第35話 お金じゃ買えない

文字数 1,925文字

 今日は六月七日ですが、今、ハチドリ達は子育てで忙しいらしく、我が家の窓辺にはほとんど顔を出しません。
 それでも常に数羽は家の周りを飛び交っていますが、そういう連中は「なんだい君たち、繁殖相手にあぶれちゃったのかい?」て感じです。

 たいていの年にこういう、繁殖行動のためのハチドリ空白期間というものがあるので、またしばらくしたら彼らが大挙して押し寄せてくることは間違いないでしょうから、こういうせっかく数が少なくて砂糖水の入れ替えに気を遣わなくていいときにこそ、心置きなく釣りに行って来ようと思います(心置きなくって、じゃあ、あんた商売のほうはどうすんのさ、て女房でもいようもんなら発狂されそうですけどね)。

 夕方六時頃にいそいそと家を抜け出して、ボートに釣り道具を運び込みました。そこへ入り江の向かいにあるインディアン居留地「アホーザット村」の漁業監視船が横付けしてきました。
「ようユキ、フィッシングに行くのか?」
「ああレアリー。ちょっとそこの岬までね」

 インディアン漁業監視官のレアリーとは、二〇〇二年の春先からの顔なじみです。そのときはレアリーがわざわざ「潮干狩りに行こう」と誘いに来てくれたので、こちらもわざわざお隣のストアで熊手(農耕用レーキ)を買って船に乗ったのに、実はぼくは彼に騙されて、人手不足だった子持ち昆布の収穫と漬け込み作業に無理矢理駆り出されたのでした。
 珍しくブチ切れたのを覚えていますが、まぁそれ以来、ニシンやらウニやら牡蠣やら、いろいろ持ってきてくれるようになったのです。

「俺たちもこれからフィッシングに行くとこなんだぜ。おまえも一緒に来いよ」
 え、ホント? この漁業監視船、いつもすっごいでかい魚、百歳級のロックフィッシュとか四十パウンド級のスプリング(キングサーモン)とか、いっぱい持って帰ってくるんですよね。そんなポイントを教えてくれるっていうなら、これはラッキー!

「うん、行く行く。あ、そうだ、きっと寒くなるよね」合羽持ってこようかな。
「寒くなんかないよ。見ろ、俺たちみんな半そでだぜ」
 腕をまくって見せるのは、普段は海上バスの料金係をしているリチャードです。

 あれ? レアリーでしょ、リチャードでしょ、ロッキーにチャーリーに……、ずいぶん多いな。ちっこい監視船に八人も乗っているから、狭い船室はぎゅうぎゅうです。それプラス、釣り竿一本も見えないんだけどなぁ……どこかにしまってあるのかなぁ……この感じ、ぼく一人だけバカみたいに軽装で熊手(レーキ)持って子持ち昆布のイケスに連れて行かれたときとなんか似てるんじゃないかなぁ……(モヤモヤ)。

 船が出発して十分くらいした頃、
「ユキ、目ぇつぶってろよ。ポイント知られたくねぇんだよ」
 てリチャードが言うけど、航路見て、ぼくもう分かっちゃった。
「もう分かったよ。秋にドッグサーモン漁やったとこでしょ。二年前に村のドッグサーモン漁の手伝いしたから、知ってるもんね」

 現場に近づくと、みんな座席の下から合羽(レインギア)を引っ張り出して装着し始めました。
 え? ちょっ、うわぁ、凄いヤな予感。
 そして先行していた鍋底船が見えてきて、それに積んである魚網でしょ……、かー、やられた。

 これ、フィッシング(釣り)じゃなくてフィッシング(漁)じゃない。フィッシングを勝手に「釣り」と訳したのはこっちだから、騙されたとは言わないけどさ、せめて合羽持って来い、とくらいは言って欲しかったな。合羽無しで巻網漁なんかに参加したら、ぐっしょぐしょの辛い目に遭うのは必至ですもん(子持ち昆布のときは一人でぐしょ濡れでホント辛かったぁ……しみじみ)。

 前にドッグサーモン漁に参加したときは、若い警察官助手のカーティスがリーダーで、メンバーも若手中心だったからとにかくバタバタして忙しかったけど、今回はそれなりに年配の人たちばかりなので、な~んかの~んびりムードです。

 海の中で魚網をくる~っと一周させて、その網を取り込んでいくと、やぁ、サーモンらしき魚影が見えてきました。ロッキーが一匹掴んでぼくの足元に投げてよこしたので、みんなゲラゲラ笑っています。

 あれ? でもこのサーモン、いつも自分で釣って見慣れたやつとなんか違う。
 あ「これって、サッカイ(紅鮭(べにざけ))?」
 へー、川に遡上して真っ赤っ赤に変身したのは見たことあるけど、変身前の、海で生きてる普通の魚の姿のサッカイ、初めて見ました。

 こういうときって、無賃金労働(ただばたらき)してるのぼくだけだって知ってるけど、こういうインディアンでも限られた人しか知らない釣り場のピンポイントゲットなんて、それこそお金じゃ買えないもんね。
 そうか、ここ、紅鮭(サッカイ)いけるのか。
 ウヒヒ、今度釣りに来よう、しめしめ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み