
「いいから行け! ウキーッ!!」
「ちゅうか次の人のチェックインをするからどけ、ウガー!」
 と喧々諤々のやり取りをしていたところで、事態をさらにややこしくする最右翼キャラのマックス刑事が登場したわけ。

 果たしてシモネッタの前まで来ると、マックスは少し感心したようにBBAを見た後、ちらりとにやけた目をぼくに向けながら「サーモンくらい釣ってきてやればいいじゃん」て。
 俺がか! 俺が行くんか!
「ようこそアホーザットへ。お年寄りは敬わないとな」
 マックスはぺろっと舌を出して行っちゃった。桟橋で待ってるぜ、と言い残して。

「警察官が釣ってこいと言ってるんだからさっさと行け」とシモネッタ。
「行かんと言ったら行かん」
「じゃ、誰があたしのサーモンを釣ってくるのよ。お前! 行け! NOW(いますぐ)!」
「魚が欲しけりゃ魚屋に、ね。うちは宿屋なの。ぼくにはぼくの仕事があるの」

 この不毛な堂々巡りが何回も続いたけれど、とにかく次のお客さんのアナのチェックインも済ませて「シモネッタとアナだって。なんかもやもやっと笑える~」と日本語の響きで良からぬことを思いつつ、お客さんたちをベッドルームに案内して、……マックスを送るって名目で逃げちまおうっと。
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