第55話

文字数 2,177文字

 
 飯田先生レッスンから帰ってきたカズキは、シャワーを浴びて、さっそく自宅練習を数時間。
 確かに両手のジャストシンクロを意識したら、さっそく一回り進化したような気がした。だからといってすぐに完璧とはいかないが、方向は正しいはず。
 父親が用意してくれた夕食を食べて、再度練習を始めようとしたところに、カズキのスマホあてに、知らない番号から電話がかかってきた。
 
「はい……もしもし」
「海和香月君ですか?」
「そうですが……」
「おれ。大森。矢部先生から聞いたんだけど、なつかしくなって電話してみた。今ひま?」
 大森君! 思い出した。カズキが矢部教室にいたときにディオをしたこともある同学年のギター仲間だ。
「ぜんぜん大丈夫。大森君、まだ矢部っちのところ?」
「そうさ。っても、最近はディオばかり。なんかオレ、ソロってダメなんだよ、本番で緊張しすぎて」
「それ、あるよね」
「おかげで合奏ではいい線いってんだぜ。真面目すぎる相方に怒られてばかりだけどさ。それより、カズキが東日本だって?」
「そう。ずっとフリーでマイペースだったけど、今年は予選曲が楽だったし、ひさしぶりにやってみよかな、と」
「今回の東日本、誰でるかチェックしてる?」
「まさか。いちおうリストは郵送で届いてるけど、特に知ってる人はいなかったっぽい」
「おいおい、しっかりしてくれよ。悪いけど、本戦に残る10人のうち5人は確定だぞ」
「なにそれ」
「まず北海道の女子な。クソうまい。東日本で首位になったら次は東京国際、プロデビューって段取りらしい。もう一人、九州からは、これもほとんどプロデビューが決まっているっぽい高校生。福山さんの直近の一番弟子っていうからね」
「福山さんって、あの福山さん?」
「もちろん」
「まじかよ」
「そして東京の大学生三人。この三人は最近有名でコンクール荒らししてる」
「そういうのは法律で取り締まってもらわないと困るな」
「まあ、クラギってやつはどんなにうまくても、本番でど忘れして止まるときがけっこうあるし、絶対ってことではないけど、まあ、この五人は、ほぼ確定」
「よく知ってるなぁ」
「よく知ってるなぁ、じゃないよ。最近の動向としてめっちゃ知られてることだぜ。それに、その五人の対決はしっかり話題になってる」
「ははは」
「で、なに弾くわけ?」
「中学で玉砕したコユンババ」
「それ、北海道のプロ候補も弾くぜ」
「え?」

 たしかに、運営からとどいた最終日の参加者リストに、自分と同じ曲を自由曲に選んでいる女性がいたのは気がついていた……

「おまえ、ヤバイって」
「まあ、べつに自分はプロを目指しているわけじゃないし」
「目指さないのかよ?」
「うん……」
「だったら出るなよ」
「え?」
「いや、ごめん。きつすぎだな。ただ、生活苦でギター指導者を目指して、ひとつでも上の順位になりたくて努力してる人たちとか知ってしまうと、遊びで参加してくるのは、なんか許せない気持ちになってしまう」
「遊びじゃないよ。ただ、具体的な目標がないってだけ」
「だったら、今、決めようぜ。本選10人目に入って、三位以内入賞者になれ」
「めちゃくちゃ具体的だな」
「おまえ、今、飯田さんに教わってるんだろ」
「うん……」
「飯田さんのコユンババ、聞いたよな?」
「レッスンで少し」
「ちげーよ。CDだよ」
「あるの?」
「今は売ってないけど、矢部っちのところにはある。すっごい演奏だぜ。文字通り炎が吹き出てる」
「そんなに?」
「それがきっかけで、あの人は指をこわして、演奏家を断念したらしい」
「まじ? そんなのぜんぜん知らなかった……」
「飯田先生のレッスン、どうだった? 真剣じゃなかったか?」
「たしかに、恐いくらいだった」
「あの人が、その曲に関わるときは、気をつけた方がいいのさ。生きるか死ぬかの大勝負になる」
「いやいやいや、きびしくはあったけど、会計士だっけ、事務的な仕事をやっている秀才、っていうクールな印象だったよ。そんなに情にあついようには……」
「熱々(あつあつ)の熱(あつ)だぜ。てか、ホント、なにも知らないんだな。大丈夫かよ、マジで」
「とにかく、いろいろ教えてくれてありがとう。知らないことばかりだった」
「逆にいえば、おまえ、ここで首位になれば、一気に若手日本一だぜ」
「はあ? なんだよ日本一って」
「それだけのメンツが集まってるってことさ。もともと東日本ギターコンクールはローカルな位置づけだったけど、夏休み終盤という日程が幸いして、若者のレベルはうなぎ登り、いまや全日本をもしのぐかもしれない激戦の大舞台」
「そんなの、きーてないよー。少し前はそんなんじゃなかったのに」
「てか、矢部っちも、知っていて、あえて飯田さん紹介したはずだ。期待してるんだよ」
「なんの期待だよ」
「カズキの音楽性さ。今度またデュオやろうぜ。いっしょに弾くとよくわかる」
「何がわかるっていうんだよ、全く」
「なんか、わかるんだよ、音楽が」
「意味わからんし」
「音楽って、楽譜があって、うまいとか、ヘタとか言って、中にはそれなりに感動したりってこともあるけど、そういうこと、まるごとすっ飛ばして、つまり『音楽ってこういうこと』ってわかる演奏、それがカズキの良さなのさ」
「なんのことだかわかりませんけど」
「ま、音楽がいくら本物でも、技術や正確性はまた別だからな。がんばれよ。期待しているぜ」
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