第43話
文字数 2,952文字
一晩眠って、目が覚めたとき、カズキはひとつの決意を固めていた。
今年は、ギターコンクールに挑戦する。
じつは、家を出た母が、カズキが中学時代に玉砕した「東日本ギターコンクール」だけは、毎年勝手に応募してくれていた。ろくに連絡もしてこないくせに、しれっと三月には運営からの手紙が届く。
「参加費は先に納付されています、予選課題曲の録音を期日までに郵送してください」とメモ付きで。
昨年は、バカらしい、と反抗して無視したカズキだった。こっちは中学卒業・高校入学という人生の一大イベントだというのに、ろくに顔も出さず、自分の仕事ばかりしていた母。その頃は母なりに勝負どきのタイミングだったのだろう、と察しないわけではないけれど。
今年は、いちおう春休みに、予選の録音だけは送っておいた。せっかく申し込んだのにお金がもったいないということもあったし、たまたま得意な曲だったので。
しかし、予選の結果が良くても、本戦に出るつもりはなかった。本選で弾く自由曲は、申込時に申請するのだが、母が勝手に曲名を書きこんでいた。中学時代のコンクールでぼろぼろらなったあの曲。ドメニコーニの『コユンババ』。
予選を通ったからといって、本選当日の欠場なんていくらでもいる。カズキは思った……いまさら、そんなの、やらないっちゅうの。何を期待しいているのか知らんけど、そんな親のレールに乗って動く僕じゃないんだよ。
そして、6月にとどいた”予選通過"の簡素なお知らせ。
コンクールの最終予選と本選は8月30日。その会場の地図と、当日の段取りの説明について、コピーされた用紙が一枚ずつ。
8月30日?
夏休みの終わりじゃん。
かってにきめるなー。
学生はその頃、宿題処理でいそがしいんですけどー。
参加しないつもりだったコンクール。
しかしすでにカズキの内面での変化は本物だった。
コノハのメール内容がカズキを変えてしまった。
この勝負、受けてたつべし。
しかし、それだけ(ギターのことだけ)とは限らないものが、カズキにはあった
女子と親しくなった男子高校生が、どういう夏を過ごすべきか問題。
それもまた、カズキにとっての悩み多き切実な現実だった。
せっかく知り合えたんだし、海くらいは行くよね。
水着美琴、とりあえず、これははずせない。
カズキは、想像してしまう。
異性に関する想像は、いつだって止めどがない。
さまざまな重い話題を差し置いて、暴走する男子カズキの妄想は……
水着姿の美琴。
基本、あの人は、痩せ型か、豊満系か、といわれれば、やや少しだけ後者であって、スラッとした黄色のビキニ姿でキラキラのウィンク、というタイプではない。
むしろ、白い清楚なワンピース水着なのに、いささか清楚とは言いがたい胸のふくよかさや、そこはかとなく豊かなお尻の丸みが、あの人らしさ。
しかし水着になるには、当然、図書館などではダメだ。
水着になるところに行かないと。
どこにいこう?
やはり海でしょ。
想像だけなら交通費もただ。
ただし、ここは埼玉。
日帰りで海って、無理っぽい。
やっぱ、海に行くなら”宿泊コース”だよね。
二人の海。
海と日ざしでほてった身体で、僕たちは防波堤に腰掛けて、夕日を見るのだ。
アイスを食べながら? それもいいけど、暑いとすぐとけてドロドロになりそうだから、ここは素直にお茶のペットボトルとか。
なぜお茶?
もちろん緑茶のフラボノイドが口臭を防いでくれるからさ。
なぜ、僕たち男子高校生が口臭を気にしてフラボノイドを活用する必要があるのか?
決まっているじゃないか、虫歯にならないためさ (。O)☆\バコ
なんて言って、二人で、笑う。
まあ、今は、ちょっと事情が込み入っていて、彼女の中にもう一人の人格がいらっしゃるけど、いいじゃないか。僕は、全部セットで、好きなんだ。ケチケチしない。出し惜しみはなしだ。
海。
美しい海の夕日。
僕は海パンだけの上半身裸。
彼女は白い水着に、白いパーカーをはおっている。
そして、なんか、初々しくとまどって、いや、とまどっているのは、緊張しているとか、遠慮しているとか、勇気が無いとかじゃなくて、ここでだきあったりしたら、もう好きが止まらなくなりそう。それが恐くて、僕は君の瞳を見つめるしかない。
学生だし、ゴージャスなホテルとはいかないけど、サッパリと気の利いた民宿に泊まる。男女二人で、と言いたいが、宿に戻ると、文芸部のやつらが待っている。
「カーズキ、麻雀やろーぜー」
いつもの部長の声。
「いや、むり。泳いで日焼けして疲れたし」と、僕はミコさんをチラ見。
やるならやれば、と彼女は視線を送ってくるけど、そうじゃないのさ。お腹がすいたんだ。
僕たちは、ワイワイと夕食を食べて、風呂に入って、少し卓球とかして、このへんで男子妄想が暴走して下が固くなったりしたら、やべまた汗かいた、ともう一度軽く風呂に入って気を落ちつかせて。
そして、夜のイベント。
僕たちに音楽ははずせない。
夜の浜辺に出て、手持ちの花火に興じる部長の横で、僕は流木に腰掛けて、持って来たギターを弾く。ミコさんは浴衣姿で、歌を口ずさむ。
満天の星の下、ミコさんの澄んだ歌声が、彼女の過去や、コノハのつらい出来事を、清く浄化するように響く。
曲は、まだわからない。
『禁じられた遊び』じゃないのは確かだけど、海っぽいボサノバとか弾けないし。
いや、あきらめるな、ボサノバだって予習しておけば、できないことではない。
というわけで、後出しだけど、練習してきた小粋なボサノバをつま弾く僕。
そこに重なる波の音。
遠くから打ち上げ花火のヒューという音が響く。
「私、こんなにことになるなんて夢にも思わなかった。でも、幸せ」
と、ミコさんがうつむいてつぶやく。
「よかった」
と僕はシンプルに答える。
ちょっと、不器用?
いや、このシンプルさこそ、一周回って究極の美学。
そして、ギターを弾く手を止めて、片手を彼女に差し出す。
「ミコさん」
「また、パニックになるかも」
「いいよ、いくらでもなっていい、全部受けとめる」
「ばか」
そして、僕が腰掛けていた流木に、彼女も腰掛ける。
薄緑色の浴衣を着たミコさんが、僕にふれあうくらいの近さにせまる。(後出しだが、流木の長さは60センチ以内。長すぎる流木はNG)
夏の女の匂いがする。
そんな匂い、本人はさせたくなかったかもしれないけど、僕は、それは良いことだ、と心で断じる。
肩が触れあう。
僕が、この先の展開をどうすべきかわからずにあせっていると、ミコさんが部長たちに聞かれないように小さくひと言。
「少しだけ」
「うん」
僕はかすれた声でうなずき、彼女の側に身体を傾けて、肩に女性の身体の温かさを感じつつ、一瞬、顔をよせて、唇が触れあい、すぐに離れる。
くすっと彼女は笑う。
そして「ギター、聞きたいな」と。
僕は、幸せな曲を弾くのだ。
ディズニーの「星に願いを」とか。これも本番で弾けるように要暗譜。
すると、彼女の目から、つーっと、涙が流れ落ちる。
小さな水の宝石。
そこに文芸部員たちが興じている花火が映る。
この瞬間は、永遠だ。
澤野井美琴、それが僕の全てだ。