第44話
文字数 1,093文字
えっと、なんで僕はミコさんとキスしてしまったんだっけ?
と、カズキは首を傾げた。
朝になって目がさめても、唇の感触は、はっきりと残っていた。
そのリアルな感触から、その経緯を思い出そうとする。
昨夜の妄想。
それは夢の中でも再現された。
やはりそれは現実ではない。
残念なことに、自分の脳内で展開された妄想だった。
しかし唇の感触だけは、まごうことなき本物。
これ、どういうこと?
(本人の中の検察)
意義あり!
それは全て、被告人が自分に都合よく勝手にイメージした幻想です。
(本人の中の裁判長)
異議を認めます。
異議を認めますか……、とカズキはため息。
まあ、わかってはいるけれど。妄想だって。
しかし妄想する前と、事後では、自分に中で、何かが大きく変化していた。
これも事実だった。
そもそも、キスをするに至った理由は何だった?
(証言台の被告人)
文芸部で海に行ったからです。
そう、そのとおり。
ではリアルでも文芸部で海に行く計画を立てよう。そこで追体験できれば、妄想は妄想でなくなる。
ところが、今年は8月30日がコンクール本番。
存念ながら二兎は追えない。
コノハの重い事実をひきうけて、本気で演奏にたくすには、ミコさんとの海はあきらめなければならない運命なのだ。
既成事実のファーストキス。
しかし、だめだ、忘れるしかない。
カズキは、朝、家を出る前に、まだ夜勤から帰宅していない父親のデスクにメモ書きを置いてきた。
《コンクール、今年、やってみる。うるさくなるけど、がまんしてくれ》
帰宅した父親から、午前の授業中にメールが届いた。
《いいんだが、今は誰にも教わってないよね。もし臨時で教わりに行くなら、金は出すから、がんばれ。めっちゃがんばれ》
カズキは恥ずかしくなって苦笑してしまう。男子高校生の友だちから来たメールみたいなんですけど。
それに、教わるって、いまさら誰に?
人気あるギタリストはもう生徒枠いっぱいだろうし、無理言って了承とれたとしても、今からではせいぜい数回程度。それで何が変わると?
授業が始まり、さっそく教師が板書に黄色のチョークでグリグリとアンダーラインを引きながら「ここ、期末で出るからな、忘れるなよ」と力強く言いきる。
カズキは頬杖をついて窓の外に目をやった。
稲の育った夏の田んぼが広がっている。
期末試験か。
ミコさんも、試験勉強、始めてるかな。
そっとスマホを録りだして、メールを送る。
《期末試験 めんどくさいと 蝉が鳴く》
ぽちっとな。
ここは目の前が田んぼで、本当は蛙の鳴き声がうるさいのだけれど。
季節感は大切。
文芸部ですゆえ。