第59話
文字数 3,615文字
すごーーーく、不思議な感覚だった。
この感覚を何にたとえたらいいのだろう?
アジの干物に、ハチミツとか?
ソーセージに、抹茶とか?
男子校に、女子が4人も。(コノハをふくめると5人)
朱先生をふくめても男子3名、完全に女子に負ける勢力図。
カズキは、じっと手を見る……
そもそもこんなことになってしまったのは、企画を部長にふったのが原因だった。
「こっちだって暑い中、高校まで行くからには、きっちりやっともらおうぜ」
そんなタダスケの言い分ももっともだったが、呼ばなくていい人物も含まれていないか?
いや、含まれている。
「わー、ミコちゃん、あいたかったー」
MISA姉が、教室に入ってくるなり大声で言い、ついに対面できた学生服姿の澤野井美琴に抱きつく。
「わー、真里ちゃん、あいたかったー」
とMISA姉は、こんどはユタロウの彼女のちっこくかわいい石崎真里までハグ。
「あと、えっと、新しい人、あいたかったー」
とMISA姉が、美琴の友人である井上雪乃に手をのばし、握手をした。巨乳同士、ここだけは安易なハグはいたしかねたらしい。
それでも互いに肩に手を回して、軽くハグして、「美琴がお世話になってます」「カズキがお世話になってます」とあいさつし合って笑っていた。
まあ、それはいい。
と、カズキはみんなへのあいさつもほどほどに、ギターの用意を始めた。教壇の上に、イス、足台、譜面縦、楽譜。そしてクリップ式チューナーや爪磨きなどいつもの小道具。
書道教室の机は、すでに後ろにずらされ、前に作られたスペースにばらっとイスが並べて置いてある。
一日の最後の強い西日は、通路側の壁にさえぎられ、教室はいい感じで冷房が効いていた。
まもなく日没の時間。
音楽に集中するには悪くない状況。
「えっと、みなさん」とタダスケが立ち上がって言った。「椅子に座ってもらっていいですか。今日は夏休み特別文芸部活動に集まってもらってありがとうございます。こんなにたくさんなんて、マジ涙出そうです。思えばこの春、二人の三年生が卒業し、我が部は自分一人だけ……」
「え、今って、そういうの語るところ?」
とユタロウが苦笑しつつ横から疑問を発した。
「いいじゃん、少しだけ。とにかく、文芸部員がこれだけ他校にわたって増え、大所帯に発展したことを、心から誇りに思う次第であります」
「文芸部員?」
と女子たち自分を指さして首を傾げる。
「つきましては、ひとつ、つつしんで皆様にお約束のお願いを。文芸部として11月の学祭に小冊子を作るのですが、全員の作品が掲載されるよう、おそくとも9月いっぱいの作品提出をお願いします。提出はメールでも可」
「質問」とミイサ。「それ、男子だけの話よね?」
「なに言ってんだよネェちゃん、ただでカズキのギター聴けるわけないだろ。書くんだよ、書くの」
「なに書くのよ? 書けるわけないじゃない。てか、あ、わかた!」
「なんですか」
と女子の視線を集めたプチ芸能人が、豊かな胸をはってどうどうと語り始めたのは……
「いつも遠くから見ています、突然こんなお手紙を差し上げてもうしわけありません、ご迷惑とは思いますが、どうしても伝えたくて。匿名少女。うふ」
動じるな、逃げちゃダメだ、とカズキはギターを弾く指の感触に集中した。
「まあそんなかんじ」
と、姉の戯れごとをあっさり肯定する部長だった。
「まあ、それは半分冗談だけど、でも、半分は冗談じゃないんだ。オレの部にせっかく集ってくれたんだから、何か残したいじゃん。なんでもいい。妄想でも、ラブレターでも、詩でも、俳句でも。むしろ、読む人のためとか考えないで、この夏の思い出ってことで、全力でぶつけてみろ、って感じ。それこそが生きた作品集になると思う。オレもそういう感じで書くから。な?」
「部長」と美琴が手を上げた。
「なに?」
「ひとつ、大切なことがあります。いいですか?」
「どうぞ、遠慮なく」
「じつは、もう一人、みんなに紹介したい女子が”ここ”にいます」
ざわついた。まだ誰か来るの? いや聞いてない。これ以外には、特にいないよな。オレ、声かけわすれてた女子いたか……
美琴にうながされて、雪乃がたちあがり、プラスチックのポスターケースから一枚の画をとり出した。まるまっていた紙を広げてのばし、黒板にマグネットで貼った。
すごくやせた女子の絵だった。ガリガリと言っていい。14歳くらいの微妙なとしごろ。薄いベージュの髪が風にはためき、白い和服姿で、恥ずかしそうにはにかんでいる。
部長タダスケはその絵を見てビクッと震えた。夢で見た神さまは、勝手に老人と思い込んでいたが、この子だったのかもしれない。少なくとも、雰囲気は、似ている……
「彼女は、コノハと言います」と美琴が説明を続けた。「どうしてこんなことになったのかはわかりません。でも、カズキ君に演奏を頼んだのも、もともとは、彼女から、なんです。コノハは”私の中”にいます。江戸時代、正確には天保6年の夏から、今の時代にジャンプして。でも、彼女が直接話をすることはできません。いえ、本当はできなくもない気もするけど、そこまですると、私が壊れてしまいそうで。ちょっと失礼します」
美琴がスマホをとりだし、メールを打った。
カズキのスマホが、ギターケースのサイドポケットから着信を伝えてきた。
すぐに取り出して確認して、カズキはわざとたどたどしく読み上げた。
「《私はコノハと言います。江戸時代の術によって、美琴さんの中に飛んできました。よろしくお願いします》」
タダスケは目をみひらいて「それか? カズキがかくしていたことって?」と聞いた。
美琴は次のメールを前髪を垂らして素早く入力している。
カズキが代わりに説明を続けた。
「かくしていたわけでもないけど、あまりに突拍子もないことだから、普通、信じられないよね。でも、絵を見て、自分もすごく納得した。ありがとうございます、雪乃さん」
「いえいえ。こういうのは、私の専門だから」
「残念なのは、コノハの時代が、とても深刻な食糧難で、どうもコノハの村は、遠からず、全滅してしまいそうなんです。金さえあれば米を買えなくもない時代だったらしいけど、その村はとても善良で、特別な小さな村で、だから逆に地域ぐるみでいじめを受けたみたいで。特別っていうのは、陰陽師の流れをくむ秘術の使える村。だから、全滅の前に何かを残したかった、という人々の願いから、壮絶な術をおこなって、一人の少女の意志を、この現代に飛ばした、という感じ。つまり、たまたま偶然お気楽にタイムリープしてきた、ってことじゃないのは、知っておいてほしいです」
カズキのスマホに着信。
それを読み上げる。
「《私たちの村には、伝えられた術があります。それによって私もここに来ています。しかしそれは途絶えそうです。ですから、みなさんに探していただきたいのです。私たちに術をもたらす『うさぎ石』を》」
カズキは、一度せきばらいして、続けた。
「まあ、本当は、僕が探す役割だったのだと思う。それはこれからも変わらないけど、もし、みんなの力が借りれたら、それもいいことだと思う。コノハの村は、先読みの術によって、飢餓のことや、村が全滅することや、昭和の戦争のことまで、だいたい理解していた。重要なのは、その良き力を、時代を超えて、今の自分たちが、引き継いであげなければならない、ということだと思う」
「それ、具体的にどうするんだ?」
部長の冷酷な問い。
その疑問に、カズキは答えを持っていなかった。
「わからない。でも、コノハは確かに実在する。それを無視して、何もしないわけにはいかないだろ?」
「実在、するのなら、な」
部長タダスケの言葉に、ふっと部屋の空気が凍った。
タダスケが、むしろライトノベル好きで、妄想好きだからこそ、その言葉には、鉄のような重みがあった。
遊びとして可能性を楽しむのはいい。どんなことでも自由にまきこんで、遊んでしまえばいい。しかし、現実は別だ。その区別がなくなり、本気で信じるのは、いわゆる病気だ。
美琴が急いで打ち、メールし、着信し、カズキが見ると《ごめんなさい》と書かれていたが、カズキはもう、それを読み上げようとはしなかった。
スマホをギターケースの側において、かわりに寝かせていたギターを手に取り、椅子に座って、かまえた。
美琴は前髪を垂らしたままだったが、その瞬間、カズキはふと、奥にいた朱先生と目が合った。
書家の鋭い目が「迷うな、やれ」と命じていた。
疑いに対して、返す言葉はない。
ここで証明なんてできない。
しかし、それでなにが悪い?
まずは指ならしのヴィラ・ロボス練習曲1番。
高速分散和音。
単調な中に情がうずまく。
しかし、気持ちが先走りすぎると破綻する。
魂と現実(指)のギリギリの境界。
そこに 今日の『入り口』があるはず。