第21話

文字数 3,902文字

ピアノの余韻に包まれて、一人で帰る土曜の夕方。
 電車が川合高校の最寄り駅に着くと、また先週のギターの彼が乗ってきた。

 一瞬にして美琴に緊張が走った。嬉しい気持ちと、迷惑と感じる気持ちが、きっちり半分ずつ。
 温かい演奏をするいい人。
 でも、これって、まちぶせ?

 しかし、このたびは、彼は一人ではなかった。横にメガネをかけた豊満な男子生徒が並び、会話をしながら近寄ってくる。そのメガネ男子生徒が、すでに事情を聞いているらしい表情で、美琴に遠慮のない視線を送ってきた。
 美琴は視線をギターの彼に向けた。
「どうも」
「こんにちは。やっぱりこの時間ですね」とギターの彼がうなずいた。「で、紹介しますよ、こないだ話をしていた文芸部の部長、安藤忠介」

 美琴は、顔がひきつった。
 誰かを紹介できるほど、私たちは親しくなった?
 そもそも、私たちこそまだ自己紹介してなくない?

「こんにちは。鶴女のかたですね。彼から、タイトル、教えてもらいましたよ」
 豊満なメガネ男子がいきなりまくし立てるように話し始めた。
「人からすすめられたそうですが、なかなか悪くないですよあれ。千田萌恵作『愛しているなんて言わないで♡』 いいセンスです。もう読み終わりましたか?」
 美琴は首を振り、そんなことより、とギターの彼を見つめた。
「ねえ」
「ん?」
「ん、じゃなくて。私こそ、まだあなたの名前、知らないんですけど」
「ああ、すみません」と彼は両手を合わせて謝った。「僕は海和香月(カイワカズキ)、川合高校二年です」
「二年?」
「はい、あなたは?」
「いちおう二年だけど、事情で一年遅れてるから、歳でいうと私が上ね」
 
 美琴は、さっそく言ってしまった。さあ、引きなさい……
 たしかに、二人が一瞬、気持ちが引けたことは美琴にも伝わってきた。しかし、メガネの部長氏が反撃をするかのように、汗臭さ全開で、もりもり語り始めた。
「じつは、夢を見たんです。とても意味深な夢。いや、むしろ神のお告げというベか。それは、ほぼまちがいなく、あなたに関する夢です。いや、かなりたしかな”関係性”みたいなものがあるわけですよ。たとえば、焼きそばパンに、焼きそばが無関係ではいられないように。関係性と、伏線。わかりますか?」

 美琴は顔をしかめた。
 なに、こいつ。

「まあ、あなたとしては、にわかには信じがたい、うん、それはオレにもわかります。でもね、はっきり言って、たんなる夢というのは正確じゃない。ひかえめに言っても、やはり神のお告げ。いや、むしろ神のお告げ。ほとんど神のお告げ。カンペキ神のお告げ。そう表現するしかない事実に、我々は直面してしまったわけです」
「えっと……文芸部の、部長さん?」
「はい」
「確かに、そういう感じはする言葉づかいね」
「ありがとうございます。で、ある夜、オレの枕元に白い老人がお立ちになり『友達を女子に引き合わせるのじゃ』って、厳かにおっしゃられたわけですよ。ほら、まさに神さまの夢でしょ? これ、わるいけど、事実ですよ。ナンパしようとか思って、よけいな策略しているわけじゃありません。いや、もちろん誤解されかねないことはわかってます、なにせ、初対面ですし。でもね、はっきり言って、事実は事実。もちろん、オレも、最初は意味がわからなかった。引き合わせる、ってなんぞ? しかし、ああ、カズキのことか、とすぐに悟りましたね。他は、ありえない」
「でも、今は……引き合わせると言うより、引き合わされているのは、あなたなんじゃない?」
「がーん。そうなのか?」
 部長氏が、カズキをふり返る。
「以前、話に出た文芸部の部長、ってことで、紹介しているのは自分だけど……」
「だけど……って、そこだよ。つまり……」
「ねえ、もうそのくらいにしてもらえませんか」
 美琴は片手を上げて言葉をさえぎり、怪訝そうに二人を交互に見た。
「私、音楽は好きですけど、それ以外のことは、とくに」
「いや、すみません」とギターの彼が部長を制してあやまった。「先週、偶然話ができたこと、部で話題にしたら、ついてくる、ってこいつが言って。夢の話とかは、自分も今初めて聞いたんです。……なあ、それは、あとでちゃんと聞くから、今はとりあえず、はじめましてからはじめてくれるか」
 あわててとりつくろう彼を見て、美琴は決意した。しかたがない、もう一歩、だめ押しをさせてもらおう。
「あの、もう一つはっきり言っておくけど、私、つきあっている人はいるので。へんに期待して関わりになるのは、おやめになったほうがいいかと」

 今度こそ、二人はドン引き。
 のはずだったのに、部長氏はひるまず、余裕の笑みまで浮かべた。

「そんなことを言っても無駄ですよ。第一に、神さまのお告げは絶対です。第二に、あなたには、つきあっている彼氏はいない」
 まるでサスペンスドラマの終盤で、断崖絶壁に立つ犯人のアリバイをズバリ言い当てる刑事のように、彼は自信を持って言いはなった。
 たしかに美琴には、女友達として”つきあっている”人や、家族同然に”つきあっている”親戚はいたが、彼氏と呼べる相手はいなかった。しかし美琴はひるまずにキリッと大柄の部長氏を見返した。
「どうして断言できるの?」
「理由は明確。だって、そうでしょ? なぜなら、あなたはライトノベル『愛してるなんていわないで♡』を読んでいた。あの作品には裏の意味がありましてね」
「はあ?」
「マニアのあいだでは『彼氏募集中』の意思表示でもあるのです。どうです、完璧な理由。カンペキのペキはギョク!」
 部長氏は、ご丁寧に”璧”という漢字の書き方まで、力強く言い添えた。
 美琴には、理解できなかった……部長氏がわざと負けカードを引いたのか。それとも、ただのバカなのか。
「悪いんだけど、本なんて、ぜんぜん関係ない。あれは借り物で、私が買ったものでもない。結局、読まずに返しちゃったし」
「いや、そんな、もったいない。じゃあ、今度は我々が貸してあげます。六巻セットで。ソースのシミとかついているかもしれないけど。というのは、たこ焼き食べながら読んだ巻があったはずだから。まあ、正直、新品というわけではありませんが、かといって、使用済みってわけでもない。使用済みって、別にいやらしい意味じゃありませんよ。ホント、いい話なんですって。まあ、たしかに、最初は軽薄なドタバタ学園もので、バカっぽい雰囲気についていけない気がするかもしれませんが、そのバカっぽい男子が、やがてそのバカっぽさゆえに、あらゆる魔法を打ち砕き、巨大組織からヒロインを守っていく。いや、ほんと、いい話ですよ。感動的」
 本気で腹が立ってきた美琴は、すべてを断ち切るように片手をあげた。
「ごめん、悪いけど、私、興味ありません」

 強く断じた美琴。
 部長氏の強引な前向きさも、ついに空中で石化し、ひび割れ、ばらばらと崩れさった。

 男子たちの落胆が、美琴に伝わってくる。
 すると、妙な気持ちが美琴の中でうずいた。
 文芸部部長とはいっても、しょせん本好きなオタク男子。猪突猛進スポーツ系とは、やはり根本的に異なる。美琴はそこに、なつかしい匂いのようなものを感じた。彼女が唯一、身近に知っていた若い男性。本好きだった兄の記憶。
 美琴は少しだけ、目の前の男子たちをフォローしてみたくなった。
「それにしても、神のお告げ、か……」
「すみません、アホな部長で」
 ギターの彼が謝る。部長氏を連れてきたことの後悔がにじみ出ている。
「いや、そうじゃなくて。その神さまって、どんな感じだったの?」
 美琴の問を聞くと、落胆したはずの部長氏は指先でメガネの位置を整えてから、再び語りはじめた。
「神さま……なにせ、オレも眠っているときで、しかもこのへんの、頭の後ろのあたりに立って、直視できる位置じゃなかったから、いや、はっきりとは言えないけれど、たぶん、白い和服の老人で、白い髪を伸ばして、有栖の宮がどうとか名乗っていた……」

 白い和服……白い髪……有栖の宮……
 美琴は首を振った。 
 やはり共通点はないらしい。

「やはり、関係なさそうね」
「関係とは、それはどういう?」
 部長氏がメガネの奥のつぶらな瞳を輝かせた。
 美琴はため息を付き、うつむいて説明した。
「じつは最近、私も、神さま的ななにかが、ひっかかっている気は、しなくもないの。悲惨な記憶というか、臭いというか。急に感じるようになって。でも、やっぱ白い和服とか、白い髭とかは、ちがうかな」
「むむっ、少なからず関係があったようですな」
「部長はもういいよ、しゃべりすぎだよ」
 敗戦の将のような姿勢のギターの彼が、部長の暴走を止めた。
 美琴は肩をすくめた。
「まあ、いいわ、文芸部だものね、妄想を楽しむのも部活のうちよね」
 列車が減速を始めた。美琴が降りる駅だった。
「私、次で乗り換えだから」
「あの……」
 ギターの彼が、美琴を見て何かをうったえていた。
「なに?」
「名前がまだ……」
 美琴は自分が名乗っていないことを思いだした。
「私?」
「はい」
「言わないとだめ?」
「できれば、ぜひ……」
「さわのい。澤野井美琴(さわのい みこと)。親しい人からは、ミコって呼ばれてる」
「ミコさんですね」
 男子がホッとした笑みを浮かべる。 
 一瞬迷ったが、言ってしまってスッキリした、というのが美琴の本音だった。やはりこの男子は、私が知っているゲスな者たちとは全くちがう。
「ミコさん。あらためて、僕はカズキ」
「オレはタダスケ。文芸部部長な」
「私、たぶん、土曜練習、もうしばらく続けると思う。タイミングが合ったら、また」
 美琴は軽く頭を下げて列車を降りた。
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