第62話 春を呼ぶもの

文字数 1,692文字

 今年も、もう三月ですか。春ですね。ハチドリたちが戻ってくる季節です。中南米で冬を越したアカフトオハチドリたちが、カナダ・バンクーバー島・西海岸・クレイオクオット海峡(サウンド)中腹にあるフローレス島にも、繁殖のために帰ってきます。

 ハチドリって、あのちーっちゃい鳥です。空中の一点で静止するホバリングをしながら花の蜜を吸う、生きた宝石とも呼ばれる美しい小鳥。ハチドリと一口に言っても三百三十種類以上いるらしいのですけれど、ぼくがバックパッカーズホステルを開いていたフローレス島に渡ってきて子育てをするのは、ルーファスハミングバード(和名・アカフトオハチドリ)という一種類だけでした。ルーファスというのは英語で濡れた赤茶色のことです。文字通り、ルーファスハミングバードのオスは、頭から尻尾までの背面が、塗りたてピカピカの絵の具のようなきれいな赤茶色(幼鳥期のメタリックグリーンを残しているものも)、尻尾の先は黒、お腹は白、そして喉から頬にかけてが、光り輝くメタリックレッドの飾り羽。光線の当たり加減でメタリックイエローにもメタリックブラックにも変化する。きれいなんだなぁ、あれ。

 それにしても成鳥で、あの長いくちばしから尻尾の先まで入れてもわずか八センチくらい、体重も(計ったことはないけれども一応モノの本によると)約三グラムしかない小鳥。そんなちっちゃいのが中南米からアラスカまで毎年渡りを行って繁殖しているなんて、ちょっと信じがたい生命の躍動ではありませんか? バカでっかい鯨がそういう旅をするのだって驚異的だというのに、彼ら、ハチドリたち、八cmですよ? 三gですよ? すげーぜ、やつら。畏敬の念を覚えます。

 インディアンの世界観の中ではハチドリは幸運、喜び、それらの予感とともに、復活の象徴です。毎日ストームが吹き荒れ続ける長く厳しかった冬を終わらせ、世界を再び穏やかな緑の大地へと蘇らせます。

 友人のインディアンが息子を亡くしたとき、きっとどこかで生まれ変われよ、と願いを込めて、カヌーのパドルにハチドリのレリーフを刻み込んでいるのを見ました。パドルは舟を漕ぐ道具であるとともに戦いの武器。戦士が命を懸けるもの。武士にとっての日本刀のようなもの。息子の復活を願って誠心誠意、自らの命をも刻み込む。普段はおどけて悪いことばかりしていたインディアンのおじさん。ぼくは涙がこぼれそうになって慌てておじさんに背を向けその場を離れたっけ。だってきっと他人の同情なんて要らないのです。彼らは今でも戦士なのです。戦士に哀れみは失礼なのです。きっとおじさんはまたすぐに悪いことをいっぱい始めて、ぼくをあきれさせることでしょう。それでいいのだ。

 さて、ハチドリたちは、毎年野生の雁(ワイルドギース)の群れがアラスカを目指して頭上を通過する頃、その姿を現します。V字の(がん)の編隊がいくつも島の上空を通り過ぎるとき、けたたましくクワックワッと聞こえる大声量。あ、ここって、カラスがはるか上空を飛ぶ羽音なんかも嘘でしょってくらい「バサバサ」と大音量で聞こえるくらいの土地柄ですから、雁の群れの大騒ぎなんて、いやでも気づかずにはいられないほどの大騒音になって聞こえるんですよ。で、ぼくはこの時期、どんな遠くでどんな作業をしていようと、最初の雁の群れがフローレスを通り過ぎたら、何もかもを放り投げて慌てて家に飛んで帰ります。だってきっと今年最初のハチドリが、雁と一緒にやってきてるよ。

 ハチドリたちがあまりにもちっちゃいものだから、ハチドリは雁の背中をヒッチハイクして渡りを行っているのだ、と信じている人は多いんです。ぼくはそう信じているわけではないけれど、気流の関係とかタイミングとか、同じコースを渡るなら、同じ条件のときに決行するのは至極当然だと思うんですよね。ヒッチハイクとまではいかなくても、雁の群れが巻き起こす気流に引っ張られて飛べば、ものっすごい省エネで飛べるってこともあるんじゃない?

 とにかく旅の途中のちびちゃんたちに甘い砂糖水をご馳走しなくちゃ。この海域の先住民は、ぼくをミスター・ハミングバードって呼ぶんだもんね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み