第51話
文字数 2,818文字
美琴は、比較的人の多い歴史書コーナーで、立ち読みをつづけた。
あまり本文までは読まず、内容は参考程度にして、主に写真を眺めていく。
戦争の写真。
太平洋戦争で活躍したゼロ戦や戦艦。
航空攻撃を受けて、迂回行動の丸い航跡を残す複数の軍艦。
黒煙を上げている。
この船上が、そのときどうなっていたか、そういう写真まではないらしい。当たり前だろう。空からの写真にしても、それは米軍が撮ったもののはず。
これはただの本。
ただの写真。
ただの歴史。
しかし、そのとき、そこにあったのは、紛れもなく、人々の死だ。
黒煙を上げる軍艦の古い写真も、もしも近寄って甲板を見ることができれば、無残にちぎれ、焼けこげた死体が散乱し、血を流しもがく人々が叫ぶ地獄絵図であったはずだ。
美琴の脳中で、ショパンの革命のエチュードが鳴り響いた。やがてそれは激しいモーツアルトのレクイエムに移った。
コノハが、意思を伝えてくる。
……先読みで戦争の時代がきてしまうことは察していましたが、ここまで人と人が戦いつくすなんて……
文明開化は人を豊かにしたけれども、強い力も手にしてしまった。たから戦わずにいられなかった。
……それだけでしょうか。
ん?
……私には、すべて、つながっているように感じられます。
つながっている、とは?
……もっといろんなもの、見せてもらっていいですか。どんな悲惨なものでもかまいません。
どんな悲惨なものでも、というと?
……人肉をくらうような壮絶な状況こそ、私が今、一番知りたいところです。
大人でもないコノハが、そんなの、よくないよ。それに一般の図書館にそんなにリアルなことは残ってないと思う。
美琴の奥底に、コノハを自覚する前からあった、悲しい夢のイメージが思い出される。
古い日本の風景。
消えない死臭。
出口はない。
冷たい風が吹き続ける。
……ミコさん、お気づかいはうれしいのですが、陰陽師の呪者は、見てはいけないものも、必然的に見てしまうものなのです。幼少の頃から。人の負の感情や、それが変化した妖怪まで。私はそうでした。見えるときは、見てしまう。見ないわけにはいかないです。つらいことですが、それは私の役割なので、気にしないで続けてください。
しっかりしてるよね。
……もうあまり時間がないようです。
わかったよ。
沖縄戦で追い込まれ絶壁から海に飛び込む親子。広島・長崎の原爆の悲劇。焼けただれる身体の白黒写真。南方での捕虜移送のための死の行進。中国の戦場で大河を埋めつくす無数の死体。はてはアウシュビッツで毒殺された人々のマッチ棒のようにやせ細った死体の山。骸骨がコレクションのように大量に集められている写真は近年のポル・ポトの粛清。
……やはり、鬼は、伝わるのですね。
鬼?
……はい。生まれてしまった鬼は、人々をつたい、広がっていく。
どういうこと?
……私の時代に、飢餓や疫病によって生まれた鬼は、この国を巻き込み、やがて近隣他国にまで伝わってしまった。もちろん時代の悲劇の全てが、そのせいだとは思いません。が、確実に大きな一因となって、人々を変えていったのだと思います。
アジアに広がった殺戮の元凶としての鬼、ってこと? それが天保の飢餓?
……あるいはその鬼を封じたくて、過去の言い伝えを断ち切るようなことになったのかもしれません。だから飢餓のことは、この時代にはほとんど伝わっていない、と。
そうだね。私たち、コノハに会わなければ、ほとんどなにも知らないままだったよ。いちおう教科書に書いてある、ってことくらい。本当は、それほど昔のことではなくて、西洋で言えばショパンの時代の悲劇だってことも、私はコノハと会ってから初めて知った。
……隠して忘れるべきなのか。鬼を認識して乗り越えることができるのか。何が正しいかはわかりませんが。
鬼退治って、できるのかな?
……やれと言われれば、私はやります。
いやいや、冗談はやめてよ。それに今は、国連というものがあって、国際的にはいちおう安定を保ってるんだから。
……なるほど。それを聞いて、ホッとしました。いつか救いがあることを、私たちも信じていましたから。
ま、歴史のこととかは、ほどほどにして、女子は、女子らしく。
……え?
なんて、私が言っても、説得力なさすぎか。
……私、じつは、月のものとか、来たことがないんです。生理って言うんですね? たぶん、このまま、死にます。
コノハ、いきなりなに言ってんのよ。
……少しだけ、私に、夢を見させてください。だめですか?
ダメじゃない。でも、死なない方法だって、探せばあるんじゃないの?
……カズキさんが、現代の村の場所を見つけてくれれば、話はちがってくるかもしれません。が、おそらく、もうなにも残っていません。それが意味することは、生き残った者がいない、ということです。私たちが占った通り。
なんで? ねえ、なんでそんなことになるの?
……そうですね、世が世なら、霊感豊かで高貴な心根の私たちの村は、人々から崇められてもいたでしょう。かつてのように宮廷皇室とも親密でありえたでしょう。でも、そんな私たちも、野に下ってしまえば、生きるという現実に直面するだけです。幕府の庇護も受けられず、わずかな田畑に頼る貧しい暮らし。逆に、攻撃されました。「霊感豊かなら、その霊力で自分たちの腹を満たせ」と。
ひどいね。
……いくら飢餓とはいえ、金さえあれば食うに困らないくらいの食料はありました。しかし、貧しい人々の不満が、私たちの村に向かいました。「あやかしに回す米があるなら、全てよこせ」と一揆の寸前まで。実際のところ、兎内村に憎しみを向かわせることで、買い占めに走った米問屋は襲撃を逃れたのです。”世論操作” つまり、そういうことです……
ねえ、コノハは、死ぬのは、恐い?
……そうですね、少し。でも、今は、死よりも、彼のことを考えたい。それが、私の生きた証と、胸を張れるくらいに。
がんばりなよ。
……コミさんには、おじゃまさまで、すみません。
いいのよ、気にしないで。だってある意味、あなたは、私なんだから。
……ミコさんのお兄さんも、ミコさんのために死んだんですね。
知ってたの?
……直感です。
まあ、それは医学的な理由ではなく、精神的な意味だけどね。兄の病気は本当だったよ。でも、兄の死がなければ、私はもう生きていなかったかもしれない。
……いろいろあったのですよね。期待って、むずかしいです。ぶっちゃけ、私たちに大きな期待とか、やめて欲しい。
コノハがそれを言う?
……ミコさんにだけは、いいでしょ?
ま、いいけど。彼には、黙っていようね。
……そうですね。
なんだかんだで、コノハがこの時代に来たことには、でっかい意味があると思うよ。今はわからなくても、あせることないと思う。さ、次の本棚に、いこうか。