第12話 ハチドリ元気

文字数 3,094文字

 四月初めの冷たい雨が降る夜でした。
 九時過ぎにお隣のアホーザット・ジェネラル・ストアに顔を出すと、店内に「ビーッ」というけたたましい異音が響いているのに気がつきました。続いて小さな赤茶の飛行物体が、高速で店主のおやじの頭のすぐ横を通過します。

「ハミングバードじゃないですか」
「ああ、入って来ちゃって、迷惑してるんだ」
 おやじはいかにも迷惑そうに舌打ちします。

「あはは。でも、外に出してやらないと、お腹減らして死んじゃうね」
「さっきまで箒持ってさんざん追いかけ回したけど、ダメだ、捕まりゃしねぇ」
「ぼく、やってみていい?」
「やれ。俺は忙しいんだ」

 家の中に迷い込んだハチドリ(ハミングバード)を捕まえるのはたいへんです。虫捕り網もなしでは、そう、おやじがやったとおり、とにかく追いかけ回してとことん疲れさせてからでなければ勝負になりません。何しろジェット戦闘機ばりに高速で飛び回る上に、停止飛行までやってのけるんですから、旋回能力はタイムロス0秒の三六〇度、UFO並です。

 バタバタと走り回っているところへ、インディアンの長老達がやってきました。ぼくはいい暇つぶしの見せ物です。
「ゆき、手でな、そーっと包み込んでやるんだよ、そーっとな。ほら、そこの海図の棚の上に留まったぞ。フリーザーに登って捕まえろ」

 ええ? 素手で? 素手でねぇ……。ま、いいや、そろそろハチドリもばてているから頃合いだろう。そーっと、そーっと、そーっとね。そ……、捕まえました。
「ほぉぉぉぉ」
 長老達も感心しています。
 外に逃がしてやらなきゃね。でも考えてみたら、外はとっくに真っ暗だし、四月初めの氷雨大雨。大丈夫かなぁ?

 ぼくの家の周りで見られるハチドリは、ルーファス・ハミングバード、日本名アカフトオ・ハチドリです。くちばしの端から尾の先まで、体長だいたい八センチメートル。オスは濡れた赤茶色の背中に白いおなか、メタリックレッドの鮮やかな喉の飾り羽が特徴です。

 頭頂や肩にメタリックグリーンの体毛がある個体も多いけど、ぼくは個人的にですが、この緑色は若い個体に見られる幼鳥時代の名残だと考えています。なぜなら夏場には新しく巣立ったハチドリの幼鳥たちが、我が家の窓辺に吊るした砂糖水のボトルに何百羽も群がってくるのですが(決して大げさに言っているのではありません。ピーク時には毎日十二リットル以上の砂糖水が消費されるのです)、その全ての幼鳥たちの体色はメタリックグリーンの背中に白いおなかです。メスはそのままの体色で成長するようですが、翌年の春、彼らが再び繁殖のためここフローレスアイランドに戻ってきた時には、オスの体色はきれいな赤茶色に変わっているのです。

 体重はわずかに三グラム。一円玉三つ分の重さしかありません。
 この小さな小さなかわいらしい小鳥は、信じられない事に、この小さな体で中南米から最北端ではアラスカに至るまで、繁殖のための渡りを行います。

 毎年三月半ば、最初の雁の群れが頭上を通ってアラスカに向かう頃に姿をあらわし、八月半ばに最後の雁の群れが南へ向かって飛び去る頃、最後のハチドリも姿を消します。ですから多くの人たちが、とってもとっても多くの人たちが、ハチドリは渡りの雁の背中をヒッチハイクして旅をしているのだ、と信じています。

 写真や映像に撮られた記録はひとつもないし、何の証拠もあるわけじゃないのですが、それこそ例えばストアのおやじなんかに聞けば、真面目も真面目、大真面目に、ハチドリは雁の背中に乗って渡ってくるのだ、と説明してくれます。

 外に出てそっとハチドリを包んでいた手を開いてみました。が、さすがにこう真っ暗ではまるで動こうとしませんでした。気温も五℃もなかったんじゃないのかな。これから朝方にかけて、まだまだ気温は下がるんだろうと思います。

 これまた記録があるわけではないんですが、野生のアカフトオハチドリたちは、こういう寒い季節は毎日、毎晩、「冬眠」することによって夜をしのいでいるのではないかと思っています。
 実際、アンデス山脈に住むアンデスヤマハチドリでは、毎晩! 仮死状態になるいわゆる「冬眠」をすることで、高山の過酷な気候に順応している事が確認されているのです。

 体重わずか三グラムで春浅いアラスカまで渡るこのアカフトオハチドリにもその機能が組み込まれている、そう考えなければ、氷点下にまで落ちることも当然覚悟のこの季節、アラスカを目指すことなど到底出来ない、と思うのです。

 昼間見かけた他のハチドリたちも、この冷たい大雨の中、どこか濡れないところに身を寄せて、冬眠状態に入っているのではないかと思います。ですから、今ぼくの手のひらの中にいる彼も、このまま外に置き去りにしておいても大丈夫といえば大丈夫なのかもしれません。けど、う~ん、やっぱり冬眠なんて、本人がそれなりに準備万端で臨んでこその話なんじゃないかなぁ。

「このまま外に置き去りにしたら死んじゃうかもね。今日、うちに泊まってく?」
 ハチドリを手の中に包んだままで砂糖水をあげたら、夢中でごくごく飲みました。いい加減飲んだら「もう、いいや」と言わんばかりにプイッと横を向いて、そのまま手の平の上で眠っちゃった。な、なぁんと可愛い……。

 フリースの手袋の中に入れてベッドルームに持っていきました。そーっと手袋を開いて覗き込んだら寝息で体が上下してます。かぁわいーなぁ。
 観察しているうちに見る見る呼吸数が落ちてきたように思います。やがて体がぺっちゃんこに、つぶれてしまったようにうそみたいに平たくなってしまいました。やっぱり「冬眠」に入ったようです。

 でもホントにそうかな……、死んじゃったんじゃないよねぇ。心配でドキドキしました。
「とにかく、お腹が空いて死なないように、明日、朝一番に起こしてあげるよ」

 まだまだ春浅く日の出はかなり遅いので、夏場のように朝五時にはハチドリが活動を始めている、ということはないはずと思い、朝六時半に起きて外を見に行ったら、もう窓辺には何羽かのハチドリたちが飛び交っていました。それなのにベッドルームに戻って手袋の中を覗いたら、うちのハチドリはまだ眠っていました。

「も、もしかして寝てるんじゃなくて、死んじゃってたらどうしよう……」
 心配したけど、指先でちょっとつっついてみたら、やがて体が呼吸で上下に動きだしました。ほっとしつつ外へ出します。でも寝ぼけていて「ほっといてよっ」という感じで手袋の奥の方へずるずると這っていこうとするので、こっちこっち、と出口の方を向かせました。

「おーきーなーしゃーい」
 またちょっと体をつっついてみます。
 するとぺったんこだった体がむくむくと膨らんできて、どうやら覚醒が始まった様子。
 手袋の入り口を大きく開いてポーチの手すりの上に置き、ぼくは家の中に入りました。ドアの窓からそっと覗くと、ハチドリは、出口のところまで出てきて、うつらうつらしています。

 大丈夫だな、と思った瞬間「あ、写真撮ろう」
 急いで二階に上がって、カメラを引っ張り出し、まだいてよね、と思いながら下に行ったんですが、ハチドリはもういませんでした。

 なんだそれなら、飛び立つところ見守っていればよかったよ。
 しかたない。それより、また奧に潜り込んで眠ってたりはしないだろうね。何度も手袋の中を覗いて、そーっと手を入れてみて……、あれ? 冷たい。
 出口のところにちゃっかりオシッコがしてありました。
 ☆ハチドリがフローレスアイランドで見られるのは、毎年三月半ばからお盆の頃までです。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み