第17話

文字数 3,698文字

 話は、この四月、新年度の初日にさかのぼる。

 二年に進級したカズキは、新しく決まった教室に初めて入ると、みながしているとおり黒板に貼られた座席表を確認してから、指定された窓辺の席にむかった。
 窓の外に目を向けると、ベランダ越しの風景は、とても見はらしがいい。
 一年のときは二階、今回は三階。一階上がっただけだが、開放感がまるでちがった。
 とはいえ、窓の外から黄色い声が聞こえ、ブルマ女子がランニングしている、ということはない。
 ここは男子校。しかも校舎の南側はリアルに田が広がり、植えられたばかりのイネが春風に揺れていた。
 あれがみんな「ふぁいと、おー、ふぁいと、おー」と胸を揺らす女子だったらな、と思い浮かんだ邪念に苦笑しつつ、カズキは自分の席に着いた。

 とりあえず暇つぶしに、と、鞄から読みかけの文庫本をとりだし、新担任を待ちながら読んでいると、
「なに読んでるの?」
 前の席のかっぷくのいいメガネ男子が、ふり返って質問してきた。
「え、これ? 北杜夫だけど」
「おおっ、すげー渋いね」
「知ってるの?」
「もちろん」
「まあべつに、北杜夫は、渋くはないと思うけどね。てか、これ、半分エッセイだし」
「おたく、本は、好きか?」
「そこそこね。これは親の本。家にあったのを、適当に読んでいるだけ」
「ラノベとかはどう?」
「ライトノベル? アニメの原作とか?」
「うむ、たとえばこれ」
 彼が自分の鞄から、一冊のカラフルな文庫本を取り出した。


 『愛しているなんて言わないで♡』


 パンツが見えかけのミニスカート少女がウィンクしている絵。いかにもライトノベル感まる出しなタイトル。

「わるいけど、知らない」
「知ろうよ。知るべきだよ。これ、絶対アニメ化されるって」
「ふ〜ん」
「なんだよ、反応薄いな」
「だって」と、カズキは暗い過去を隠すかのように相手から目をそらした。「アニメ化とか興味ないし」
「じゃ、何に興味あるって言うんだよ。そちらは古典専門なのか?」
「いや……北杜夫は、いうほど古典じゃないと思う」
「微妙なこと言うなぁ〜」
「まあ、どっちでもいいよ。自由こそ、北さんにふさわしい」
「おぉ、きた〜ん。それ、いい。言葉にセンスあるね。では、よし、さっそく、ひとつ、提案があります」
「提案?」
「おたく、何か部活やってる?」
 カズキは肩をすくめた。
「やってないよ」
「その心は?」
「その心?」
「理由。帰宅部か?」
「いや、僕は、どちらかというと、ギターが専門でね。それっぽい部活、うちには軽音しかないし」
「軽音じゃダメなのか?」
「ダメでもないかもだけど、いちおう専門はクラシックギターなんです、すみません」
「クラシックギター? なるほど。むしろ、そこがすごくいい感じだ。では、みごとに決まりだな、おめでとう」
「なにが?」
「文芸部に入っていただこう。いや、入部を許可する、合格だ」
「はあ?」
「いいだろ、入ってよ、頼む。今ならポイント二倍セール中! なんなら三倍!」
「なんのポイントだよ、いらないよそんなの」
「ポイントを甘く見るなよ。てか、まあ、いいから入れや、まじ歓迎すっから」
「いや、そんな、いきなりいわれても困るんですけど」
「まあまあ、入りましょう。ここはひとつ、人助けだと思って、たのみますよ、おサムライ様」
「おサムライ、ちがうし」
「人助け、大切だよ。ボランティアスピリッツって言うの?」
「なんの人助けだっちゅうねん」
「うち、ぶっちゃけ、三年生卒業して、今、オレ一人なんだよ、文芸部」
「一人? それ、部活って言えなくない?」
「おっしゃるとおり。だから、速攻、二人にしなくてはならないのだ。で、ふり返れば、すばらしい新入部員がいらっしゃった。で、名前は?」
「海和香月」
「かいわかずき、か、名前だけはかっこいいな」
「ほっといてくれ」
「自分は文芸部部長の安藤忠介な。『ぶちょー』でいいから。アンタダとか略すなよ。いちおう、今日、帰りに部室に案内するんで、よろしく」
「てか、勝手に決めてるし。まあ、名前を貸すだけなら、いいと言えばいいけど。しかし頭数さえそろえば誰でもいい、って感じだな」
「そんなことはないさ。オタクはちゃんと本を読んでいたし、なにより、北杜夫好きに悪い人はいない。そうだろ?」
「まあ、それは、ある程度は、そうかもしれないけど。ていうか、北杜夫、知ってるの?」
「もちろん」
「じゃ、まあ、いいか……」
 
 放課後となり、カズキが大柄デブ系メガネ男子に連れられて、階段を上がった。初めておとずれた文芸部部室は、正確には”書道準備室”だった。書道教室の横にある小部屋だ。
 この高校の最上階五階には、端から音楽室、美術室、書道室、と芸術系が並んでいる。そして、それぞれ教室の横に”準備室”という名の小空間が付随しており、たいがいは楽器やイーゼルなどの倉庫となり、くわえて専任教師が私室としてコーヒーメイカーを置いておいたりするのだが、書道の朱先生だけは生来のおおらかな性格から、広い教室そのものを私物化していた。生徒の書も、教師自身の作品も、広い教室の壁面を占拠している。
 書道室横のせまい準備室は、昔から文芸部部室として許されていた。かつて文芸部に書道好きの生徒がいたのだろう。
 ちなみに文芸部の本当の顧問は、家族優先ファミリーパパとして、放課後部活動にはまったく関与していなかった。文字通り「名前だけ」だった。

 カズキが初めて書道準備室に入ると、懐かしい感じがする墨汁の香りにつつまれた。壁に作り付けられた棚には、古めかしい美術本とともに、カラフルなライト系文庫本が、まるで古民家に置かれたポップな軽自動車のように仲良く同居していた。
「ほら、そこにパンとプリンあるし」
 と部長安藤忠介。
「……え プリン?」
「じゃなくて、パソコンとプリンターはあるから、創作意欲にかられたら使っていいぞ」
「なんの創作意欲だよ、そんなものないよ、あるわけないよ」
「まあここに、宇宙から来た寡黙な少女とか、未来から来た巨乳少女とか、腕章つけたうるさいやつとか、いたらいいんだがな」
「なにそれ?」
「『ハレー彗星ユカイだな』って知らない?」
「ごめん、全くわからない」
「うむ〜、ハレユカすら知らないとは。君、古典もいいが、新しいものにも目を向けたまへ。萌が未来を開くのじゃぞ」
「といっても、ここ、男子校だから」
「あんたはん、しょれを言ったら、おしまいさね〜」
「何のキャラだよ、まったく」
「さ、カズキ君、こちらへ。殿がお待ちでござる」
 部長が、準備室から、書道教室への扉を開けた。
「先生、こんちわー」
「よお、元気か」
 そこにいたのは”殿”ではなく、作務衣姿の朱先生だった。この高校に多い30代なかばの教師の一人。
 部長が誇らしげに宣言する。
「うちの新人、連れてきました! 待望の新メンバーです」
「なに? 書を書くの?」
 朱先生は教室の後ろの方で、自身の書家としての制作準備を進めているところだった。先生からも期待の眼差し。
「はじめまして。強引に連行されてしまった海和香月です。芸術専攻は、音楽のほうです、すみません」
「え? 音楽、好きなの?」
「クラシックギターを、少し」
「いいね。そっちの部屋で練習していいよ。私、音楽、好きだし」
「え?」
「ギター部ないから、文芸部に来たわけでしょ? わかるよ、がんばってね。音のこと、もし気になったらちゃんと言うから、たいがいは自由にしていいよ。なにより若者は、前向きでないとね。もちろん書が書きたくなったら、遠慮なく言ってね、それもチャレンジよ。あと、気合いね。気合い、大切ね」
「は、はい……」 
「そうか」と、準備室に戻りながら部長。「オレも毎日入りびたってるわけではないし、ギター練習もいいな」
「いいのかよ、本当に」
「いいよ。『ギルド食堂のテーマ』みたいなの、弾けるんだろ?」
「はあ? ギルド食堂?」
「あと、ハーフエルフのテーマとか?」
 カズキは脳がよじれたような感覚におちいった。
「すみません、一般人にもわかる日本語でお願いします」
「じゃあ、戦艦金剛・出陣の朝!」
「ますますわからない。けど、たぶん、無理。むしろ、ゼッタイ無理」
「まあ、とにかく音楽はあっていいよ。音楽でも、書道でも、いろんなことがあったうえで、それらをひっくるめて、文学ってものは存在するんだ」
「は、はあ……」
「それが文芸部の存在意義。おお、すばらしい。風がささやきます。すばらしすぎる」
「いや、だから何のキャラだよ」
「ただし、君、ライト系は、とりあえず必修だよ。”あいない”読みおわったら、すぐ貸すから」
「”あいない”?」
「見せただろ。『愛しているなんて言わないで♡』、放送コードとか出版コードとかガン無視で、エッチな下着まるだしのやつ。最近の一推し」
 かわいらしく人差し指を上げるデブ系男子。
 しかしカズキは部長のおちゃめぶりを哀れむように、冷静に事実を指摘した。

「いや、それ、見えそうになっていただけで、下着まるだしには、なっていなかったと思います」
「おおっ、君、ちゃんと見てんな! さすがだ。我が同志よ、ようこそ文芸部へ」

 って、わざとかよ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み