第47話

文字数 4,224文字

 期末試験終了の土曜日、カズキは美琴と待ち合わせた。
 コーヒーショップの二階。初めて二人で入った店。メールをやりとりすることを話しあった、あの店だった。今日はテーブル席ではなく、カウンター席に並んで座った。

「わかりやすいからここにしたけど、よかったかな?」
 カズキの問いに、ミコはうなずく。
「いいと思うよ。ここなら知り合いに見られることもないだろうし」

 カズキは、ヤバいな、と思う。ここに来るまでにいろいろ思考をめぐらしたけれど、いざ本人を目の前にすると、普段着の澤野井美琴は、ますます輝いていた。首元がゆったり開いたTシャツに、ジーンズ地のミニスカート。あえて無地のTシャツにピアノネックレスが、めちゃくちゃいい感じ。
 白い水着美琴とファーストキスした脳内経験も、焼け石に水のように吹っ飛ぶ。吹っ飛ばざるを得ない。

「どうしたの?」
「いや、なんか、緊張して」
「なぜ?」
「明日が本番なんです」
「なんの?」
「うそ」
「え?」
「いや、ただ、ミコさんに久々に会うってだけで」
「私、か」
「そう」
「私のどこに、緊張する?」
 男子の妄想を完全に見透かされたかのような問いに、カズキがとまどう。
「言っていい?」
「いいよ」
「怒らない?」
「怒らないよ、と言っても、怒るときは怒る、ってなったね」
「そうだった」
 二人で苦笑する。
「でも、いいよ」
「本当に?」
「私が怒ったっていいじゃん。それも、私なんだし」
「そうか」
「とりあえず、カズキ君のことを知りたいのはわりと本当だよ」
「ありがとうです」
「コノハも、それを望んでいるし」
「コノハは、今は?」
「会話には入ってこさせない。やろうと思えばできるのかもしれないけど、さすがにそこまで来ると精神的にヤバイでしょ」
「メールだけ、だね」
「そう。君とのメールだけ」
 カズキは気がつく、美琴が「君」と呼んでくれるここちよさ。にやつきそうになる。
「今夜あたり、またメール?」
「そうね。どういう展開になるか、楽しみ」
「ミコさんが楽しまないでください」
「で」
「……で?」
「私は、何に怒ればいいのかな?」
「ああ、それですね」
「ラブレターとか?」
「そんなメルヘンっぽいことじゃないです」
「じゃあなに。なになに?」
「ミコさん……、白い水着とか、どうです?」
 カズキがいきなり水着のことを口にしたので、美琴はわけがわからなくなった。
「はあ? 水着?」
「よくゲームで、水着キャラっているじゃないですか。ミコさんなら、白いワンピースかなって、勝手に」
「えー、普通に紺の競泳水着とかじゃダメなの?」
「ダメとはいいません。ただ……」
「ただ?」
「夜に紺だと、むしろ何も着てないみたい」
「夜?」
「あ、すみません、ただの妄想です」
「やれやれ。それで、君は、今度はなにを妄想したのかな?」
「いや、ただ、みんなで海に行ったらどうかな、って」
「海に行った(仮)ね」
「で、最初のイメージは、二人で夕日を眺めたんです。防波堤に腰掛けて」
「きれいな夕日、ってやつね。潮風と、泳いだあとのけだるい気持ち。海は好きだよ」
「家族で?」
「うん。あと、おじさん。母の弟が、子供いなくて、よくいっしょに遊んでくれた」
「なるほど」
「で?」
「本当はその時、スイカとか、アイスかでもいいかなって思ったんだけど、やっぱ、手がベタベタするし、普通にペットボトルの飲みものかな、って」
「いいんじゃない?」
「どうせなら、日本茶がいいですよね。フラボノイド入ってるし」
「男女だと、そこ、気になっちゃうよね」
「そうなんです、やっぱ、虫歯は心配!」
 クスクスと笑う美琴。
「そう、僕の個人的なイメージの中でも、ミコさんはここでクスクス笑ってくれて、すごく嬉しかった。と言うか、幸せだった。で、宿なんですけど、もちろん日帰りの可能性も無視したわけではないのですが、やはり埼玉だと一泊はしないとゆっくりできないという論理的結論に達しまして。で、まあ、金もない高校生だし、民宿っぽいところに泊まるわけですが、そんなところに高校生の若い男女が二人で行くわけにはまいりませんから、これはあくまで文芸部合宿という設定だったわけです、はい」
「なるほど、それならハードル低そう」
「そうです。で、あの口の達者な部長タダスケや、新入部員のユタロウがいる中で……」
「新入部員入ったの?」
「あ、そうなんです、めっちゃかっこいいやつ。本業はボクシング」
「なにそれ、やばくない?」
「しかも、カノジョ持ち。すっごくいい子らしい」
「おやおや」
「ただ、その子、子供のときに交通事故で片足の膝から下、切断してるんだって。それで守ってあげたくて、あいつはジムに通って、ボクシング始めた、と」
「そっちが先か。しかし、めっちゃいい話や」
「まあ、いいやつなのはたしか。そのうち紹介する。で、話は海に戻るけど、まあ夏の夜の定番と言えば、卓球っすよね。僕たちは民宿卓球に汗を流したのだ」
「卓球、それ、暑くない?」
「暑かったら、もう一度風呂」
「昼も夜もでふやけちゃうよ」
「すみません、ここは軽くスルーしてください。で、やっぱもう一つの夏の夜の定番と言えば、花火でしょ。みんなで浜辺に出て、僕はギターを弾く、と」
「ギター、持っていくの?」
「持っていくのを忘れていたとしても、脳内イメージなので、事後承諾で」
「それ、何でもありね。便利すぎない?」
「すみません。とにかく、僕は流木に腰掛けて、いい感じのボサノバっぽいアドリブを弾いたり、みんな手持ち花火を振り回したり。で、言っておきますけど、その流木は長さ60センチ以内なんです」
「なぜ?」
「長いとNG。だって僕は、手をさしだして、ミコさんもどうぞと誘うから。またパニックになるよ、とか脅されても、僕はまったく動じないです。だって、それをふくめての関係なんだから。短めの流木に二人で腰掛けて、浴衣のミコさんと肩が触れあって、いい匂いにつつまれてしまう」
「私は浴衣だったのか」
「すみません、それも事後承諾で」
「便利なシステムじゃ」
「でね、ここから先は、まあ、想像つくと思いますけど、静かに波の音が響き、花火をする男子の声や、どこかで上がるヒューという打ち上げ花火の音が聞こえる中、僕の中のミコさんは、おっしゃったわけです。『少しだけ』と。……ね、ほら、何というシンプルにして美しい言葉でしょうか。僕は多くを語らず、うなずきました。そして、身体を寄せ合い、一瞬、軽く唇が触れて、急いで離れて」
「わお、刺激的っス」
「ほてっちゃいますね」
「うんうん」
「すみません、そんな妄想をしていた、とか、そういう話」
「じゃあ、してみる?」
 いたずらっぼい笑みを浮かべた美琴。
 カズキはうなずき、すぐにイスをずらして間隔を狭めた。が、少し肩が触れあうところまでやって、断念。不安定な高さのあるイスの上では、腕を回して、支えないと転げ落ちそうになる。現実は、そんなに都合よく、チュ、なんてできないのだった。
「もっとよせないと、とどかない。ぐいぐい」
「ていうか、さすがに、この店の中ではどうかと思うよ、カズキ君」
「だね、ははは。いっそ、場所、変えて……」
 前向きな提案をしようとしたカズキを、美琴は手で制した。
「もういいよ。ありがとう。いい話だった。文芸っぽいし、こうやって作品も書けば、面白くなるかもね」
「ミコさん……」
「悪いけど、そういうの、妄想だけにしておいて」
「でも、今……」
「ごめん、女子の心は、走馬灯のように移り変わってしまうものなの」
「え……」
「ごめんね。この埋め合わせは、きっと今夜のメールでする」
「でも、あれはコノハの……、あ、コノハの意思? そういうこと?」
「ま、なんか、そうみたい。わたくし的には前向きでも、そうじゃないものが、中にある、みたいな」
「そうですか、ん〜」
 カズキはうなって、身体を反らし、「現実は複雑だ」とうなりながら伸びを一回。
「でも、カズキ君」
「なんですか」
「海とか、行くの?」
「行きますか! 本当に、行ってみますか?」
「まあ、いけなくはないと思うけど、でもさすがに一人ではあれなんで、友だちを誘いたいんだけど、その友だち、8月は超多忙なのよ」
「受験勉強とか?」
「逆。こないだ、勉強はあきらめる宣言してた。そうじゃなくて、漫画書いてるの。夏のコミックフェスティバルにブース出すんだって」
「あ、少し聞いたことあります。市販じゃ売れない自費出版のやつを集めて売るフェス」
「たしか、毎年お盆ごろって言ってた。15日くらい」
「そっか」
「そのあとなら、なんとかなるかもだけど」
「いや、自分もじつは、やることができちゃって」
「なに?」
「ギターコンクール」
「わお。そんな話、なにもしてなかったよね?」
「応募だけは、母が毎年勝手にやってくれちゃうんです。母って、いっしょに住んでなくて、むこうが今なにやってるかもよく知らないんですけど。たまたま今年の予選課題曲は前からよく弾いてる曲で、録音して送ったら、予選通ってて、あとは本番、ってなって」
「日程は?」
「8/30。夏休みの最後」
「それじゃあダメじゃん」
「ですね。ギター、やるなら、やっぱ、しっかりやりたいし。そのあとでは、さすがに海まで行く日程はくつれない」
「いっそ、コンクールのあと、直行する?」
「マジですか?」 
「私が子どものころ行ってた外房なら、わりとサクッといけちゃうよ、海もきれいだし」
「遠くないですか?」
「意外と近いよ。コンクールの会場はどこ?」
「正確な場所は忘れたけど、都内です。いや、品川だったかな。だいたい山手線の下の方」
「車があれば大丈夫そうだよね。カズキくんちは?」
「昔はあったんだけど、親が仕事辞めたときに手放して」
「うちも車はないから、頼まなきゃだけど、心当たりはなくもない」
「なるほど。文芸部の人たちは先に電車行ってもらって、僕たちは遅れて追いかける、と」
「でも、そんなに早く終わる?」
「あのコンクールは午前に最終予選、午後本戦です。終了は4時くらいだったはず」
「いいね」
「急げば日暮れ前について、少し泳ぐくらいのことはできるかも。で、翌31日はゆっくりして、遅めに帰ってくれば、次の始業日に支障なし」
「いい感じ。文字通り、ギリギリ夏休み最後のイベントだね」
「こんどこそ日本茶フラボノイドが必要です!」
「ばか」

 遠慮のない「ばか」のひと言、しかしその美琴の瞳は、確かな希望の輝きを放っていることに、カズキは気がつかないではいられなかった。
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