第50話 ハロウィーンの森の宴

文字数 1,996文字

 二〇〇六年十月三十一日、今夜はハロウィーン。入り江の向かいのインディアンビレッジから、時々花火の音が聞こえてきます。
 天気がいいからとても冷え込んでいて、バルコニーから見下ろす家の前の桟橋は、すでに霜が降りて真っ白に凍っていました。

 見上げれば、そこはうじゃーというくらいの満天の星空。天の川。そしてこんなに寒いのに、入り江の海水はキラキラと夜光虫で飽和状態に光り輝く。石ころをひとつぽつんと水に落とせば、ゆらゆらとまるで優柔不断の水星が引く光の尾のように、右に左に夜光虫を蹴散らしながら、海の深いところまで沈んでいく様子が、光の軌跡となって淡く網膜に焼きついて残ります。めまいを起こしそう。
 とにかく寒いので、うちの食客の猫たちに湯たんぽの差し入れをしてあげようと思ったのですが、いつも必ずいるはずの猫たちの姿が見えません。あれ? 珍しいな。

 翌十一月一日。猫がいない。お昼を過ぎても、にゃあもクロも、二匹とも姿が見えない。
 仲良しのインディアン、サミーがぼくの顔を見にきて「どうかしたのか?」と聞くので、「猫がいなくなっちゃったんだよ」と答えると、「クーガーの仕業だ(プーマ、またはアメリカライオンとも)」と言い出しました。
「いやホントだって。スミティがさ、クーガーが学校の前に寝そべってるのを見たんだよ。すっげぇー太ってるやつだったって」

 まぁたさ、そんなこと言ってる。ぼかぁこの八年間、しょっちゅう本気にして、宿泊客がハイキングに出かける商売だから大慌てしたときもあったけど、サミーや誰かが指差したターゲットを一眼レフカメラの望遠レンズで捉えて見れば、いっつも、間違いなく「犬……!」だったもんね。それか奥さんかガールフレンドね。サミーの奥さんの写真、望遠でスライドフィルムに撮ってどうしろってぇのさ。サミーにとっちゃ、クーガーみたいなもんだと言われても、ねぇ。

「へぇー、そう、クーガーね」
 いつものようにへへらへらへらと軽く受け流しはしたものの、普段絶対にいるはずの猫たちがいないので、なんだか心配になってきちゃった。ストアのおやじの猫が四~五日帰ってこなくておやじがおろおろしていても、「猫なんてそんなもんでしょ?」と気にも留めていなかったんですが、自分がかわいがっている猫の姿が見えないとなったら、たった半日で動揺してきてしまいました。
 バンクーバーみたいな都会でも、クーガーやコヨーテが出るときあるしなぁ……。

 探しようもないけど、探しに行くか。
 原生林に分け入っていくと、程なくおいしそうな匂いがしてきました。森に入るとね、とてもジューシーな肉料理のような、実にうまそうな香りに満ちていて驚かされるのはいつものことなんですが、あれー? 今日の匂いはさ、これ、何の匂いだったっけ……、あ、お刺身じゃない? 新鮮なお刺身の匂いだよ、これ。

 小高い場所から森を流れる小川を見下ろすと、河口で遡上待ちをしているサーモンの一団が見えました。そのまま川辺まで降りていくと、こ、これは!!!
 凄惨、と言おうか、まさにサーモンの無差別大虐殺が実施された直後に遭遇してしまった、とでも言おうか、川べりの草むら、倒木の上、あちらこちらに無残なサーモンの惨殺死体が! 背中をずたずたに噛み砕かれただけの状態で、あっちこっちに放置してある。
 めちゃくちゃやるなぁ、熊。

 川岸でばったんばったん跳ねているでっかいオスのサーモンは、まさに今さっき、数秒前に熊パンチで陸に跳ね飛ばされたばかりのものに違いないから、今の今まで、熊、ここに居たってことですね。
 川床には真っ白に変色した一見無傷のサーモンのオスやメスの死体もたくさん流れに身を洗われてるけど、彼らは産卵、放精という、この川に上がってきた目的を完遂することができた上でのこの姿なのでしょうか?
 それにしてもこんな川幅三~四メートルでせいぜい(すね)くらいしか水深がないところに大勢でかたまっていたら、そりゃあ熊にもワシにもずたずたにやられちゃうでしょうよ、ねぇ。サーモンって、めちゃくちゃリスキーな生き方してますよねぇ。

 川の中に積み重なった倒木の上にも、背中を噛み砕かれて絶命したサーモンたちが沈んでいました。足元の水の中、背中をずたずたに裂かれたメスは、それでもまだ必死に生きようともがいています……あー、このメス、今すぐ頭殴って、持って帰ってイクラもいただいちゃおうかしらん……(数秒)、なんて、不謹慎なこと考えちゃった。いかんいかん。

 まぁこれらの光景は人間がやっていたら許しがたき残虐行為ですけれども、同じことを熊がやるのなら、これは神聖なる自然の営み。それに今は食べるわけでもなく無駄な大量殺戮に見えるけれども、冬に森に入っても魚の残骸を見ることはまったく無いので、いずれすべては無駄なく循環することになるのでしょう。
 家に戻ると猫たちはちゃんとぼくの帰りを待っていました。
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