第60話

文字数 2,123文字


 ナイロン弦のギターは、音量はあまり大きくない。
 せいぜい普通に人が会話する程度。
 声の大きな人が横でしゃべられると、ギターの方が負ける。
 しかし大きな音が出ない代わりに、小さな音は質感豊かに出る。音の余韻が伸び、完全無音の直前まで”響き”が続く。

 その音量の広さ(レンジ)が、心地いい。

 ヴィラ・ロボスの後、ギターを初めて聞く人にも興味を持って感情移入してもらえそうな曲を続けて弾く。
 タンゴ・アン・スカイ。
 アルハンブラの思い出。
 サンバースト。
 完璧な演奏とは言えなかったが、気持ちは高まってきた。
 幸いここまでは大きな破綻はなかった。
 以前は軽く遊び気分で弾いていた曲も、飯田先生に教わった「タイミングを合わせること」を意識すると明らかに完成度が高まった。
 
 曲の終わりに拍手をもらうと、カズキは奇妙な気持ちになった。
 演奏者が演奏して、聞いた人が拍手を返すのは、普通のことではある。が、しかし”ここ”で普通のことをしたかったわけではない。
 そんなことのために、わざわざ集まってもらったわけではない。
 しかし人前で弾くとなると、どうしてもミスのない安全運転が優先になってしまう……
 
 休憩もMCもなしで、すぐに弦をコユンババの変則チューニングに変えていく。ギターの弦は6本。
 1弦 = Eのまま
 2、4、6弦 = C♯
 3,5弦 = G♯
 ジャラーンと弾いたら、いきなりC♯マイナーとなる世界。
(楽譜の指定はDマイナーだが、カズキは楽器に負担をかけないために半音下げたC♯マイナーで弾くようにしていた)
 理屈を考えるとややこしい。しかし要するにマイナー和音。そこからストーリーは始まる。

 コユンババ全四楽章のうち、まず、殺伐とした一楽章。
 吹きすさぶ原野に、カラスの影、そんな曲。

 二楽章は、死者の踊りのような曲想。
 乾いた単調さが、むしろこっけいで、おもむろにせまってくる。

 三楽章は、風だ。
 戦場に吹く冷たい風。

 そして、有名な怒涛の四楽章へ……

※四楽章の演奏
Carlo Domeniconi : Koyunbaba - IV.Presto
https://youtu.be/UjKzVh0APbE


 風音が聞こえる。

 ふすまから、あるいは、雨戸のすき間から。

 その先には、黒い恐怖。

 食い、食われ、殺し、殺される。

 それが生きるってことなのさと老婆が断じる。

 あなたはとても悲しそうに見えますが、すべてを知りながらなぜ生きつづけるのですか?

 生まれたからさ。生まれたものは美しい。なんでこんなに美しいんだろうね。

 無駄じゃないですか? 生きつづけたって何もない。それはおばあさん自身の人生が、なによりも証明しているように見えます。

 おいで、洞窟に案内してあげるよ。

 なんの洞窟ですか?

 ただのよくある、死者の洞窟さ。

 死んだ人の眠る場所? たくさんの人が殺された場所?

 そうではなかった、安易な予想はあっさり裏切られた。

 死者が「踊る」洞窟だった。

 心が死に、身体だけが、カクカクと踊り続ける。

 永久に終わりなく。

 仕事ですから。

 ノルマがあって。

 経費は節約しないと。

 いつもすみません。

 おせわになります。

 お名刺をお残しさせていただいてよろしいでしょうか。

 ついでにポテトはいかがですか。

 くり返される人類活動。

 踊る。

 今日も明日も。

 ここにきたら踊らないとアウトだ、空気読めよ。

 義務と法律で決まっているのさ。

 従わないものは反逆罪。

 わかっている。

 あなたは、人を殺すための道具です、とことん殺すのです。

 それが国のため。

 あなたにできる唯一のこと。

 ふと、見回して思う。

 なんだこれは。

 こんなことを望んだわけではなく、平和で温かくて笑顔の絶えない生活を作りたかっただけ。

 君が笑っていればそれでよかった。

 ただそれだけが、生きる意味であり、存在し続ける価値だった。

 ちゃんと、わかっていたのに。

 時計が狂う。

 人が狂う。

 あなたも狂う。

 総理も狂う。

 ネコもネズミも狂う。

 なんであんたは人を殺さないんですか?

 おまえも殺したいんでしょ、本当は。

 我慢になんの意味があるんですか?

 やりたいんでしょ、勃起してますよ。

 狂った時計に、意味なんてありゃしませんぜ。

 武器ならいくらでもあります。

 堕ちましょうよ。

 踊りましよう。

 ほかに何ができると言うんですか?

 見てくださいよ。

 ほら、あなたの赤い目は、見ているはずだ。

 みわたすかぎり、臭い屍ばかりじゃないですか。

 いいも悪いもありません。
 
 どこまで行ってもヒューマンボディ。

 これが現実。

 もう遅いんです。

 手は血糊だらけ。

 遠慮するな。

 始めましょうや。

 地獄の踊りを。

 踊れ。

 いいから踊れ。

 ウダウダ言ってないで踊れ。

 もっと速く。

 老婆が笑う。

 あなたは誰なのですか?

 私は、どれほど多くのことを、失ってしまったのでしょう?

 いまはもう、押しつぶされそうです。

 圧力で、顎(あご)がゆがみ、眼球が押し出されています。

 苦しいです。

 老婆は言った。

 わかってるよ、それでも、私はね、老いた手で、おまえに触れるのだ。

 しわくちゃの手で、なまぬるく、なでるように。
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