第46話

文字数 4,053文字


「スマホ回収成功」
 と美琴。
「今度から気をつけなよ」
 と雪乃が苦笑する。
「わかってる。ねえ、いつも思うけど、漫画研究会&料理研究会って、不思議な組み合わせよね」

 放課後になり、歴史教師の説教から解放された美琴は、約束通り雪乃に連れられて、廊下を漫研の部室(調理実習室B)にむかっていた。

「こっちの調理実習室はちょうどいいのよ。広いし、机でかいし、美術室も隣だし。仲良く、もちつもたれつ」
「それは知ってるけど」
「徹夜のときにはお夜食も作れるし」
「マジで?」
「しー。大きな声はダメ」と雪乃は口にチャックをする仕草をした。「他言無用」
「まさか、本当に料理やってるとは思わなかった」
「学祭前とか、年に数回よ」
「年に数回もやれば十分だと思う」
「こんど、ミコもぜひ、ね」
「そんな食事、すごい身体に悪そう」
「いやいや、私たちの料理、あなどるべからずよ。枝豆を茹でるのだって、温度計でお湯の管理とかしちゃうんだから」
「美味しいの?」
「それはもう。ぜんぜん違うから。これでもか、ってくらいちがう。壮絶に美味しい」
「ほんとかなぁ」
「で、ミコは、ピアノ、どうするの? 続ける?」
「なに、いきなり」
「高校生活もそろそろ半分終わりなんだからはっきりしないと」
「えー、わかんない」
「ねえ、迷って何もしてないなら、とりあえず、漫研で視野を広めてみるのはどうかしら」
「私、本当は最近、興味あることは、あるんだよね」
「なになに、異性? 同性? アルカリ性?」
 興味津々の友人の眼差しに、美琴は申し訳なさそうにつぶやいた。
「まあ、ほら、いちおう、文芸とか」
「あら、貸したラノベに影響されまちっく?」
「正直、ああいうのは苦手だよ。もっと、古典ぽいやつ」
「源氏ですか? ひかるですか? あおいですか? やおいですか?」
「そんなんじゃなくて、まあ、松尾芭蕉とか?」
「ばしょー、ぐわっ、し、しぶすぎるっすー」
「ケサみたいなの着て、旅するの。おーい、かくさん、すけさん」
「それ、ちがうくない?」
「わかんない。でも、そんなんじゃなかったっけ?」
「芭蕉ものか。ニーズあるかな?」
「あのねぇ、なんでもニーズで判断しないでくれる?」
「でも、まじめな芭蕉が、浮世絵作家の人からせまられて、先生、少しイイコとしましょうよ、とかせまられて、いやいやいや、私は俳人であります、古池や〜、とか拒否ったら、まあ、かたいことはぬきにして、というか、ほら、先生、かたくなっていませんか? 先生、ほらほら」
「ゆきの〜」
「ずばり『先生受け』ありだと思いませんか? ねえ? ここでちょっとばかし、エロ一句、どぞ」
「やめて。あなたにはマジついていけんわ」
「ま、今日は、あれよ」
「なに?」
「ミコには、いさぎよく脱いでもらうから」
「はあ?」
「いやらしいことじゃないわよ。骨格の確認。髪とか服とかない素のままで、肉体を確認するの」
「そんなの自分たちでやればいいでしょうが。人形もあるだろうし」
「あらやだ、おもむきのない」
「おもむき、ちゃうやろ」

 部室につくまでは、いろいろアブなめな話をふりまくった雪乃だったが、実際に部室で彼女が美琴に頼んだのは、制服のまま窓辺にたたずむことだった。
 その姿を、大きめのスケッチブックに描いていく。

「ここでいい?」
「そうそう。本当は窓を開けて髪が風になびくといいけど、暑いし、そこは妥協ってことで」
「ただ立っているだけなら、誰でもいいじゃん」
「そんなことないよ。なんか、ミコ、最近、輝いてるし。それを残しておきたかったの。きっと使える」
「はあ?」
「動かないで」
「ごめん」
 モデルと画家、二人はぼちぼちと会話を続けた。
「ミコは、そのままでいいよ。今の心を、まんま、出したらいいわ」
「雪乃、あとで私、ヘンな話していい?」
「いいけど、なに?」
「あとでいい。ま、病気っぽいこと」
「そういうことなら、どんとこいよ」
「笑わない?」
「私は、ほがらか系が好きだけど、あなたをバカにするようなことは、絶対に言わない」
「だね。ありがとう」
「ミコは、いろんな経験してるし、私よりずっと大きくなるよ」
「そうかなぁ」
「その人生の記録ってやつを、私なりに残しておくから」
「はあ……」
「とりあえず、このくらい。次は、横を向いてもらっていい?」
「こう?」
「そう。で、視線はこちら。問題は、鼻の形と位置よね……」
「肖像画じゃないの?」
「ミコは、キャラデ、って、知ってる?」
「キャラで、何かするの?」
「キャラクターデザイン。まず基本的な描き方を決めるの。その人物が、いろいろ、動いていく……」
「なるほど。で、作中の何をやらされるのかは、聞かなくてもわかるような気がするのは、私の気のせいだろうか」
「ごめんね。ずっと悩んでいたのよ。いまいち魅力的な女の子が書けなくて。でも、最近のミコを見たら、これかも、ってなった。なった理由、わかる気がする。やっぱ、美しいよ、あなた」
「歳上をおちょくるのはやめて欲しい」
「タメだから意識しないで、って言ったのはあなただけど」
「そりゃそうだけど」
「好きな人、いるの?」
「はあ?」
「ごめんなさい。ヤボな質問ね」
「いるわけないし」
「お顔が真っ赤でございます、お嬢様」
「お嬢様ではありません」
「あ、そうか。わかった」
「なななな、なによ」
「それで”松尾芭蕉”なんだ。なるほどねー。あなたの青春、私、応援しちゃうぞ」
「芭蕉のどこが青春なんだっちゅうの」
「どこで知り合ったの?」
「そんなこと、この姿勢のまま話すの?」
「可能でしたらお願いします」
「不可能じゃないけど」
「親戚の紹介とか? それとも、中学時代の知り合いとか?」
「そんなんじゃないわよ。まあ、帰りの電車で知り合っただけ」
「ま、まじっすか。ナンパっすか?」
「そんなんじゃない。私の手の動きを見て、ピアノをやってると気がついてくれて、向こうも楽器をやってたから、それで、意気投合したの」
「音楽家の恋か。やるな」
「だから、そういうのじゃない。ちゃかすなら、この話やめる」
「ごめんごめん。こんど、ちょっと上向きになって。秋の紅葉を見上げるような感じ。そうじゃなくて。そんな悟ったような大人の顔ではなく、もっと清楚で、純粋な気持ち」
「設定に無理があると思う」
「そんなことないよ。ミコがいつもやってる顔で、よし」
「もう……」
「いい。すごくいい。そのまましばらく」
 美琴は姿勢を変えないようにして、小さくため息をついた。
「まあ、ぶっちゃけ、川合高の文芸部の人なのよ」
「しぶい!」
「でも、本当はクラシックギターやってるんだって。でもギター部がないから文芸部。ピアノ部がない私と立場はいっしょ」
「じゃあ、やっぱりあなたは漫研に入らないと」
「この学校にも、昔は文芸部があったんでしょ?」
「そうだよ。でもこのご時世、ラノベだなんだで、いまは漫画研究会と看板が替わった状況」
「女子校ってバカだね」
「否定はしないが」
「そこ、せめて否定しようよ」
「ははは。オーケー、ありがとう。こんどは、机に寄りかかって、こちらを振り向く感じで」
「速いのね」
「のってきた」
「ここに寄りかかって、振り向けばいいの?」
「そんな不機嫌そうに振り向かない。もっと可憐に。ふと、心が通い合った彼と、目が合ってしまった、みたいな」
「むむむ」
「それ、まるでマントヒヒと目が合ったときみたいなんですけど」
「要求、高すぎ」
「そんなことない。最近、あなたがいつもやってる表情でいいの。ほんと、そういう表情、してるんだから。特派員は、見た」
「雪乃は、目ざとすぎるのよ」
「雪乃だけに」
「はあ?」
「いや、すみません、つながらなかった」
「いいから、早く描いてしまって」
「了解っス」

 この調理実習室には、10人の女子たちが各机に散り、黙々と漫画を描いていた。
 夏のコミックフェスティバルまであと一ヶ月あまり。入稿の日取りを考えると、本来は終わっていてしかるべきとき。しかも明日からは期末試験週間で部活禁止。追い込まれている女子たちは、さながらプロマンガ家のように必死で手を動かし続ける。

「ねえ、今さらあれだけど、雪乃はいいの?」
「なにが?」
「キャラデって、作品を描くときの最初にやることだと思うけど、もう締め切り近いんでしょ?」
「私をなめてもらっては困ります」
「まさか、いまから?」
「一からすべてじゃないわよ。どうしても納得できないヒロイン部分を描き直すだけ」
「大変なんじゃないの?」
「大変じゃないというわけじゃないし、たぶん、しっかり仕上げるには、時間が必要」
「どうするの」
「私、もう、決めようかと思って」
「なにが?」
「美術に進むこと。期末試験とか、わずらわされることから、卒業しようと」
「勉強しないってこと?」
「そうよ」
「そんな重要なこと、あっさり言わないでよ」
「ミコだって、そろそろ、考えるときでしょ」
「はあ?」
「音楽に進むなら、まよっているヒマはないんじゃない?」
「音楽に進むなんてきめてないし」
「いずれにしても、私は応援してるから。これはホント」
「ホントに?」
「約束する」
 約束か、雪乃らしいな、と美琴は苦笑する。
「あとで『今はまだ二人だけしか知らない秘密』雪乃に教えるね。いや、正確には三人か」
「なになに?」
「この学校で、雪乃だけ、だからね。他言したらすぐわかるから」
「疑ってるの?」
「うんん、そうじゃないけど……」
「そうじゃないけど?」
「すごく、普通じゃない話だから、ほかの人に知られて、笑われたくない」
「わかってる」
「だね。雪乃は、兄の墓参りにも来てくれたし」
「そうそう」
「先に言っとくね。ありがとう」
「その表情、いい! うごかないで」
「え、え……ええ……?」
「あ、その困った表情もかわいい。デフォルメ、いただきます」
「もう、好きにしてよ」
「ありがとうございまーす。ごちになりまーす」
 雪乃は手早くラフ画を描き上げていった。
 そのスピードは、すでに高校生離れしていた。

 美琴は思った……雪乃、あなたこそ、確かに今、輝いてるよ。きっと良い作品ができるね。楽しみにしてる……
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