第26話

文字数 3,945文字


「私のこと、話していい?」
「もちろんです」
「やっぱ、話さないとだよね」
「話してください。僕だって、はずかしいこと、もう話しました」
「なんだっけ?」
「コイバナ」
「うっ、そうだったね。ごめん。ていうか、その前の前提を、君には知ってもらわないとだよね」
「ぜひお願いします」
「まず……うち、お金はあまりないんだ。でも、それが嫌なわけじゃないの。だって、うちのお父さんは、ちゃんと『音楽』で稼いでいるから」
 美琴は鼻をすすりながら、軽い世間話のように家族のことを語り始めた。
「音楽って、演奏家ですか?」
「スタジオエンジニアってやつ。今はね。昔は制作も関わっていたし、そもそもはドラマーだったんだけど」
「ミュージシャンだったんですね」
「うん。うち、小さいけど防音室があるよ。ドラムもたたけるやつ。広くないから本気でドラムを叩いたら、音がグワングワンして大変だけど」
「音楽一家って感じ?」
「いや、お母さんは、まあ、普通の人。東北のちょっと資産家の娘で、音楽の教育は受けてたけど、べつにそれで身を立てようなんてしなかった。才能があっても、努力が苦手なタイプかな。まあでも、一家四人、楽しかったよ」
「四人って、兄弟が?」
「兄がいたの。私が中学の時に白血病で死んじゃった。骨髄バンクとかあるから、簡単に死ぬはずじゃなかったんだけど、まあ、運命だからしかたがないよね」
「やっぱ、いろいろあったんですね」
「あと、中学では、男子グループとトラブルになって、丸一年、完全不登校したし」
「それで歳上なんですね……」
「最低の奴らのことは、一切、考えないようにしてる。それしかないし。ねえ、カズキ君、こんど、お墓参り、来てくれる?」
「お兄さんの? もちろんです」
「あ、でも、なんて紹介しよう……、私の病気を診てくださっている看護師の方です、とか?」
「そうかも」
「いや、だめだね、やっぱり。兄は、私のウソ、すぐ見抜くから。で『おまえがやっただろ』とか、普通は兄弟喧嘩するところを、タカちゃんは、やさしく笑って悟ってるの」
「それ、兄弟愛というやつでは?」
「知ってる。ありがたいよね。いなくなってから気がつくこと、いっぱいある。だから、君も、いつか本当にお墓参りに来てね」
「了解」
「さて」
 美琴は姿勢を正し、首をグリグリと回した。
「なんとか、回復、かな。では、今日の本題といかせてもらっていいかしら」

 え……まだ終わってなかったの? しかしここまで来たらなんでもこいだ、とカズキは腹をくくった。

「私、パニックは、前からあることなのよ。普通じゃないけど、短時間で戻るし、本当はあまり心配することじゃないと思ってる。終わってみれば、ああまたか、って感じ。でも、今、悩んでいるのは、それとは、たぶん別件なの。この”意味”、わかってもらえる?」
 カズキは、いったん深呼吸をした。
「つまり、パニック以上の深刻な何かが、別にある、ということ?」
「深刻だけど、恐くはない、かな。だから、そこは同じじゃないし、むしろ善良な感じすらする。でも、だからこそ、遠慮がなくて、悲しい。正直、恐いし、急に涙が止まらなくなったりする」
「やはり、それも病気的な、なにか?」
 恐る恐る質問した彼に、美琴はさっぱりと応えた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。私の短い人生経験では、なんとも言えない」
「はあ……」
「ただ、死の臭いは本物。それだけは完全にわかる。私は死んだ身体の腐っていく臭いなんか嗅いだことはないけど、でも、わかるの。人間の本能として。それだけは絶対。でも、困るよね、そんなこと分かっても」
「なにか、具体的な心当たりは? 幼少の記憶とか?」
「ないし、たぶん、そういうことではないと思う。なんていうんだろう、私の内側から、それは来ているの」
「死が?」
「それも、ひとつやふたつじゃない。ひとつの村、まるごと全滅、みたいな壮絶ぶり」
「本物の死、ですか、まさか……無自覚のうちに、誰かを殺した、とか?」
「どうだろう……」
「でも、少なくとも、そういう暴力的な心当たりはないんですよね?」
「さすがに私だって、こう見えて、ふつうの女子高生だし、意識が飛ぶと言っても一瞬だし」
「よかった」
「そうね。よくはないけど、でも、よかった。私は頭がおかしいかもしれないけれど、犯罪者でないことは、たぶん約束できる」
「でも、逃げられない死は、そこにある」
「そう」
「だから、うちの部長の夢の話にまで、ヒントを求めようとした、と」
「そうね」
「しかも、今は、部長以上に頼りない僕に、相談を……」
「いちおう、考えたんだよ。他に頼れる人がいないかどうか、ってことは。家族や、女子校の知り合いに頼めるなら、話が楽でよかったんだけど、たぶんそれでは足りないと思うの。逆にいえば、私のことを知りすぎてる。そうじゃなくて、もっと、とびきりの可能性がほしかった」
「現実に縛られないような?」
「そう。だから、君に、この提案をしてみるのだ。いいかな?」
「はい」
「メールをね、書いてもらおうかなって思うの、君に、私宛で」
「もし……ラブレターがよかったら、ほかの人に頼んだ方がいいですよ」
 彼なりのギリギリのジョークだった。
「ちがうよ」
 美琴は肩をすくめて、素直にもういちど「ちがうよ」とくり返した。
「私は、ただ、事実を知りたいだけ。遊びじゃない」 
「もちろん」とカズキは身体を前ののめりにして言った。「僕でよかったら、何でも相談に乗ります」
「ありがとう。でも、それも少しちがうかな」
「どういうことですか?」
「私の中にあって、居座っているものの”正体”を、知りたいの。怖いけど、それを知らないと一歩も前に進めない気がする。だから、そのきっかけになるようなことを、君から、書いてみてほしい」
「きっかけ……ですか?」
「なぐさめとか、癒やしとか、そういうことではなく。まあ、そういうことが私に必要じゃない、とは言わないけど、今回の依頼は、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる的な、一種の謎解きみたいなものだから」
「つまり、居座っているものの原因を知りたいから、それに関係ありそうなことを僕が書いてメールする、と?」
「そう。普通なら、兄のこととか、中学のトラブルとか、そういう過去を探るでしょ? でも、そういうことは、すでに私自身でやりきったと思う。それと本質的に異質なのは、もうわかっている」
「なら、なんですか?」
「わからない。本当に、わからないの。だから頼んでみているわけ」
「かなりの難題ですね……」
「極端な話、宇宙人、未来人、異世界人、なんでもありだと思う」
「ほへ?」 
「その方が病気っぽいと思った?」
「あ、いや……」
「そのくらい、なんでもありで、君が思いつくことを、書いて送ってみて。もし私が自覚なくて、でも、少しでも関係していることだったら、ビビッとくるはずだから」
 カズキはしばし考え込んだ。
「まあ、送るのはいいですが、でも、これ、遊びではないんですよね」
「うん。遊び、ではない」
「いっそ、遊びってことにしておいてくれたら楽なのに」
「そうだね。ごめんね、楽じゃなくて。もちろん、ムリにとは言わない。もし、いやなら、何もしなくていいです」
 するとカズキはあらためて姿勢を正した。
「やります。やらせていただきます。ただ、何をどうすればいいのかがわからないけど。せめて、例になるようなことは?」
「そうね……たとえば『わ・れ・わ・れ・は・う・ち・ゅ・う・じ・ん・だ』でもいいよ」
 と、美琴は手を口に当ててたたきながら発音した。
「宇宙人か……」
「まあ、さすがに宇宙人は違うと思うけど」

 現実に縛られない、というのはそういうことか、とカズキは考えた。普通ならば、こういうことは”遊び”と割り切ってやることだ。現実との違いを混乱するのは、中二病などと呼ばれることだろう。しかし、今回は心の現実として、それを含むかもしれない、というわけだ。

「考えてみます。少し時間が必要ですね」
「私も、あまり一気に送られてくると、感覚が鈍ると思う。一日一通くらいで、とりあえず」
「なるほど。がんばってみます」
「どうしても当たらないようだったら、また方法を考えるってことで、とりあえず10とか20とか、やってみてくれるかな」
「了解」

 メールアドレスを交換し、二人は店を出た。
 別れぎわに、美琴は彼に、改めてあやまった。
「ねえ、あれ……ごめんね」
「え?」
「パニック。驚いたでしょ?」
「いや、そんなの謝ることじゃないし」
「でも、誤解しないで。手を握れたことは、たぶん……いえ、すごく、いいことだと思うから。そこだけは、絶対に誤解しないで」
「わかりました。大丈夫、心配しないでください」
 カズキの大人びた反応に、美琴はサッパリした表情でうなずいた。
「よかった。正直、ひとつ、課題をクリアした気分」
「課題?」

 すると美琴は、左手を伸ばし、カズキの右手を握った。
 カズキの手に電気が走る。
 カズキは、発作を怖れて、おそるおそる握り返す。
 しかし今回は大丈夫。
 存在感のある温かい女性の手。

「私、よちよち歩き。ごめんなさい」
「なななななに言ってるんですか。僕には、ミコさんが、大きすぎるくらいです」
「歳上だし?」
「それ、自虐的に言うの、やめましょうよ」
「だね」
「いろいろあったんでしょうけど、今はおたがい、高二でタメなんだから」
「うん。あらためて、君の手、温かくていい感じ。ギタリストだもんね」
「もう少しギターが上手ければいいんですが」
「ははは、それはお互い、いいっこなしにしよ」 

 別れ際、美琴は、お願いごとを再確認した。
「カズキ君、メールの件、よろしく」
「うむ。傑作を考えるぞ。楽しみに待て」
「待たせてもらう。じゃね、カズキくん」
「また!」
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