第3話

文字数 735文字

 
 美琴の父は、かつて、ドラマーだった。
 結婚して子供を持ってからは、安定を求めてスタジオエンジニアとして生計を立てていたが、もともとは硬派なロックミュージシャン。

 幼かった美琴と、兄の高幸(タカユキ)は、よく父に連れられて公団近くの公園に散歩に行った。
 父は愛用のスネアをもちだして。

 父は首から提げたパープルブルーのスネアを叩く。
 そのリズムに合わせて幼い二人は行進した。

 プロの音楽家の刻むリズムは、普通の人が知るものよりも、何倍も奥が深い。
 同じ「たんたん」でも、ゆっくりめの「たんたん」と、走り気味の「たんたん」では異なるのだ。
 速さが変わるのではない。
 速さは一定のまま、それでいて、前のめったり、退いたり。
 リズムの魔法。

 兄は真似るのがうまかった。楽しそうにステップを踏んで、両手を振る。
 しかし美琴は、なかなか要領を得ない。
 いらついて泣きそうになると、父はそれを察してわかりやすいリズムを叩く。
 シンプルなリズム。
 たんたんたん、たんたんたん
 それなら美琴にもわかる。
 兄も笑って慰めてくれる。
 美琴に笑顔が戻る。

 森の小道から出ると、広い河原。 
 父はそこで本気を出す。
 たんたん、のリズムが加速し、雨垂れのようになり、豪雨となり、滝となって世界をつつむ。
 足で地を蹴り、周囲にある石まで楽器にする。
 音が重なり、複数のリズムの同時交錯したうねりは、翼を広げた龍のように舞い上がる。

 恐いまでにリズムに魂を燃やす父。
 その姿を見つめて、ピクピクと筋肉を震わせる兄。
 その兄の手を、美琴はギュッと握りしめた。まるでその筋肉の動きが、兄を連れ去ってしまう”悪しきもの”であり、しっかり握っておかないと消え去ってしまうかのように。

 行かないで、と願って。
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